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阪神戦力外→よぎった“コンビニ勤め” 塁間が精一杯の肩…再就職先で変わった境遇

Full-Count / 2024年8月26日 6時50分

元阪神・的場寛一氏【写真:山口真司】

■的場寛一氏は2005年オフに阪神から戦力外…社会人のトヨタ自動車入り

 元阪神の的場寛一氏は2005年に戦力外通告を受け、社会人野球のトヨタ自動車入りした。思い出作りレベルで12球団合同トライアウトに参加したところ、声がかかった。元プロのプライドなんて関係なかった。トヨタ2年目の2007年には4番打者に定着し、社会人野球日本選手権初優勝に貢献。チームに欠かせない男になったが、これには阪神時代に野村克也監督のミーティングを書き写した“野村ノート”が大いに役立ったという。

 2005年11月7日はファイターズ鎌ケ谷スタジアム、11月25日は神戸総合運動公園サブ球場、この年2度行われたトライアウトに阪神戦力外の的場氏の姿があった。「何か記念にと思って、一応受けておこうとなった。絶対、他の球団が拾うわけないわって思いながら行きました」。その年の3月に痛めた右肩の状態は万全ではなく「シートノックに入らず、バッティングだけでいいですかと言って、最後の野球を楽しもうと思ってやっていました」という。

「結果はほぼフォアボールで、何やねんって思いましたけどね」。この時点では野球は諦めるしかないと考えていた。「コンビニのフランチャイズとか、そういう仕事も検討していた。『どこのコンビニにしようか』みたいな話もしていた時に阪神で担当スカウトだった永尾(泰憲)さんから『世界的規模の会社からの話がある。いついつにセッティング、どうですかってなっているから、ちゃんとスーツを着て、早めに行って待っときなさいよ』と連絡があったんです」。

 それがトヨタ自動車からの誘いだった。「その年のトヨタは日本選手権で左ピッチャーを打てずに負けたそうで、右バッター、誰かおらんかって、トヨタの編成の人がトライアウトリストを見たら“的場がおるやん、これどうや、ちょっと話してみようか”ってなったと聞きました。僕のことは大学(九州共立大)の時も獲りにいっていたそうです」。これにはトヨタの佐々木雅次野球部長が阪神・岡田彰布監督の早稲田大時代の1年先輩ということもあった。

「佐々木部長が岡田さんに連絡をして『実際、的場はどうか』と聞いたところ『全然使えるよ。バッティングええよ』と言ってくれて、その一言でよし獲ろうと進めたそうです。『これまでのヒット集とかないかな』と言われたので家に帰って編集して送りました。運がいいことに人事部長も阪神ファンで『的場ならええよ』みたいにもなって……」。阪神時代に痛めた右肩の影響で「『塁間くらいしか投げられないんですけど、それでも大丈夫ですか』と聞いたら『大丈夫、バットで貢献してくれ、これまでの経験を若い子に伝えてくれればいいから』と言われて、年内には入社が決まりました」。

■磨きかかった打棒…野村ノートは「30代になってから生きました」

 元プロのプライドについては「僕は別にそういうのはなかった」と言う。「トヨタの選手は名門高校、名門大学の卒業生ばかりだし、レギュラーになれるのかなと思ったくらい。俺はプロだ、みたいな感じでいって、変なふうに思われたら駄目なので、謙虚にいこうと人一倍努力しようと思いました」。結果を出すことを意識した。「結果を出してみんなに仲間として認めてもらおうと思って必死でした」。そんな努力が実った。トヨタの主力打者として活躍した。

「仲間に恵まれて、仲良くさせてもらいました。めちゃくちゃ楽しかったですよ。最初は5番で翌年からは4番になって。打つだけでファーストしか守れなかったんですけどね」。トヨタ自動車は2007年、2008年と日本選手権を連覇した。2009年は都市対抗準優勝、的場氏は一塁手で大会優秀選手にも選出された。「とても充実していました。もちろん、社会人野球も練習が厳しいんですけど、やりがいがありました」。

 阪神時代の経験も無駄にしなかった。「岡田(彰布)さんに教えてもらった打撃論とか、いろんなコーチに教えてもらったことをかき集めて、自分なりにちょっとアレンジして、それが社会人野球ではうまくはまったというか、よくなったと思います」。そして、こう続けた。「1番はやっぱり野村ノートですかね。野村監督ってこんなことを言っていたんだなってわかったのが社会人野球に入ってからでしたからね」。

 阪神・野村監督のミーティングを聞いて、書き込んだノートが役に立った。「あの頃はお経みたいに聞こえていたことが30代になってから生きました。こういう場面、相手はこうやって考えているから、こういう球を待ちましょうとか、相手心理を読んでの野球。『野村さんはこう言っていたよ』と若い子に伝えたら『そんなの教えてもらったことがなかったです』となって、それでさらにコミュニケーションがとれたというのもありましたね」。

 的場氏はトヨタ自動車で野球人としての輝きを取り戻した。「阪神の時の悔しさをパワーに変えたというのもありますね。負け犬のまま終わっていいのかっていうのがありましたから。逆に何か集大成でしたね。バッティングは以前よりも、よくなりましたしね」と笑顔で話した。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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