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2軍で無双→1軍昇格も「本当は嫌でした」 大打者に“浴びた”2000本目…なぜか叱られた19歳

Full-Count / 2024年10月20日 6時50分

元オリックス・星野伸之氏【写真:山口真司】

■星野伸之氏は2年目に2軍で快進撃…7月に1軍初昇格も「行きたくなかった」

 阪急の左腕・星野伸之投手(現野球評論家)は、高卒2年目(1985年)の7月に1軍デビューを果たした。1年目は2軍でも滅多打ちを食らっていたが一転して急成長を遂げた。もっとも「今だから言えますけど、本当は1軍に行きたくなかった」という。1軍ではロッテの看板打者にメモリアルヒットを許して 阪急のレジェンドに「なんで打たれたんだ」と言われたり、開き直ってプロ初勝利をマークしたりと絶えず緊迫の日々だった。

 2年目の星野氏がチャンスをつかんだのは2軍のローテーションの谷間だった。「最初の扱いは1年目と一緒。2軍戦では裏でチャートやスコアをつけたりして、たまに試合で投げるって感じだった。それがある時、先輩に『明日の先発がいない。お前ちゃうか』と言われたんです。『いえいえ僕なわけないでしょ』なんて言ってたら、次の日、西宮球場で(2軍投手コーチの)足立(光宏)さんに『お前今日先発行くぞ』って。本当にそうだったんです」。

 とはいえ、それまで試合に大して投げていない。「3イニングくらいいければいいかなって思っていた」という。「先輩にも『1イニング0点に抑えれば100点だよ』と言われていましたしね。そしたら3回をゼロ。足立さんに『もう1イニング行かせたるわ』って投げたら、またゼロ。打線も7点くらい取っていたのかな。今度は『勝ち星もあるから、もう1イニング投げさせたるわ』と言われて0点。毎回何か理由をつけて投げさせてもらって完封しちゃったんですよ」

 ここまでの投球は誰も予想していなかったのだろう。「みんなびっくりしていましたよ。「『星野が完封するなんて』ってね。まぁ自分もそうでしたけどね」。それがきっかけで星野氏は2軍の先発ローテ入りした。「そこから2軍で4連勝したんですよ。その次は1-2で負けたんですけど、あの試合の8回裏だったか、足立さんから『この点差をキープしろよ』とめっちゃ言われたんです。で、完投したら呼ばれて『明日から1軍に行って来い』って」。

 当時19歳、高卒2年目の7月に1軍初昇格を勝ち取った。だが、星野氏は「今だから言えますけど、本当は1軍に行きたくなかったんです」と話す。「2軍が楽しかったんで、こんなに抑えられることがなかったんでね。(1軍では)また一からで、先発があるわけでもないし、すごい先輩のなかに入るわけじゃないですか。もう緊張感しかなかった。普通に『行ってきます』と1軍に行ったけど本当は嫌でした。口が裂けても言えませんけどね」。

 初登板は7月9日のロッテ戦(川崎)。8回1死から2番手で登板して、2/3を無失点だった。最初の打者、芦岡俊明外野手から空振り三振を奪った。「外真っ直ぐ、インコースボール、もう1回外真っ直ぐ、インコースボール、で、カーブ。それは覚えていますね」。登板前にマウンドで中沢伸二捕手とサインの打ち合わせをしたが、2球目に知らないサインが出たという。「わからないから、真っ直ぐのボール球を投げたら、正解だったみたいですけどね」。

■17登板で2勝2敗1セーブ…掴んだ飛躍への足掛かり

 2試合目の登板となった7月11日のロッテ戦(川崎)では、リリーフでプロ初黒星。“ミスターロッテ”有藤道世外野手には通算2000安打となる三塁線二塁打を許した。「2000本を打たれた後、花束贈呈とかでちょっと間があくじゃないですか。僕は何をしたらいいんだろうと思って、飛んできた紙テープの芯がそこらへんに転がっていたので、ずっとそれを拾っては投げていました。それは覚えていますね」と苦笑する。

「それからベンチに戻ったら福本(豊)さんに『何であんなバッターに打たれるんだ!』って言われました(笑)。“いえいえ2000本打っている人なのに”って思いながらも、何かレベルの高い話でスゲーなって。もうその時、福本さんは2000何本も打っていたわけですからね」。大物揃いの1軍での日々は昇格時の予想通り、毎日が衝撃で、毎日が緊張の連続だった。5試合目登板の7月29日西武戦(西宮)でプロ初勝利をマークしたが、それは開き直りの結果という。

 2回途中から先発・今井雄太郎投手をリリーフし、7回2/3を1失点と最後まで投げ切って白星をつかんだが「(それまでの登板で)フォアボールを結構だしていたし、これでは打たれてもそうだし、フォアボールを出しても絶対2軍だろうなって思って、もうボコボコに打たれて2軍におりようって決めてマウンドに上がった。(捕手の)藤田(浩雅)さんが外に構えても全部ど真ん中でいいやと思って投げたんです」と言う。

「そしたら何か知らないけど、インハイのいいところに行くんですよ。“藤田さんのリード通り投げられなくてごめんなさい”と思いながらも真ん中しか目掛けてなかった。それまでは抑えたいって欲が出てフォアボールになっていたと思うんです。もうそういうのが嫌で、それだったら真ん中狙っちゃえ、どうせ2軍なんだからっていう感じでね。まさに開き直りです。三振も9つくらい取れたんじゃなかったかなぁ」

 打線も援護してくれた。「0-4で登板したんですけど、あれよ、あれよという間にね。(8回裏に2点勝ち越して7-5となり)リードして最後は誰かが行くと思ったら、そのまま投げさせられたのでびっくりしましたけどね。最後は田尾(安志)さんをカーブでセカンドゴロダブルプレー。後で考えるとそうやって使ってくれたんですよねぇ」と感慨深げに振り返った。

 8月15日の近鉄戦(平和台)でプロ初先発。10月7日の近鉄戦(藤井寺)でプロ初セーブ。10月13日の南海戦(西宮)では6回3失点で先発でも白星を挙げた。「その試合はリリーフで今井さんが行ったんですけど(3回無失点でセーブ)、あとで『1人で投げろや』って文句言われました。“交代させたのはベンチなのに”と思いましたけどね」と笑う。当初は気乗りしていなかった1軍で、いろいろ経験させてもらったわけだ。

 2年目は17試合に登板して2勝2敗1セーブ、防御率4.47。1年目は2軍でも打ち込まれていたのが、がらりと変わった。「キャンプで先輩の見よう見まねでね。みんなアウトローから入るわけですよ。それはかなり練習しましたね。あとは緩急をうまくつけられるようになったのかなと思います」と自己分析したが、野球人生はここからどんどん上昇気流に乗っていく。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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