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マーティンは活躍できる? 最強助っ人、優勝監督&MVPも…パで活躍した“兄弟選手”

Full-Count / 2024年7月20日 20時50分

ロッテのアンディ・マーティン【画像:パーソル パ・リーグTV】

■レオネス・マーティンの弟・アンディがロッテ入り

 茨城アストロプラネッツでプレーしていたアンディ・マーティン外野手がロッテに加入することが、2日に発表された。2019年から2022年までロッテで活躍したレオネス・マーティン外野手の弟でもあり、兄と同様に幕張のファンを沸かせる活躍を見せられるかに注目だ。過去の事例に目を向けると、兄弟揃って同じチームに在籍し、確かな存在感を放ったケースは少なからず存在している。過去にパ・リーグで兄が在籍したチームで活躍を見せた4人の選手たちについて、詳しく紹介していきたい。

○レオン・リー氏

 レロン・リー氏は1977年にロッテオリオンズに入団し、来日初年度から打率.317、34本塁打、109打点を記録。本塁打と打点の2冠に輝き、異国の地で実力を証明した。1978年には弟のレオン・リー氏も来日。兄弟ともにロッテ打線の中軸を担うことが期待されていた。兄のレロン氏は1978年も打率.317、30本塁打、88打点と、前年同様にハイレベルな成績。弟のレオン氏も打率.316、19本塁打、73打点と高い打撃技術を発揮して、兄とともに主力打者として対戦相手の脅威となった。

 レオン氏は来日2年目の1979年には本塁打数を35とほぼ倍増させ、打率.304、93打点と優秀な成績。1980年には打率.340、41本塁打、116打点と、打撃3部門全てでキャリアハイとなった。同年には兄のレロン氏が打率.358で首位打者を獲得しており、兄弟で打率ランキングの1位と2位を占めるという快挙を達成した。レオン氏は1983年にロッテを離れたが、大洋とヤクルトでもシーズン30本塁打以上を記録。NPB10年間で1436安打、268本塁打という数字を残した。レロン氏は11シーズンにわたってロッテでプレーし、NPB歴代最高となる生涯打率.320を記録。まさにNPB史に残る強打の兄弟選手として、比類なき活躍を見せた。

○金田留広氏

 金田留広氏は1968年ドラフト4位で東映(現日本ハム)に入団し、プロ1年目の1969年に206イニングを投じて18勝を記録。1970年は自己最多の316回1/3を消化し、24勝を挙げて防御率2.71というキャリアハイのシーズンを送った。プロ4年目の1972年には20勝を記録して自身初の最多勝に輝くなど、リーグ屈指の先発右腕として活躍した。1974年に兄の金田正一氏が監督を務めるロッテに移籍すると、2年ぶりとなる200イニング超えを果たして16勝を挙げ、自身2度目の最多勝を受賞。チームのリーグ優勝と24年ぶりの日本一にも大きく貢献し、リーグMVPにも輝き、指揮官の兄・正一氏とともに勝利の美酒を味わった。

 1975年以降は勝ち星こそ伸び悩んだものの、ロッテでプレーした5シーズン全てで100イニング以上を消化。5シーズン中4度が防御率3点台以下、そのうち2度は防御率2点台と安定した投球を見せ、主力投手としてチームを支えた。兄の正一氏が監督の座を辞した1979年には広島へ移籍し、防御率2.93でチームのリーグ優勝に貢献してみせた。留広氏は兄の正一氏と同じチームで現役としてプレーすることはなかったが、指導者に転身した兄が率いるチームで主戦投手を務めた。兄は優勝監督、弟はリーグMVPというシーズンを送った1974年は、金田兄弟にとってまさに最高のシーズンと形容できるものだった。

■西武黄金期の礎築いた博久&雅之の松沼兄弟

○松沼雅之氏

 松沼雅之氏は兄の博久氏とともに、1978年のドラフト外で西武に入団。博久氏は1979年に新人ながら212回2/3を投げて16勝を挙げる活躍を見せ、新人王を受賞した。一方、雅之氏は39試合で4勝5敗、防御率4.55とプロの壁に苦しんだが、1980年には33試合で175回1/3を消化し、12勝1セーブと実力を証明。同年に博久氏も2年連続で200イニングを突破して9勝を挙げ、兄弟揃って先発ローテーションへの定着を果たした。雅之氏は同年から5年連続で2桁勝利を達成し、1981年以降は4年連続で防御率3点台以下と、先発の柱の一人へと成長を遂げた。

 1982年には博久氏が10勝、雅之氏が11勝と、プロ入り後初めて兄弟揃って2桁勝利。1983年に雅之氏はキャリア最多の15勝を挙げ、12勝を挙げた博久氏とともに、2年連続のリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。雅之氏は1984年にも11勝を記録するものの、1985年以降は故障の影響で投球イニングが大きく減少。1987年には21試合で5セーブ、防御率2.00と復活の兆しを見せたが、1軍登板なしに終わった1989年限りで現役引退。通算112勝を挙げた博久氏とともに西武黄金時代の礎を築き、兄弟投手としてファンに親しまれた名投手だった。

○田中靖洋氏

 田中靖洋氏は2005年の高校生ドラフト4巡目で西武に入団し、プロ5年目の2010年に1軍デビュー。2015年には18試合で防御率1.35と過去最高の成績を残したが、同年オフに自由契約となり、トライアウトを経てロッテに移籍した。兄の田中良平氏も2000年のドラフト1位でロッテに指名されてプロ入りしたが、通算5試合で防御率8.10と結果を残せず。かつて兄がプレーした球団に加入した靖洋氏は、移籍初年度の2016年に17試合で防御率2.76。2017年も13試合で防御率1.98と優秀な成績を残し、2018年には32試合と大きく登板数を増加させた。

 2019年には44試合で4勝を挙げ、防御率2.72とキャリア最高のシーズンを送った。2020年は防御率2.45と好投しながらも故障の影響で8試合の登板にとどまったが、2021年は38試合で自己最多の10ホールド。終盤に調子を落として防御率は4点台となったが、幅広い起用に応えて優勝争いにおける貴重な戦力となった。良平氏がかつて在籍したロッテで、リリーフ陣の一角として7年間にわたって活躍を見せた靖洋氏。苦戦を強いられた兄の分まで幕張の地で躍動した姿は、兄弟選手の系譜を紐解くうえでも興味深いケースの一つとなっている。

 レロン・リー氏とレオン・リー氏、松沼博久氏と松沼雅之氏は、いずれも兄弟揃って同じチームで主軸として活躍した。それだけでなく、兄が監督を務めるチームで日本一に大きく貢献した金田留広氏、かつて兄が在籍したチームで確かな足跡を残した田中靖洋氏のような例も存在しており、兄弟選手の活躍には多種多様なケースがあることを示している。アンディ・マーティンも、同じくロッテで活躍したリー兄弟のように、優良助っ人として球団史にその名を刻めるか。パ・リーグに挑戦する新たな兄弟選手として、そのプレーに注目してみる価値は大いにあるはずだ。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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