阪神監督に「お前はホンマにバカだな」 HRゼロ→翌年規定到達で13発…響いた“説教”
Full-Count / 2024年9月5日 6時50分
■濱中治氏は4年目まで1軍に定着できず…「もどかしさがありました」
1999年シーズンから阪神監督に野村克也氏が就任した。ヤクルトをリーグ優勝&日本一に導いたID野球を虎にも浸透させるべく動いたが、結果は3年連続最下位に終わった。しかしながら、この間に叩き込まれた配球面などの“野村の考え”が後に役に立ったという声は数多い。元阪神4番の濱中治氏(野球評論家、関西独立リーグ・和歌山ウェイブスGM)もその1人だ。「『お前は何でバカなの』って、よく言われましたけどね」と野村氏のゲキを思い出しながら感謝した。
濱中氏は高卒プロ1年目の1997年に1軍で6試合に出場した。「吉田(義男)監督が経験を積ませてくれたと思います」。それを生かそうと臨んだ2年目(1998年)は9月に1軍昇格して11試合、22打数9安打の打率.409の成績を残した。10月1日のヤクルト戦(甲子園)では初のクリーンアップ、「5番・左翼」で起用されて4打数2安打、プロ初打点もマークするなど、着実に力をつけていった。そして3年目(1999年)に野村監督体制になった。
背番号は「66」から「25」に変わった。「野村さんに66番は重たいだろうから、25番に変えたらどうだって言われた。うれしかったですね。若い番号というのには憧れていたのでね」。若手の成長株として期待されてのことだったのは言うまでもない。濱中氏は意気に感じて3年目の飛躍を目指した。だが、35試合、70打数14安打の打率.200、0本塁打、4打点。思うような成績は残せなかった。
「2年目もそんなに打席数があったわけではないですけど、プロではすぐ研究されますからね。攻め方とかね。3年目はそれに戸惑いというのはありましたね」。2軍では活躍したが、1軍の壁は分厚かった。阪神2軍が7-3で勝利した1999年10月9日の日本ハムとのファーム選手権(浦添)では「4番・左翼」で5打数3安打6打点。2回に先制アーチ、6回には満塁弾を放ち、MVPも受賞した。しかし、4年目(2000年)も9試合、15打数4安打、0本塁打、0打点に終わった。
3年目同様、1軍ではチャンスをつかみきれなかった。「この3年目、4年目の2年間はホント苦しみましたね。1軍に呼んでもらっても、打てなくてまた落とされるというのがけっこうありましたし……。もどかしさがすごくありました」。1軍にいる期間は長くなかったが、そんな中で野村監督の指導をよく受けたという。「特に4年目ですね。打てなかった時とか、(2軍に)落とされる時とか、監督室に呼ばれたりとかして……」。
■野村克也監督から学んだ配球…「何か楽しくなってきた」
この時の野村監督の言葉が濱中氏にとっては大きなものだった。「その頃は野村さんに『なんでお前は頭を使わないんだ』って常に言われましたね。野球って、特にバッティングでいったら1球、1球の考える時間って無茶苦茶長いスポーツじゃないですか。『もっともっとお前は打席の中で考えてやらないと終わってしまうよ』ってね。打てなかった時には『お前はホンマにバカだな。何でバカなのか』とも言われました」。
配球を読みなさいということだ。「1球、1球、(相手の)攻め方が変わってくれば、そこら辺の勉強をしなさいっていうことはずっと言われていた。僕はそれまでストレート待ちで変化球に対応するという形をとっていて、それが一番いいんだろうって思っていたんですけど、野村さんは1球ごとにもっと考えないといけないと……」。最初の頃はまだピンと来ていなかったようだが、時が経つにつれて、濱中氏にも変化が起きていった。
「試合中に野村監督の近くによく座らされたんですけど、次は何が来るとか、ブツブツブツよく言うんです。それがほとんど当たっているんですよ。特にフォークが来るタイミングはうまかったですね。すごいな、この人って思いました。結果が出なかった僕にも『何でお前、あそこでスライダーを待たなかったんだ。あんなところで真っ直ぐが来るわけないやろ』とか……。そこで初めて僕も配球ってそんなに大事なんだなって思いましたね」
それから配球を研究しはじめた。「2軍にいて、1軍のナイターをテレビで見ていても“次、何来るんだろうな”という見方をするようになった。このバッターにはこういうのが多いなとか、内に来るタイミングって、こういうタイミングだなとか、そういう目で見るようになったら、何か楽しくなってきたんです。野村監督が考えろというのは、こういうことなんだってね」。
そんな4年目の勉強の成果が5年目(2001年)に出た。110試合に出場し、規定打席にも到達して打率.263、13本塁打、53打点。2軍でくすぶっていたのが一転しての飛躍だ。「野村監督の言葉がなかったら、配球の勉強もしていなかったかもしれない。野村さんのおかげだと思っています。感謝しています」。濱中氏にとって野村監督は間違いなく恩人のひとりだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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