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ムカついた中日指揮官からの“圧力” 納得いかない起用法…ぶちまけた怒り「ボケー」

Full-Count / 2024年10月1日 6時50分

1999年9月26日の阪神戦で逆転サヨナラ3ランを放った山崎武司氏(中央)【写真提供:産経新聞社】

■山崎武司氏は1999年9月26日の阪神戦で逆転サヨナラ3ランを放った

 元中日主砲の山崎武司氏(野球評論家)が1999年9月26日の阪神戦(ナゴヤドーム)で放った逆転サヨナラ3ランは、語り継がれる劇的アーチだ。打った次の瞬間にはホームランを確信して歓喜の“バンザイX立ち”。優勝へのマジックナンバーを5にして中日をリーグ優勝に大きく前進させ、ファンを大熱狂させた。加えて、ベンチの星野仙一監督に向かって「オッサン、ボケーッ……」と大絶叫。意地の一発でもあった。

 山崎氏はプロ10年目の1996年に39本塁打を放ち、初のタイトルを獲得した。打率.322(リーグ4位)、107打点(同2位)と打撃3部門で結果を残して大ブレークしたが、翌1997年は打率.257、19本塁打、54打点と成績を落とした。原因ははっきりしていた。この年はナゴヤドーム元年。「ナゴヤ球場からナゴヤドームでしょ。広くなって振らなきゃ飛ばないという感じでやって、やっぱりどうしてもオーバースイングになっていたと思う」。

 その年の中日は最下位。山崎氏だけでなく、中日攻撃陣は“新本拠地”に戸惑った。チーム本塁打数は1996年の179本から115本に激減。チーム打率も.278から.243に下がった。このままではいけない。星野監督は広いナゴヤドームでの野球を考え、中日・大豊泰昭内野手、矢野輝弘捕手と阪神・久慈照嘉内野手、関川浩一外野手の2対2の交換トレードを成立させた。山崎氏もこう振り返る。

「あのデカい球場で野球をやるにあたって、俺が外野では駄目だろうとなった。そうなると一塁で大豊さんとポジションがかぶり、星野さんは俺を残した。大豊さんの方が、実績があったし、売りやすかったのかもしれないけどね」。当然、奮起した。プロ12年目の1998年は打率.255ながら27本塁打を放った。「ナゴヤドーム2年目で球場に慣れてきたというのがあったと思う」。チームも2位。だが「30本打てなかったから、なかなか評価されなかったなぁ」とも口にした。

 中日がリーグ優勝した1999年についても山崎氏は「個人的にはそんなにいいシーズンではなかった。開幕11連勝して、ずーっと優勝というのをみんなが口に出していた年だったけど、俺はシーズン中盤くらいから出たり、出なかったりしていたからね」と話す。星野監督にはしょっちゅう“圧力”をかけられたという。「『お前、日本シリーズに出さへんからな』っていつも脅されていた。ハッパだったんでしょうけど、俺にとってはいらつきもあった」。

 1999年の山崎氏は28本塁打を放ったが、113試合の出場で規定打席に達していない。「ほとんど1軍にいて、この使われ方はどうなんだよって感じだった。ずっとモヤモヤモヤモヤしていたかな、あの年は。(スタメンで)出ても途中で代えられたりしていたしね」。ナゴヤドームでのレギュラーシーズン最終戦、9・26阪神戦での劇的な逆転サヨナラ3ランは、そんな気持ちのなかで飛び出したものだった。


元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】

■「星野はわややなぁ」救われた島野ヘッドコーチの言葉

 試合は、8回まで中日が2-1でリードしていたが、9回表に守護神・宣銅烈投手がマーク・ジョンソン内野手に代打3ランを浴びて逆転された。2点を追う9回裏、中日打線はこの回から登板の福原忍投手を攻めた。1死からレオ・ゴメス内野手と立浪和義内野手の連打で一、二塁。ここで「6番・一塁」の山崎氏に回ってきた。1ボールからの2球目。福原の147キロストレートを捉えた打球はレフトスタンドへ一直線だった。

 打った瞬間に逆転3ランを確信した山崎氏は両手、両足を広げて大歓喜の“バンザイX立ち”。続けて三塁側を向いた形で右腕をグルグル回し、振り向きざまに今度は一塁側中日ベンチにその右腕をぐいっと突き出し、吠えてから一塁ベースへ走り出した。その時、発したのが「オッサン、ボケー! 俺をちゃんと出しとけば打つんじゃー」。ベンチの星野監督に向けた“怒声”だった。「そう、『ボケー』って言っちゃった。監督の前では言ってないけどね」。

 それほどまでに星野監督を見返したいとの思いは強かったのだろう。ダイヤモンドを一周してホームベースのところでナインにもみくちゃに祝福された後、目に涙を浮かべた闘将が待っていたが「俺はどえらい冷静で、何で泣いとるんやと思った。“俺の胸に飛び込んで来い”って感じにもスルーしてやろうかと思いましたよ。だけど、これでスルーしたら相当な記事になっちゃうなと思って、それはしませんでしたけどね」と笑う。

 山崎氏は顔を左に向けて星野監督のところに進み、頭をなでられて“儀式”を終えた。「みんな、俺が星野さんにプレッシャーをかけられていたのは知っていたし、俺がすねていたこともわかっていたと思う。だけど、あの時、俺は(ヘッドコーチの)島野(育夫)さんの言葉に救われました。『おい、タケ、星野、アイツ、わややなぁ。お前に散々言っといてサヨナラホームランを打ったら泣いとるんやもんなぁ』って言ってくれて……」。

 そんな島野ヘッドの言葉を聞いて山崎氏は「もういいかって思った」という。「見ている人は見てくれている。島野さんはそういうふうに思っていてくれたんだなぁって思ってね。それでちょっと心が晴れ晴れとしたかなというのはありましたね」。そして、星野監督について、こう付け加えた。

「どこまでいっても星野さんにとって、長男は立浪、次男は中村(武志)さん、彦野(利勝)さん、山本(昌)さん、今中(慎二)、福留孝介とか、そういう感じだったから、やっぱりちょっとジェラシーもあったかも。俺はどうせ、その中には入れねーよ、って劣等感がちょっとあったよね。まぁ正直、俺も歩み寄らなかったのはいかんのやけどね」。会心の逆転3ランはもちろん、忘れられない一発だし、その時に抱いていた感情も今となっては思い出のひとつだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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