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西武入団も「まず失敗した」 18歳で1軍抜擢も“苦痛”の日々…願い続けた登録抹消

Full-Count / 2024年6月27日 7時10分

西武で活躍した笘篠誠治氏【写真:湯浅大】

■西武で活躍した笘篠誠治氏、高卒1年目の1軍は「いづらかった」

 西武で15年間プレーした笘篠誠治氏は大阪・上宮高からドラフト2位で入団後、1年目の1983年の春先に、いきなり1軍に昇格した。高卒新人での憧れの舞台へ大抜擢となったが、当時は「嫌で仕方なかった」と回顧。Full-Countのインタビューで当時の心境を明かした。

「入団して、まず失敗したと思いました。(内定していた)明大にいけばよかったと思いました。もちろん、2軍スタートでしたが(高卒3年目の)秋山幸二さんをはじめ、みんなすごい体格で。1軍には田淵幸一さん、大田卓司さんがいて……とにかく、ついていくのに必死でした」

 右も左も分からぬまま過ごすプロ生活。すると前半戦終盤頃に突然、1軍昇格の連絡を受けた。「『は!?』という感じですよ。あとから聞いたのですが、当時はチームが強くて、勝つ時には当たり前のように10点くらい取る。だから広岡達朗監督が1人くらい分からないヤツがいてもいい。笘篠って新人を見てみようとなって呼ばれたそうです」。

 スピード、パワー、投手の球、すべてにおいて「見たことない感じ」という異次元の世界。出場5試合はいずれも代走での起用。1度だけ打席に立ったが「左中間にいい当たりだったんですけど、福本豊さんに簡単に取られました。そう簡単にいかないよな、なんて思いました」。

 試合前は“苦痛”の時間。守備練習を受けている真後ろで広岡監督からジッと見守られている。「そうじゃない、こうだよ」。現役時代から守備の名手でならした指揮官が手本を示すが「それが流れるような動きで、すごくうまいんです。こっちは『そんなんできねぇよ。だから毎日練習しているんだよ』なんて思っていましたね」。 

 18歳での1軍抜擢。誰もが目標とする舞台に身を置いていたが「年齢も周りと違うので肩身が狭かった。石毛宏典さん、西岡良洋さんがよく面倒みてくれたんですけど、技術的にも全然劣っているので、本当にいづらかったんです」。

■秋山幸二の練習を見て発見したプロで生き抜くヒント

 1軍に呼ばれて1か月半ほどが過ぎたころ、試合後に球場で入浴していると近藤昭仁守備・走塁コーチが「笘篠いるか? なんだ風呂か。出たら監督のところへ行ってくれ」。突然の呼び出しによぎった思いが「もしかして抹消してくれるのかな」だった。

「毎日、早く抹消してくれ、と思っていました」。急いで広岡監督の元にいくと「どうだ、笘篠。1軍のレベルが分かっただろ」。「はい、よく分かりました」「明日から2軍で鍛え直してこい」「ありがとうございます!」。思わず感謝が口から飛び出した。「喜んで荷物をまとめて2軍に帰りましたよ。魔の1か月半でした」と笑った。

 2軍に戻ると自分と向き合い、再び鍛錬の日々。「秋山さんの打撃がすごい。肩も強いし、足も速い。でも全然1軍に呼ばれない。さらに鴻野淳基さんもいる。順番をみても、打つ方でいくら頑張っても絶対に1軍に上がるのには相当時間かかる」と判断した。

 笘篠氏はドラフト2位指名を受けた当時は、明大入りが内定していた。父とは4年で1軍選手になれなかったらプロを辞めて、勉強しなおして大学に行って就職すると約束していたのだ。

 実力差を痛感。しかし、1軍にもっとも“近い”位置にいた秋山を見ていると、あることに気がついた。「確かに足は速い。盗塁もすごい。でも打球判断を見ていると1テンポ遅れている。2テンポの時もある。他の選手もそうでした。走るスピードは秋山さんに少し負けるけど、走塁の技術や犠打、右打ち、バスターなど小技サインも多かったので、そっちを極めた方が1軍のチャンスがあるんじゃないかと考えだしたんです」。

 守備力と走力で活路を見出すヒントを見つけた。西武の黄金期に欠かせぬユーティリティープレーヤー誕生のきっかけとなった。(湯浅大 / Dai Yuasa)

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