内定断り「全く知らない」強豪校へ まさかの監督命令…入学前に経験した甲子園準V
Full-Count / 2024年7月5日 7時30分
■「ミスターロッテ」初芝清氏は小4で野球を開始、中学入学時に争奪戦が起きた
ロッテ一筋17年で打点王を獲得するなど、強打の内野手として活躍した初芝清氏。「ミスターロッテ」と親しまれ、現在は社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める。高校はカブス・鈴木誠也外野手の母校で、1982年選抜大会準優勝などの実績を持つ二松学舎大付(東京)で学んだが、中学3年の秋までは存在を「全く知らなかった」という。
初芝氏は1967年2月に東京・池袋で生まれた。子どもの頃は阪神・田淵幸一捕手のファン。とはいえ、野球は「原っぱで友達と野球ごっこをしているような感じ。最初はキャッチャーでしたが、あまりルールも知らなかった。走者がいてもボール回しをしたりとか」。あくまで遊びの1つに過ぎなかった。
小学4年で埼玉県坂戸市に転居。夢中だったボーイスカウト下部組織での活動を継続するつもりが、地域にはなかった。「たまたま転入したクラスの子が野球をやっていて、『今、チームに入っているんだけど1回来てみない? 』と誘われたので『じゃあ、行くよ』と。そこからです。もしボーイスカウトがあったら、野球はしてませんね」。
時は昭和。少年野球でもハードだった。監督だった大学生は「今ではダメですけど、超スパルタでした」と笑う。ただ、練習を離れると熱血青年は人懐っこかった。「なぜかわからないけど、家にご飯を食べに来る。必ず食卓にいましたね。うちに来ない日は他の子の家に行っていたのでは。そういう部分もあったので、厳しかったかもしれないけど楽しかった。夏にはみんなをプールに連れて行ってくれました」と懐かしんだ。
中学ではエースで4番打者を任されたが、入学時には早くも“争奪戦”が起きていた。学区の関係で、少年チームのメンバーの大半は初芝氏とは異なる中学校へ。その学校の監督が獲得を画策した。「『うちに来てくれ』と。教育委員会とかにも問い合わせ、一時期は住所を変えて行こうかとなったんですよ。でも駄目になりました」。
■二松学舎大付へ進学…セレクションで光った才能「絶対に獲る」
初芝氏にとって野球の魅力は、友達と一緒にプレーすること。だから「知らない子たちとやるのもなぁって。もう野球はいいかな、と思いました」。辞めるつもりで、他競技への入部を考えた。「だけど周囲は野球をやっていたのを知ってるので、その流れで野球部に。野球を選ばない可能性も十分ありましたね」と振り返る。
当初は埼玉県の公立の商業高校を志望していたが、中3秋に池袋に戻ることになった。「埼玉にいたので、東京の高校は知らないですからね」。進路を思案していた時に、中学の1学年上の先輩が自身が通う東京の私立校を勧めた。
学校側も入学金や授業料免除の受け入れ態勢を整え、ほぼ内定した。ところが、中学の担任が二松学舎大の出身で「甲子園に行くかもしれない学校なんだよ。セレクションがあるから受けてみたらどう?」と推してきた。
その1981年秋。二松学舎は選抜を懸けた東京大会で準優勝だった。決勝は荒木大輔投手(元ヤクルト、横浜)を擁する早稲田実に4-8で敗れたものの、最終回までリードする熱戦を繰り広げた。
「秋の結果も全然知りませんでした。セレクションに行ったのですが、後々聞いたら、その日のうちに『絶対に獲る』って決まったらしいです。僕は先に内定をいただいた高校もあるし、二松学舎は全く知らないし。何も分かりません。それで色んな方と話をして、『まあ二松学舎の方がいいんじゃないか』となりました」
■入学直前の1982年選抜大会で準優勝…監督命令で全試合に帯同
二松学舎大付は、野球部の寮と本格的な練習グラウンドが千葉・柏市にある。入部は基本的に誰でもOKだが、入寮は当時、マネジャー1人と選手9人の計10人だけが選ばれていた。「どういうワケか、僕ともう1人の新1年生が“常時合宿”に入れられました。入学する前から入りましたけど」。本人のあずかり知らないところで期待値は上がっていた。
1982年選抜大会に出場した二松学舎大付はエースの市原勝人(現・同校監督)、上地和彦内野手(元ヤクルト)を軸に長野、鹿児島商工(現・樟南)、郡山(奈良)、中京(現・中京大中京=愛知)を撃破し、決勝に進出。PL学園(大阪)の連覇こそ阻めなかったが、全国の頂点にあと一歩まで迫った。
初芝氏には入寮に続き、“英才教育”が用意されていた。入学式も済んでないのに青木久雄監督の命令が飛んできた。
「甲子園に『お前、来い!』と仰られまして。野球部と一緒に行動して宿泊も同じでした。他の新1年生もいると思っていたら僕1人だけ。なんで連れて行かれたのか、今でも分からない。その時は先輩方、みなさん優しいんですよ。僕、お客さんですから。正式に入部した瞬間から『アレッ、この選手こんな人だったっけ?』みたいになるんですが」
先輩たちが輝いた聖地の印象は強烈だった。「5試合全部見ましたから。普通に甲子園に行けるもんだと思ってましたね。あー、俺はここで野球をやるんだ、と。まあ、あの頃は子どもですからね」。57歳の初芝氏は、15歳だった少年時代を懐かしんだ。(西村大輔 / Taisuke Nishimura)
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