メジャーで失った居場所 窮地にGMからかかってきた電話…阪神入団は「最高の動き」
Full-Count / 2024年9月17日 7時10分
■デビューから4年間でわずか220試合出場…トロントから環境を変え日本で開花
1989年に阪神でプレーし、106試合で38本塁打を放ったセシル・フィルダー氏が米ポッドキャスト番組「The Brett Boone Podcast」に出演した。20歳でのメジャーデビューから数年間は出場機会が限られた内野手が、通算319本塁打を放ったスラッガーに変貌したわけだが、キャリアのターニングポイントとなった日本行きを決めた理由や、当時の裏話が明かされた。
フィルダー氏はブルージェイズで1985年にメジャーデビューした。「私は行く先々でたくさん打ってきた。高校でも、マイナーリーグでもね。ルーキーリーグでは60数試合で20発打った。だから、私はどこへ行っても本塁打を打ってきた」と自信を持って挑んだ世界だった。
しかし「トロントに行った時は、素晴らしいアスリートが本当にたくさんいた。ウィリー・アップショー(メジャー昇格時の一塁手のレギュラー)、私、フレッド・マグリフ(1986年にメジャーデビューの一塁手で、通算493発)らがいたし、そしてジョン・オルルド(1989年にメジャーデビューした一塁手で、元首位打者)もメジャー昇格を待っていたところだった。(フィルダー氏を含め)この4人はなかなかいい選手だった」と振り返った。1988年までの4年間で220試合出場に限られ、機会に恵まれていたわけではなかった。そんなときに“転機”が訪れる。
「私が思うに、今までの最高の動きはパット・ギリック(当時のGM)が私に電話をかけ、『日本に行くのはOKか?』と話をしたことだろう。というのも、彼は私に『もしここに残れば、君が置かれる状況は同じだろう。与えられる打席数は(シーズンで)170~175くらいになるだろう。フレッドがいるし、ジョンも(マイナーから)上がってくるんだ』と言った。だから私は『YES、(日本に行く)準備はできているよ』となったんだ」
この決断により来日し、タテジマのユニホームに袖を通した。106試合で38本塁打とハイペースで打ち続けるも、9月に骨折した影響でその後の出場はかなわず、タイトルも逃した。わずか1年で退団となったわけだが、1990年からはデトロイトに本拠を構えるタイガースでメジャー復帰すると、いきなり51本塁打、132打点で2冠王に輝いた。翌1991年も44本塁打、133打点でタイトルを獲得し、大砲としての地位を確立していった。日本での1年間の経験はフィルダー氏にとっても大きなものとなった。(Full-Count編集部)
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
元阪神助っ人、確信していた日本での成功「50HR打っていた」 “違い”に戸惑いも訪れた覚醒
Full-Count / 2024年9月16日 7時10分
-
中日・ビシエドは退団か「今年が最後の可能性ある」 現役続行へ他球団も視野
スポニチアネックス / 2024年9月11日 5時1分
-
オリ助っ人が直面する厳しい現状 華やか“デビュー”から2年…抜け出せないマイナー生活
Full-Count / 2024年9月8日 18時50分
-
DeNA助っ人が「再び支配している」 故障から復活で高まる期待「プレミア12で一塁手を」
Full-Count / 2024年8月29日 19時40分
-
躍動する元DeNAの40歳、浮上するメジャー再昇格の可能性…驚異の.386「待ち続けてる」
Full-Count / 2024年8月21日 19時31分
ランキング
-
1IOC会長選挙に初の日本人、国際体操連盟の渡辺守成会長…サマランチ・ジュニア氏も
読売新聞 / 2024年9月16日 21時18分
-
2久保建英 レアル・マドリード戦でのPKめぐる発言が波紋…地元メディア「リスペクトの欠如」
東スポWEB / 2024年9月16日 16時18分
-
3【広島】新井監督がDeNA・三浦監督に謝罪「申し訳ない」前夜に相手正捕手が死球骨折/一問一答
スポーツ報知 / 2024年9月16日 18時53分
-
4元巨人コーチが激やせ? 米国取材映像に視聴者騒然「やせた」「絞った」心配する声の一方で「イケおじ」
スポニチアネックス / 2024年9月16日 21時3分
-
5ジェイテクトが謝罪 公式オンラインショップ利用者の個人情報が流出の可能性「深くお詫び」
スポニチアネックス / 2024年9月16日 23時19分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください