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「間違いなくNo.1」OB絶賛のGG賞遊撃手 2連覇導いた鉄壁守備は「見たことなかった」

Full-Count / 2024年9月9日 7時10分

現役時代の日本ハム・金子誠【写真提供:産経新聞社】

■マイケル中村氏が日本ハム時代を振り返る

 日本ハムや巨人で救援投手として活躍したマイケル中村氏には、忘れられない“相棒”がいる。今夏には、メルボルン地域のU-16代表チームのコーチとして来日。ZOZOマリンスタジアムでのロッテ-オリックスの試合を訪問し、日本ハム時代にともにプレーしたチームメートと旧交を温めた。

 試合前にはロッテの吉井理人監督、金子誠コーチ、オリックスの中嶋聡監督、厚澤和幸コーチらと談笑した。特に中嶋監督は、ファイターズ時代、クローザーとして登板する中村氏に合わせて出場し「抑え捕手」と呼ばれたかつての相棒である。

「中嶋さんはいつも僕の心を読むのが上手だった。彼とバッテリーを組むときは、次に何を投げるか、配球で悩むことがなかった」

 捕手・中嶋のサインを見ると、だいたい自分の思った通りの球種とコースのサインが出ている。「バッテリー間のリズムが合っていると感じることが多かった。逆に、思っていたのと違う球種のサインの時でも、『大丈夫、これを投げてこい』と言わんばかりのサインの出し方をしてくれる。自信をもってサインを出してくれるので、こっちも信頼できるし思い切って投げることができるんです」。それで結果が出るから、さらに信頼も高まっていった。

 中村氏の状態を把握することにも長けていた。「中嶋さんから見て今日はスライダーのキレがないなと思ったら、代わりにカーブのサインを出して配球の軸にしてくれる。そういう時はこちらも何となく、スライダーの切れが悪いと感じていたりするんです」。

「配球については中嶋さんに頼ることができていたので、投手としての大きな負担の一つを取り除いてくれていましたね。しかも肩が強くてキャッチングも上手い」。ファイターズでは4年間で102セーブを記録し、特に2006年は当時のパリーグ記録となる39セーブを挙げるなど大活躍したが、中嶋氏の存在が大きかった。


日本ハムなどで活躍したマイケル中村氏【写真:編集部】

■当時の日本ハムは「とても強くて一貫性のあるチームだった」

「僕が在籍していた2005〜2008年は、とても強くて一貫性のあるチームだった。良い選手、指導者が集まっていて、集団としてもよく機能していた」

 中でも、金子氏には現役時代に守備面で大いに助けられたという。「あんなに上手なショートは見たことがなかった。一緒にプレーした選手の中では、間違いなくナンバーワンのショート。体が大きいのに動きが素早いし、何よりミスがない。何度も助けられましたね」と回想する。

 吉井氏と厚澤氏の両投手コーチのことも、懐かしく振り返る。「ダグアウトにいる投手コーチとブルペンにいる投手コーチの連携がうまく行かないと、投手交代のタイミングでバタバタする。ブルペンでほとんど投げられないまま試合に入った、などという話もよく聞かれるけど、当時のファイターズでは、そういうことはほとんどなかったんじゃないかな。リリーバーたちはやりやすかったと思う」。

 中村氏は2006年、2007年にはリーグ連覇を経験。2006年には日本シリーズで胴上げ投手となった。「自分の中でも、ファイターズへの思いというものは、特に熱いものがあるんです」。日本時代の輝かしい思い出だ。(伊村弘真 / Hiromasa Imura)

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