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青木宣親「監督はやってみたい」、愛妻に「感謝」 村上は号泣…引退会見の一問一答

Full-Count / 2024年9月13日 13時28分

引退会見に登場したヤクルト・山田哲人、青木宣親、村上宗隆(左から)【写真:松本洸】

■「一日一日をやってきたので、気付いたら21年、凄い早く時間が過ぎた」

 ヤクルトの青木宣親外野手が13日、都内で引退会見を行った。冒頭で「お忙しい中お集まりいただいてありがとうございます。2024年のこのシーズンを持ちまして引退することを決意しました。たくさん質問してください」と話し、1時間弱にわたって報道陣の質問に丁寧に答えた。日米通算21年間の現役生活に別れを告げる42歳の一問一答は以下の通り。

――決断した今の思いは。
「ホッとしています」

――理由とタイミング。
「決断したのは最近ですね。シーズン途中からなんとなく今年で最後かなと思っていた。そんな中で終盤に考えが変わるかもとそこの隙間はつくっていたんですけど、気持ちが変わらなかったので決断しました」

――それは体的な問題か技術的な問題か。
「一番は自分が思ったパフォーマンスをファンに見せることができない」

――球団に伝えたのは。
「本当に最近です。数日前です。球団からの言葉? お疲れさまと」

――ヤクルトで15年間、この時間はどんな時間。
「21年間ということを思うと凄く長いように感じるんですけど、ただ本当に一日一日をやってきたので、気付いたら21年、凄い早く時間が過ぎた気がしています」

――支えとなった原動力は。
「そうですね……。いろいろな思いを持ってプレーをしていたんですけど、やはり家族の支えは大きかった」

■高津監督に報告「お疲れさまという感じでした」

――家族には。
「妻には早い段階で伝えていたんですけど、娘には本当に最近です」

――反応は。
「泣いていましたね。やはりプレーをいつまでも見ていたかったでしょうし、子どもに伝えるときが一番つらかったですね」

――感謝の言葉は。
「妻にはいつも支えてもらっていましたけど、特に米国に行った6年間は異国で大変な思いもしましたし、苦しいときもいつも支えてもらったので、奥さんにもすごく感謝しています。当然子どもたちの存在と言うのも自分にとって野球にやるにあたって活力になる気持ちがいつも芽生えていたので、子どもたちを見るたびに。いつまでも現役でやっている姿を見せたかったですけど、そこは泣いているのを見てもう1年やっていいのかなとか、そんな気持ちも少しはなりましたけど」

――一番印象に残っていることは。
「21年もやっていたので本当にいろんなことがあったんですけど、ワールドシリーズ出たこともそうですしWBCで優勝したこともそうですし、でもその中でやはりヤクルトで日本一になったこと。それが一番自分の中で心に残っています」

――3年前の日本一について。
「入団した時からヤクルトにいて、愛着があったので、そんな中去っていく形で米国でプレーしてまた帰ってきて、やはり心残りだったのはヤクルトで日本一になっていないこと。それが達成できて、自分としてはその辺でちょっと、ほぼほぼ自分のやりたいことは達成したなと、そんな気持ちもありました」

――監督、選手への報告はしたのか。
「そうですね。一部ですけどしています」

――高津監督からは。
「お疲れさまという感じでした」

■2学年上の石川へ「相談することも多かったし、助かったことがたくさん」

――日本復帰後、後輩たちへどういう思いで接していたのか。
「自分の方から話しかけていきました。なかなかベテランなので若い選手から話しかけやすい状況にはないと思って、自分から話しかけて自分を知ってもらってそこから会話が弾むように、なんでも聞ける雰囲気をつくって距離を縮めてはいきましたけど」

――村上とは1年目オフから合同自主トレ。成長する姿を間近でどう見ていた。
「年々成長していったので、今でこそ苦しんではいますけどそれもプロ野球生活の中では必要なことだと思っているので、これからの野球人生、幸せな野球人生を送ってほしいとは思いますけど」

――石川さんの存在。反応は。
「周りを見渡しても、同じくらいの年齢は石川さんだけだったので、その辺はヤクルトのいい時も悪いときも知っているような近い先輩なので相談するときは石川さんが多かったし、石川さんがいてくれて助かったことがたくさんあります。『もう1年やろうよ』って言っていたんですけど、自分が決断したことなので」

――ファンに伝えたいこと。
「ファンの声援は大きくて、特にヤクルトのファンの方の声援って真心のこもった声援という印象を持っています。あったかさを感じるような、選手からしたら本当にありがたい声援ばかりで、自分にとっては、だからこそ頑張ろうと思いましたし、何とか期待に応えたい気持ちでいつもいました」

