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勝手に決まった中日入り「おかしい」 契約金交渉も蚊帳の外「親の操り人形みたい」

Full-Count / 2024年7月12日 6時50分

中日でプレーした法元英明氏【写真:山口真司】

■法元英明氏は関西大を3年で中退…1956年に投手として中日入団

 気がつけば家で中日の話がよく出ていた。7月25日の中日OB戦「DRAGONS CLASSIC LEGEND GAME2024」で総監督を務める法元英明(ほうもと・ひであき)氏は関西大を3年で中退し、1956年に左腕投手として中日に入団した。南海に誘われた時は固辞したが、家庭の事情でプロ入りを決断したという。大学時代は投手兼外野手の二刀流だったこともあり、中日首脳陣は打力にも着目。プロ2年目は投手ながら代打でも起用され、15打数7安打の打率.467をマークした。

 関大進学後、投手として急成長を遂げた法元氏の野球人生が転換したのは、大学3年秋のリーグ戦が終わってからだったという。「結局ね、家の状態がちょっと良くなくて、金銭面でね。まぁ、あの頃はみんな貧乏だったけどね。ウチのおとっつぁんも借金があったんだろうなぁ。そういうことは一切言わなかったけど、ある日、突然、おとっつぁんと誰かが話して中日に行くことが決まったんだよ」。

 それ以前に父親の知人である医師を通じて南海から誘われた時は、学生生活優先を希望して「そんなの行かへん」と抵抗。いつしか、立ち消えになっていたが、中日の話の時はそうもいかなかったという。「なんか家でドラゴンズの話ばかりするから、おかしいとは思っていた。『名古屋の中日はお客さんもよう入るんだ』と言い出して、間に入っている人は『法元はバッティングも両方ええからな』とか言いながらね」。

 加えて当時の大学生に、中退してプロの道に進む選手が何人もいたことにも影響された。「立命大の西尾(慈高)さんとか、同志社大の青木(稔)とか国松(彰)とかがプロに行きよるねん。そういうものなのかなと思って見ていた。大学卒業してからだったら潰されるから、みんな今のうちに行くのかとも思ったね」。立命大のエース・西尾は中退して大阪(現阪神)入り。同志社大の右腕・青木、左腕・国松は中退して巨人入りしたし、他にもいた。そんな時代でもあった。

「中日との契約金は100万円台だったんじゃないかな。そういうのを決めるのも僕はノータッチ。給料をもらっても半分は(実家に)送っていた。ほとんど何か親の操り人形みたいだった」と法元氏は話す。だが、こうも付け加えた。「今考えてみたら、4年で卒業していたら、ピッチャーとして下り坂だったから、野球人生としては、あの時プロに入って正解だった気がする」。中退していなければプロの道があったかどうか。そう思えばこれもいい決断だったというわけだ。

■プロ2年目は投手と代打の“二刀流”…3年目に野手へ完全転向

 法元氏は契約前から中日の秋季練習に参加していた。その時からプロ入り前提で動いており「大学にユニホームを返してさ、泣く泣くだったけどね」と当時を思い起こしたが、入団が正式に決まってからは気持ちも切り替えたようだ。「紅白戦でお前、放れって言われて3回を投げて6つか7つ三振をとった。ヒットは1本くらいしか打たれなかったと思う。もう死に物狂いやった。ボールもよく伸びていたと思うよ。ただ肩が長続きする自信はなかったけどね」。

 背番号40。プロ1年目の1956年は3登板で計4回を投げて無失点。登板以外に3試合に代走で起用された。2年目の1957年は6登板で0勝1敗、防御率4.09。「大阪戦で勝利投手になりかけた時に伊奈(勉投手)に代われといわれて、伊奈が打たれたというのもあったなぁ……」と白星をつかめなかった。さらに投手としてよりも打者として評価されるようになった。この年の6月からマウンドに上がらず代打出場が増え、結果も出した。

 7月終了時点での打撃成績は9打数4安打の打率.444。「あいつはバッティングの方がええやろって話になって……」。8月3日の大阪戦(甲子園)に2番手でマウンドに上がり、1回0/3を1失点だったシーズン6試合目の登板が投手としてラスト。その後、2軍調整を経て10月に1軍復帰したが、出番は代打だけだった。10月7日の国鉄(現ヤクルト)戦(中日)でプロ初打点をマークするなど、最終成績は15打数7安打、2打点。「秋の練習からは外野をやらされた。なすがままにね」と野手転向の道に進んだ。

「肩が万全ではなかったので、毎日放る元気はなかったし、野手と言われても抵抗はなかった」と法元氏は言う。「プロに入る時はすぐクビになるとか、怖いところとか、そこまで深く考えていなかった。そもそも僕の技術ではプロなんて無理と思っていたからね。でも案外、打てたんだよね。あの頃は無欲だったからじゃないかな」。大学在学中に気がつけば中日入りの話が出て、導かれるようにプロ入りした法元氏だが、野手転向はその野球人生をいい方向に変えていった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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