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ヤンチャだった元HR王…波瀾万丈の27年間 野球人生変えた野村&星野監督「助けられた」

Full-Count / 2024年10月14日 6時50分

2014年3月21日、引退試合後に山本昌氏と球場を回る山崎武司氏【写真提供:産経新聞社】

■山崎武司氏は2014年3月、中日と異例の1日契約で引退試合を実施

 2014年3月21日、中日対楽天のオープン戦(ナゴヤドーム)で山崎武司氏(野球評論家)の引退試合が行われた。2013年限りで現役生活にピリオド。中日球団と異例の1日契約を結んで出場した。「(オープン戦で行われる)引退試合を出戻りでやってもらった人は、それまで誰もいなかった。ドラゴンズに感謝だったし、本当にうれしかったですね」。それから10年以上の月日が経過した。2024年の今、山崎氏が思っていることは……。

 引退試合出場のために1日契約を結んだのはNPBでは山崎氏が初だった。背番号は1987年のプロ1年目から2002年オフにのオリックスに移籍するまで中日でつけていた懐かしの「22」で出場した。契約上の登録は当時空き番だった「20」だったが「(22の)大野(雄大投手)に『1日だけ借りるな』と頼んでつけました」。「4番・指名打者」で1打席の出場。初回1死一、二塁で楽天・則本昂大投手と対戦し、二ゴロ併殺打だった。

 プロ27年間の通算成績は2249試合出場、1834安打、打率.257、403本塁打、1205打点。「400本打った時には憧れの長嶋茂雄さんの444(本塁打)を目標にしていた。444打てば、2000安打もついてくると思っていたんだけど、届かなかったね。日本シリーズ出場0回というのもちょっとね……。俺のキャリアの中でそれは欲しかったね」と無念そうに話したが、堂々たる数字だろう。長い下積みを乗り越えたし、自由契約からもよみがえった。誰でもできることではない。

「散々わがままを言ってヤンチャ飛ばして、問題起こして27年もやったのは後にも先にも俺だけだと思う」と笑いながら「ホントに人に助けられたなって感じです。最後、野村監督に出会っていなかったら、今はないだろうしね。それは星野さんも含めてだけどね」としみじみ。もちろん「ウチの嫁は俺が思っていることは全部やらせてくれる人だから助かった。『パパが試合に出られないのはおかしいよね』とかいつも味方でいてくれた」と寿代夫人にも大感謝する。

 現役引退してから11年。2024年11月7日で56歳になる山崎氏は、野球界に恩返しする気持ちで毎日を過ごしている。再びユニホームを着ることに関しては「こればかりはお願いされてやることなんでね。例えば監督の人事とかだったら、あいつ、切れやすいから駄目じゃねーとか、人間としての器的なもんは、どうなのか、あいつのリーダーシップはどうなのかって、そういうことも考えるじゃないですか」と笑う。


楽天、中日などで活躍した山崎武司氏【写真:山口真司】

■古巣は「いつも気になります。1番はドラゴンズ、2番は楽天」

「それも自分が27年間やってきたことですからね。俺はおべんちゃらも、よういえないし……。だからそういう部分ではちょっと損しているところはあるけど、話があれば、前向きに考えたいとは思っていますよ。話がなければ、まだ自分は標準になっていない、俺はまだそういう器になっていないと受け止めている。まぁ、話がありゃあったで、あっ、そう、なきゃないで、あっそう、みたいな。そんな感じですけどね」と正直な思いも口にした。

 その上でこう続けた。「もしね、ご縁があったりしたときには、これはいつも自分に言い聞かせているんだけども、自分がやられて嫌だったことだけは、絶対しないって、それだけは決めている。自分がベテランになった時にすごい不愉快な気持ち、つらい気持ちになったことを、例えばベテランの選手に、そういうことはやらないということは、自分のなかで誓っています。もしそうなった場合にはね」。

 選手時代の経験はすべてが財産だ。「本当に野村さんにはいろいろ教えてもらった。星野さんには厳しさも教えてもらったしね。いろんな人のいいところを勉強してきたつもり。野村さんや星野さんやいろいろな監督に教わったことを、いいとこどりすればいいと思っている」と話す。「ドラゴンズとイーグルスの2球団にはお世話になったし、何か恩返ししたいなという気持ちはある。めちゃくちゃある」とも熱く語った。

 宮城県栗原市にある栗駒球場の愛称は「山崎武司球場」となっている。山崎氏が楽天に在籍していた2008年6月14日に岩手宮城内陸地震が発生。球場修復、復興支援の寄付金を贈ったところ、そういうことになったそうだ。「それなら野球の大会(山崎武司杯)をやりますよって言って、今でもやっています」という。2011年3月11日に起きた東日本大震災でも精力的に支援活動。「東日本大震災みやぎこども育英募金」には現役引退後も毎年100万円の寄付を続けている。

 ヤンチャな一面も見せながら、義理と人情に厚い男としても知られる。古巣については「そりゃあ、いつも気になりますよ。やっぱり1番はドラゴンズ、2番が楽天かな」と言いながら、ドラゴンズ愛、イーグルス愛では誰にも負けない熱い男でもある。その波瀾万丈な野球人生は、まだまだ終わらない。これからが、その“ヤマ場”となるはずだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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