――神宮球場。
「18歳で上京してから神宮球場で試合をするということは、初めてプロの球場で試合したのが神宮球場でしたし、六大学のときからずっと使っていましたから、この神宮の雰囲気で凄く好きで、運よくヤクルトに拾ってもらってそこでプレーして、本当に愛着のある球場です」

――野球人生に点数をつけるとしたら。
「100点満点です。苦しいこともいいことも全て。いいことばかりでは自分の人生楽しくないと思うので、やはり苦しみながら結果を残して、だからこそうれしいし、そうやって自分を高めることができた。凄く大きく成長していったような気がするので。間違いなく入団した時よりしっかりした考えを持って毎日生活できていたと思う」

――どんな野球人生だったか。
「本当に幸せな野球人生だったと思います。やり残したことがない状況で現役生活を終わることができた。本当にこれまで関わってくださった皆さんに本当に感謝しています」

■第二の人生は「いまだに野球が好きなので野球関係の何かをするだろうな」

――これからのチームに伝えたいこと、残したいこと。
「自分ができるという自信とか情熱とか、そういったものは必ず持っていてほしいです。これだけの大観衆の前で毎日プレーするのがどれだけ大変なことかっていうのはあるんですけど、そういう気持ちがないと毎日毎日スイッチを入れられないと思うので、そういう気持ちが大事なんじゃないかなと思います」

――第二の人生イメージは。
「今は……漠然としていますけど、これだけ野球をやっていていまだに野球が好きなので、絶対に野球関係の何かをするだろうなというのはあります。野球絡みであれば。本当に野球が好きなので」

――21年間貫き通せたもの、こだわり続けたこと。
「諦めなかったことですかね。無理だなとか、人が無理だとか言っていても自分さえ信じていれば大概のことは叶うと思っているので。もしかしたらこの状況はもうだめかもしれないというところから何とか粘って踏みとどまったシーンが多くあった。やはり諦めなければどうにかなるんだなというのはありました」

――思い浮かべるシーンは。
「一番と言われると本当に難しいんですけど、なんとなく自分のキャリアを見たら順風満帆に見えるかもしれないですけど大変な思いをしてきたので。あのプレーがなければとか、そういうプレーがなければ自分はこの場にいなかったみたいなことがたくさんある。そういう場面場面での勝負所。そういうものが野球のみならず人生いくつもあると思うんですけど、それをうまく自分のものにしていった。苦しい時期と言われても、全てがこの世界で生き抜いていくためにやってきたことなので、一番と言われるとちょっとすみません」

――支えになっていた言葉、大事にしていた言葉。
「諦めないとか、そういったことは思っていたことですね」

――野球を始めたときの自分に言葉を掛けたい誇れることは。
「諦めなかった。どれだけ諦めていないんだって話ですね(笑)。本当に諦めていないかもしれない。今思いました、ありがとうございます」

■村上&山田がサプライズ登場で花束贈呈「関係が結構深い。2人には感謝」

――花束贈呈の村上が涙を流して感謝の思いを伝えた。
「関係が結構深い。外で見えている以外のところで接することが多かったから思い入れも人一倍。当然(山田)哲人もミスタースワローズを背負って、はじめ23番をつけていたのもそうだし凄く縁を感じるし、その後キャプテンをやりたいといって引っ張ろうという気持ちが出ていましたし、いろいろな面であの2人に感謝しています」

――これからのスワローズを背負って立つ期待。
「自分の行動とか言動でいろいろやってきたので、ああいうことをやったほうがいいとか分かっていると思う。場面で考えて行動していけばいい。自分から何をしていけばいいとか、そういうことはない」

――ヤクルトへの愛。
「縁があったってことですよね。世界中にこれだけいて出会わない人は出会わない。会ってここでプレーして、米国行ってもまた帰ってきて、感謝しかないですよね」

――どういうところが好き。
「入ったときからメリハリがあるというか、皆さんが持っている印象のまま。やるときはやるし、かといってみんなで楽しんでいる。学校のような雰囲気もある。そこは童心にかえるというか、クラブハウスに行くと、ギスギスした感じより職場が楽しい方がいいし、明るく前向きにしやすい環境がヤクルトにはあると思うので、それは自分も伝統として受け継いできたつもりだし、いい伝統として受け継いでいってほしい」

――家族にかけた言葉は。
「パパもママもあきらめなかったよと言いました。奥さんもたぶん、どうしてもため込んでしまうようなタイプだったので、なかなかストレスがあっても自分にはそれを見せないように心掛けていたのを感じたし、そういう姿を見て子どもたちもそういうふうに育っていくと思うし。だから自分に負けないようなそういう大人になってくれと伝えました。

