ドラ1の秘蔵っ子がトレード「悲しかったなぁ」 中日トップとの“亀裂”…募る後悔
Full-Count / 2024年7月19日 6時50分
■法元英明氏が担当した初のドラ1は田尾安志…事前接触は自重した
中日元外野手で、伝説のスカウト・法元英明(ほうもと・ひであき)氏が担当した選手で、初めてドラフト1位になったのが同志社大の田尾安志外野手(現・野球評論家)だ。1975年、法元氏がスカウト7年目のことだったが「田尾とは入団の時のいきさつはそんなにないんだよね」と話す。それもそのはずだった。指名するまで、敢えて意図的に遠巻きに見ていたからだ。なぜ、そうしたのか。そこには法元流の考え方があった。
中日、西武、阪神で活躍し、楽天の初代監督も務めた田尾は大学時代、投手と野手の二刀流選手だったが、中日は最初から打者として評価していた。法元氏は「あの時のドラフト1位は投手なら中央大の田村(政雄)、打者なら田尾と決まっていた」と明かす。「中日には谷沢(健一)とか藤波(行雄)とか谷木(恭平)とか左の外野手がいたんだけど、それでも田尾を推す僕の意見に(球団の)総務らが賛成してくれたんですよ」。
ただし、優先順位は投手の中大・田村が上。「田村がアカンかったら、田尾となっていた」という。そして迎えた運命の日。1975年11月18日に東京グランドホテルで開催されたドラフト会議は、抽選で12球団の指名順を決める方式で中日は9番クジだった。結果、中大・田村は3番クジの大洋に持っていかれ、中日は打者ナンバーワン評価の田尾を指名できた。その瞬間、法元氏担当の初のドラ1選手が誕生したのだ。
もっとも田尾が「中日は頭になかった」と話したように、法元氏は事前に指名を確約するような動きなどは一切見せていなかった。「選手に近づいて、その選手を好きになってしまっても、必ず獲れるってわけじゃないし、スカウトとしての冷静さを失ってはいけないと思った。田尾に関しては出身中学なども含めて調べはついていたし、技量も神宮や西京極で何回も見て、わかっていたからね」。中日が確実に1位指名すると言えない状況が、法元氏の動きを止めていた。
「田尾はものすごくいい奴と聞いていたし、いい奴だったら、余計欲しくなる。そんな感情が入るのはよくないと思った。だから心の中で“野手は田尾”ってずっと思っていたんだよ。でも、その田尾がどんどん有名になってしもうたんよねぇ。中日はピッチャーを獲りたいと言っているのに、僕が勝手に“君が欲しい”とかも言えないじゃない。もうその時はドラフト1位クラスの選手になっていたからね」。期待させて裏切ることになってはいけないと考えていたわけだ。
■田尾は1985年に西武へトレード移籍「あの時は悲しかったなぁ」
プロ入りの意思があることは調査済みだった。「社会人の新日鉄堺とかが田尾のところに来ているということは知っていたけど、(同志社大監督の)渡辺(博之)さんが『あれはプロですね』と言ってはったからね」。プロでは広島が田尾獲得に熱心なのも薄々わかっていたという。「だけど、渡辺さんにもガチャガチャ近寄ったらいかんと思ったから離れていたよ。ある程度の距離を持ってね。だから、その頃の田尾は僕のことを知らへんかったんよ」。
1位・田尾を予定していた広島は、ドラフト会議で中日の次の10番クジを引いていた。順番が逆だったら中日・田尾は実現していなかった。中日の指名に田尾はもちろん驚いたようだが、法元氏にとっても紙一重の“攻防”だった。「初めて田尾と話したのは入団交渉の時になったけど、僕はそのやり方でよかったと思っている。今では親子みたいな付き合いもしているけどね」と法元氏は笑みを浮かべながら振り返った。
田尾は入団1年目の1976年に新人王。1981年から4年連続打率3割をマークするなど、中日の中心選手として活躍した。中日が優勝した1982年はセ・リーグ2位の打率.350。大洋・長崎啓二外野手と首位打者を争い、優勝を決めたシーズン最終の大洋戦(横浜)での5打席連続四球も大いに話題となった。だが、1985年の春季キャンプ前に杉本正投手、大石友好捕手との2対1の交換トレードで西武へ。その後、阪神に移籍し、1991年シーズン限りで現役を引退した。
法元氏は西武へのトレード劇を今でも悔しそうに話す。「田尾は(当時の中日)鈴木(恕夫)代表のことを何もわかってへんかったんだよ。選手会長だったから言いたいことを言っていたら、しっぺ返しをくらったような感じだったからね。あの時は悲しかったなぁ。田尾のトレードなんてあるわけないと思っていたからねぇ……」。
1986年オフには同じく法元氏が担当した牛島和彦投手(1979年ドラフト1位)も、落合博満内野手との交換トレードでロッテに移籍した。その都度、事情があってのこととわかってもいても、とてもつらい気持ちになったのは言うまでもない。初のドラフト1位・田尾を獲得した当時を思い出しながら、法元氏は何とも言えない表情を浮かべていた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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