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西武に反故されたドラフト指名 「ここは地獄か」18歳が味わった社会人の“現実”

Full-Count / 2024年7月7日 7時20分

取材に応じた元ロッテ・初芝清氏【写真:片倉尚文】

■初芝清氏は高卒でプロ入り希望、西武が4位“確約”も…まさかの展開

「もう野球をやりようがない。辞めていたかもしれません」。ロッテ一筋17年で「ミスターロッテ」と呼ばれ、現在は社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める初芝清氏。高校卒業後の進路は、社会人の東芝府中に決まるまで行き場のない状況に陥ったという。

 初芝氏はエースで主砲だった二松学舎大付高3年の夏、東東京大会決勝で敗れ、甲子園の夢は叶わなかった。しかし、高校最後の打席で本塁打を放つなど、強烈に存在感を示した。「学校とかにプロから何球団か話は来ていたみたいです。『ドラフトで指名はあるだろう』との事でした。うちは母子家庭でしたから負担をかけたくないので、大学進学は選択肢にない。先生には『プロ1本でお願いします』と言っていました」。

 1984年11月20日のドラフト会議。12球団が68選手を指名した中、初芝氏の名前が呼ばれることはなかった。その時点でもショック。「西武からドラフト前日に『4位で指名します』と連絡が入っていたと聞きました」。後に伝わってきた話でさらに落胆した。

 この年は6位まで指名可能で、10球団はフル活用。ところが、西武は3位で打ち切った。「3位までってないでしょ」と今でこそ笑って語れるが、あるはずの指名が消えていた。「西武が助っ人で台湾の郭泰源(投手)を獲った年なので、選手の枠や資金的にそっちに回ったのかなぁ。実際には分かりませんけどね。だけどプロで郭泰源と対戦した時は『お前のせいでー』って燃えました」。後には発奮材料にしたのだが。

■失った行き場「もう野球をやりようがない」…周囲の力添えで得たチャンス

 年末が迫っていた。「プロだけを考えていたので、就職も何も決めていませんでした。11月も終わりの頃ですから、どこの会社だって内定とか既に決まってしまっています。大学も無理だし。どうにもなんない。もう野球をやりようがない」。焦燥感にかられた。

“気は優しくて力持ち”を地で行くような初芝氏の大ピンチ。救うべく周囲は懸命に奔走した。高校の先輩の仲村恒一氏(後に日大監督)が所属する東芝府中の練習に参加できることになった。「夏の大会後はラーメン店でバイトばっかり。一応投手をやってましたからブルペンにも入りましたが、1球投げる度に捕手は首を傾げていました。そりゃあ練習してませんからね。ピッチャーをやる気は全くなかったですけど。打つ方は何とかなった。野手で、すぐ(獲得を)決めてくれたみたいです」。プレーの方はクリアした。

 難関は残っていた。「入社する人の枠が決まっていたし、時期も過ぎている。『もう枠がない』と言われたんですが、監督さんが会社に『1人だけ増やして欲しい』と頼む形で、わざわざ作ってくれたそうです」。筆記試験も待っていた。「とっくに通常の試験は終わっているので、僕1人だけ個室で受けました」。周囲の力添えもあって無事、合格した。「野球を辞めていたかもしれませんからね。助けて頂いた大人の方々に感謝しかないです」。

 社会人の練習はどうだったのか。「毎日『ここは地獄か』と思いましたよ。大学から入って来た選手たちが『東芝府中だけは来たくなかった』って言うんです。いや、あなた達もう入社してるじゃないですかって話ですが。有名だったみたいです。必ず走るメニューがあって、それがとんでもない量。強化合宿なんて最悪でした」。30メートルダッシュが10本、50メートルが10本、70メートルが10本、最後に100メートルを20本。「これがウオーミングアップ。それが終わって個人ノック。みんな、『こんなの出来るかーっ』って悲鳴を上げてました」と回想する。

■東芝府中に入社、3冠王3度の大打者が過ごした環境で急成長

 午前中は出社し、生産部で働いた。「工場の最も奥の建屋で、部品を資材部から取ってくるんです。広い敷地の移動も自転車で回る。部署の偉い方が『君は野球が1番、仕事は2番。そんなに仕事はしなくていいから』と仰ってくれて。部品を取りに行ったら2時間ぐらい帰らなくても大丈夫。本当に有り難い職場でしたね」。

 生活は苦しかった。「最初の給料は寮費とかを引かれて、手取りで月に5、6万円。大卒の給料の高い先輩たちにご飯に連れて行って貰ったりしていました。(20歳を過ぎて飲めるようになった時の)お酒も外へ出るとお金がかかるので、近くの酒屋で買って部屋飲み」。それでもプロを目指す身だ。「やっぱり食べないといけない。寮の食事では全然足りないので」。多少の借金を覚悟してでも体への“先行投資”だけは惜しまなかった。

 初芝氏は東芝府中からロッテに入団することになるのだが、全く同ルートの大先輩に落合博満氏(元中日監督)がいる。「府中のグラウンドのライト方向にはもの凄く高いネットがありました。『落合ネット』って呼ばれてましたね」。プロ入り後に挨拶に赴いた際に「あー、お前か。名前は知ってたよー」と喜んでくれたのは嬉しい思い出だ。

 3冠王3度の大打者も汗を流した場所で、初芝氏は急速にレベルアップした。「あんなに早く補強に選ばれるとは思ってなかったですね」。高卒2年目にして社会人最高峰の大会・都市対抗に、NTT東京の補強選手として名を連ねてみせた。(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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