――子どもたちの反応は。
「たぶん忘れるんじゃないか。泣いていて聞いていたのかどうなのか。大人になったときに聞いてみようと思いますけど。

■自主トレで若手へ「ことあるごとに『お前たちが引っ張ってくれよ』と」

――長いキャリアの中で引退を考えたことはあったか。
「引退を考えたことはなかったですね。体に関してはトレーニングからケアから本当にやってきたので、そこにはいつも自分の体にアンテナを張って毎日過ごしていたので、体が悪くないそうになることはあっても最後バチっといかない。だから怪我せずここまでこられたんだろうし、小さな怪我をしても大きな怪我はしない」

――若手が成長する姿を見て。
「今年に入るときにもしかしたら最後かもしれないと自分の中でも思っていたので、自主トレのときからことあるごとに『お前たちが引っ張っていってくれよ』と言っていましたけど。洗脳するじゃないけどずっと言い続けるという感じで、少しは頭に残っていると思うんですけど。まあ残っているといいですけど」

――宮崎のファンに。
「応援してくださった方がたくさんいると思う。今日もメールがたくさん来たので地元の方も応援してくれていたと思うし現役でのプレーをもう見せられないのは残念ですけど、これからも地に足をつけて生きていきたい」

――はい上がる原動力。
「自分がこうなりたいという目標があったので。プロ野球選手になりたいと本気で思っていたので、それがあったから頑張れた。高い目標を持ってそこに自分は進んでいった。だからこそ諦めなかったし、自分に負けない気持ちでいました」

――野球に携わりたいと言っていたが指導者も選択肢か。伝えたいことは。
「そうですね。そのときに自分がどういう立場になっているかもあると思うんですけど」

――石川へのエール。
「たぶん僕がいなくて寂しいと思うので、そこは周りの選手たちが気遣ってほしいですね。僕の役目を若い選手がやってほしい。あと裏方さんとか。何とか石川さんを盛り立てて、ケツを叩いて、頑張らせてください。たぶんケツは叩けないと思うので石川さんに対して、でも叩いても許してくれそうな人なので勇気を振り絞ってほしいと思います」

■監督への興味は「やってみたいです。野球絡みは全部興味ある」

――ボロボロになるまでやる選択肢はなかったか。
「自分は自分のパフォーマンスがなかなか出せない。今年の成績、数字を見ても示しがつかないなというのがあったし、後輩たちに。後輩たちも若い子たちも成長しているのは凄く感じたのもあるし、今の状況からすると来年もしプレーしたら代打一本なので、そうしたら自主トレから自分があんなに追い込めるか考えてしまって追い込めないなと。それくらいオフに自分を追い込めるトレーニングをしていたのでそれは無理だなと言うのがありました」

――日常のプレーで幸せに感じられたもの。
「勝負を決定づける一打の後のファンの反応とか。コロナのとき人がいれられなかった。ああいうときに凄く感じたんですけど、球場の雰囲気って本当にファンがつくっているものだとあのときほど感じたものはなかった。歓声が自分にダイレクトに伝わる瞬間が幸せな瞬間でした」

――黄金時代の選手から引き継いだスワローズイズム。
「雰囲気がたぶん、よその球団を知らないですけど、よその球団と違う感じがあると思う。それは球団の特徴として必ずあった方がいいと思う。職場は楽しい方がいいし、かといって日本一になったりもしているわけだからそれが間違っていないと証明している。黄金時代もあったわけだから、やるときにやるという雰囲気を見せられればそれがヤクルトのカラーだと思うので」

――米国だとフルタイムのお父さんになりたいという人もいる。
「それもありですね。野球も大切だけど、子どもといる方がもっと大切だと僕は思っているので、どっちをとると言われたら家族をとります。やりたいこと? 会える機会は現役のときは半分遠征に行っていたりしたら少ないので、今までより会える気もしますけどね」

――ファンは来年コーチで戻ってきてほしいと思っている。
「その辺は打診がないとね」

――監督への興味は。
「やってみたいです。監督はやってみたいです。野球絡みは全部興味あるので」

■「成績を見てもよく頑張ったなという成績は残せている。一番とかない」

――コメンテーターをやれば引っ張りだこ。
「コメンテーター、本心じゃなく言わないといけないこともあるだろうから(笑)。大変ですよね、あの仕事。もしやるってなったら本気でやります。そのときはね」

――誇れる数字は。
「それがあまりなくて。すごいんですよね? 良かったです、って感じです。成績を見てもよく頑張ったなという成績は残せているので、それで満足です。一番この数字がとかはないです」

――地域振興など考えていることは。
「何も考えていないので、ただそういったことも興味はあります」

――ハイレベルで頑張り続けても野球を好きでいられる理由。
「自分にとって野球が生きがいみたいになっているので、理由って言われても。本当に好きな人に理由ってなくないですか? 理屈ってないです。好きだから好き、みたいな。ヤクルトでの野球が好き? そうかな、それもあるかな」(Full-Count編集部)

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