当初は拒んだ楽天入りも「そこまで言われるなら…」 “思い出作り”で蘇った元HR王
Full-Count / 2024年10月7日 6時50分
■山崎武司氏は新球団の楽天入団…田尾監督のラブコールに応えた
野球評論家の山崎武司氏(元中日、オリックス、楽天)は2005年から新球団・楽天でプレーした。初代監督の田尾安志氏に誘われてのことだったが、当初は入団を渋っていた。2004年にオリックスを戦力外。人間関係の問題があったものの、成績もダウンしており、もはや引き際と判断していたからだ。それがひっくり返ったのは田尾監督の熱意を感じたこと、長男・大貴さんに「野球をやって」と言われたから。「誰に何を言われようが、2軍に落ちようが野球を楽しもう」と現役続行を決意した。
山崎氏はオリックスを戦力外となった2004年で現役引退するつもりだった。その年の成績は62試合、151打数37安打の打率.245、4本塁打、20打点。伊原春樹監督と波長が合わず、精神的にも苦しいシーズンだったとはいえ、思うような打撃ができていなかったことも痛感していたからだ。そんな時に新球団の楽天・田尾監督に誘われたが、最初は断ったという。「『武司、やろうぜ』って声をかけてもらったけど、自信がなかったから『もういいです』と言いました」。
それでも田尾監督は「オリックスで崩れているのを見ていましたからね。あれでやめたらもったいない、すぐ直せると思っていました」と後に話したように、獲得を諦めなかった。断っても続く熱烈なアプローチに山崎氏の心も揺れ動き始めた。「息子からも『野球をやってくれ』ってすごく言われていたのでね。田尾さんには2回断って、3回目くらいだったかなぁ、そこまで言われるんだったらやってみようかとなった」という。
「正直なところ、最後の思い出作りに1年だけ仙台に行ってみようと思った。野球を小学2年の時から30代後半までやって、最後に何を言われようが、2軍落ちしようが、何か野球を楽しんで1年終わろうかなと思ってね。ほんの軽い気持ちで仙台に行ったんです」。いろんなことを気にせず、野球だけに向き合ってみる。これまでとは違って、楽な気分で新天地に向かったわけだ。
背番号は「7」をお願いした。「娘の名前の菜々にちなんでね。俺、息子のことばかり考えていたので、何か娘のためにというか、娘を背負ってちょっと1年間やろうかなと思って7番をもらった」。山崎氏は楽天入りの時期が遅く、当初7番は竜太郎(外野手)に決まっていた。中日OBでもある楽天初代編成部長の広野功氏からも「もう7番は空いてないんだよ」と言われたが、山崎氏は竜太郎に「悪いけど頼む」と電話して譲ってもらったそうだ。
始まった楽天での現役生活。田尾監督には「代打の切り札で考えている」と言われていたという。「キャンプに行ったら、みんなのレベルの低さに“俺いけるかも”って思ったけどね。でも、オープン戦の頃に『結果を出さなかったらわかっているよね』くらいに言われた試合で、あまりいい結果じゃなかったんですよ。“ああもう駄目だな”と思ったら、そのまま(1軍に)帯同させてくれて開幕スタメン(5番・指名打者)っていうし、その時は逆に話が違うぞと思いましたよ」。
中日などで活躍した山崎武司氏【写真:山口真司】
■5年ぶり規定打席到達で25HR「田尾さんに教えてもらって復活できた」
田尾監督の指導によって打撃改造にも着手した。「俺、前打ちだったけど、田尾さんは後ろ打ちで行けって真逆のことをやらされた。どうせ打てないんだったら、いろいろやってみて駄目ならクビ、やめればいいと思ってやりました。詰まってばかりだったけど、田尾さんは『それでいいんだ』というから『大丈夫ですかねぇ』って言っていたんですけどね。じゃあ詰まらないようにするにはどうするかって体を回すしかない。そしたらパーンと飛び出し始めたんです」。
楽天1年目、2005年の山崎氏は118試合に出場。5年ぶりに規定打席に到達して打率.266、25本塁打、65打点の成績を残した。3月26日の開幕・ロッテ戦(千葉)には「5番・指名打者」で4打数2安打1打点、試合は3-1。記念すべき球団初勝利に貢献した。翌3月27日の同カードでは0-26で敗れるなど、他球団との力の差は歴然で、38勝97敗1分けの最下位に沈んだが、山崎氏にとって、このシーズンはひとつのきっかけになった。
「田尾さんにいろいろ駄目出しされて、いろいろ教えてもらって、やっているうちに6月くらいからかな。こんな感じだったら打てるよねぇ、みたいな、そんなのが出てきたんですよ」。5月終了時点で4本だった本塁打を、6月に6本放って10号に到達。6月7日の中日戦(フルスタ宮城)から4番に定着した。7月4本塁打、8月7本塁打と調子も上がっていった。
7月27日の日本ハム戦(フルスタ宮城)では予告本塁打もかっ飛ばした。「球団が1年目で(試合前に)学校回りしていて、その時に行った(仙台市内の)小学校が球場に招待される日だったから子どもたちに『今日、俺ホームランを打つから見とけよー』ってホラ吹いたんです。そしたらたまたまね」。3-2の4回に立石尚行投手から満塁弾を放った。「4番・指名打者」で5打数2安打5打点の大活躍だった。
田尾監督はわずか1年で解任されたが、山崎氏は「田尾さんに教えてもらって復活できました」と感謝する。そもそもオリックスを戦力外となった後に田尾氏から何度も誘われなかったら、すべてがなかったのだから、まさに恩人だろう。そして、2006年シーズンからは野村克也監督との出会いも待っている。「1年だけやってみよう」と軽い気持ちで入った楽天で山崎氏の野球人生はより分厚いものになっていく。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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