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「糸井くん、野手やりなよ」“超人”の才能にいち早く気付いた新庄剛志監督の慧眼

Full-Count / 2024年9月9日 8時20分

今なお超人的な体に磨きをかける糸井嘉男氏【写真:イワモトアキト】

■現役時代に生み出した様々な“超人伝説”…その真偽はいかに

 抜群の身体能力から“超人”の異名をとった糸井嘉男氏は、2022年限りで引退した今もなお日々トレーニングに励み、強靱な肉体を誇っている。現在は野球解説者としてプロ野球中継はもちろん、ABEMAのMLB解説などで人気を博しているが、日本ハム、オリックス、阪神で強打の外野手として活躍した現役時代には、様々な“超人伝説”を生み出した。今回、糸井氏自身がその真実について明かす。

 現在、メジャーでは言うまでもなく、ドジャースの大谷翔平投手が大活躍中。糸井氏はオリックスに在籍した2013~16年の4年間で、日本ハム時代の“投手・大谷”と何度も対戦を重ね、進化の過程を体感したという。さらに、“打者・大谷”にも「札幌ドームでの試合前、日本ハムのフリー打撃の時間は、ビジターの僕たちのウオーミングアップの時間にあたるのですが、大谷くんが打っていると僕たちはウオーミングアップにならなかったです。彼が見たこともないところまで打球を飛ばすので、みんな口を開けて見とれていた。当時はギータ(柳田悠岐外野手)もすごかったけれど、彼がかすむくらいの飛距離でした」と衝撃を受けた。

「大谷くんはメジャーに行ってからも成長を続けていますが、僕にとっては、まだ粗削りだったプロ入り当時から、どんどん完成されていく姿を、対戦相手として見ることができたことが幸運でした」と目を細める。もっとも、糸井氏自身も“破格”の野球人生を送った1人である。

■野手としての才能にいち早く気付いた人物とは…

 2003年のドラフト自由獲得枠で、近畿大から日本ハム入りした時は投手だった。2年間1軍登板なしに終わり、3年目から野手に転向。レギュラーの座をつかんだのは6年目の2009年で、すでに28歳の遅咲きだった。そこからシーズン打率3割を9回、首位打者1回、最高出塁率3回とバットで鳴らした。オリックス時代の2016年には35歳にして53盗塁を記録し、盗塁王に輝いている。

 実は、糸井氏の野手としての才能にいち早く気付いたのは、現日本ハム監督の新庄剛志氏だった。投手時代の春季キャンプでウオーミングアップ中、当時現役だった新庄監督から突然「糸井くん、君、野手やりなよ」と声をかけられたという。「僕の走り方を見ていて、ひらめいたそうです。新庄さんって、すごいですよ。ノリや直感であまり深く考えてはいないイメージですが、いろいろなところを見ている。今も選手のいいところを見極めて伸ばすのがうまい監督ですが、昔からのことです。新庄さんに関しては、(香水の)すごくいい香りがしていたことと、かけていただいた言葉が忘れられません」と語る。


「視力を3.0にしてください」と言ったワケとは…【写真:イワモトアキト】

■「そんなことを言う人はサーファー以来2人目だよ」

 また、数々の伝説の中には「視力が1.0以上あるにも関わらず、レーシック手術を受けて2.0になった」というものがある。真実はどうなのか。

「正確に言いますと、1.0と0.9だった視力が両目2.0になりました」と糸井氏。「当時ちょうどレーシック手術が流行っていましたし、僕は野手転向直後で、単純に『視力がいい方が打てるのではないか』と考えました」と振り返る。「視力を3.0にしてください」と頼む糸井氏に、医師は「必要ないよ。そんなことを言う人は、サーファー以来2人目だよ」と困惑していたという。

 結局「2.0になって、スコアボードの電光表示や外野の広告はものすごくクリアに見えるようになりましたが、ボールの見え方は全く変わりませんでした」というオチを披露。「なんなら、オリックス時代に自主トレを一緒にやらせていただいたイチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)いわく、『視力なんて悪い方がいい。ぼやけているくらいがいい』とのことです」と豪快に笑い飛ばした。

 超人は超人を知る――。野球解説者として活躍する中で、糸井氏だからこそ理解できる高いレベルの感覚がありそうだ。(Full-Count編集部)

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