山本由伸が18歳で見せた片鱗 176勝左腕が“震えた”行動「自分がうまくなることだけ」
Full-Count / 2024年11月8日 6時50分
■星野伸之氏は2006~2017年に阪神、オリックスのコーチを歴任
NPB通算176勝を挙げた星野伸之氏は2002年の現役引退後、2006年から2009年まで阪神2軍投手コーチ、2010年から2017年まではオリックスで1軍投手コーチなどを務めた。現在は野球評論家として活動しながら「星野伸之野球アカデミー」で子どもたちの指導にも取り組んでいる。自身のような“遅球投手”については「それは出てこないでしょう」と言いながらも「もし出てきたら大応援しますよ」と目を輝かせた。
星野氏のこれまで2度のコーチ業は、いずれも阪神、オリックスOBである岡田彰布氏に誘われたものだった。岡田監督率いる阪神が優勝した2005年に「(評論家としての)取材に行った時に(打撃)ケージの後ろで『コーチをやったらどうだ。2軍やけどな』って言われて『やらせていただきます』みたいな感じになった」という。その縁で2006年から2009年まで阪神2軍投手コーチとして若手育成に力を注いだ。
岡田氏は2008年シーズン後に阪神監督を退任し、1年間の評論家生活を経て2009年オフ、オリックス監督に就任した。そのタイミングで星野氏もオリックス1軍投手コーチになった。阪神関係者から連絡が入り「『今、岡田さんと一緒にご飯を食べているからちょっと来てくれ』と言われて行ったら『今度、オリックスの監督をやるから』って。『僕は何をしたらいいのでしょうか』と聞いたら『1軍コーチで』ってことでした」。それで決まったそうだ。
「でもオリックスではうまく協力できなかったような感じでしたけどね」と星野氏は申し訳なさそうに話す。阪神選手時代に悩まされた心拍数が増加する頻脈に再び見舞われて休養するなど、オリックス・岡田体制ではフルに働けなかったからだ。その後、体調も落ち着き、森脇浩司監督、福良淳一監督の下でも投手コーチとして仕えたが、2017年シーズン途中にまたもや……。結果、その年限りで退団となった。「今は何も問題ないんですけどね」。こればかりはどうしようもなかった。
オリックス、阪神で活躍した星野伸之氏【写真:山口真司】
■印象に残る能見篤史、金子千尋、山本由伸
それでも、2球団計12年間のコーチ生活で多くの選手たちと関わったことは星野氏にとっても財産になった。もちろん、飛躍していく姿を見るのはうれしかったし、忘れられない。「(阪神2軍投手コーチでの)最初は能見(篤史投手)ですかねぇ。彼がちょっとくすぶっていた時で、1軍に行っては(2軍に)戻ってくるを繰り返していた感じでしたからね」と星野氏は話す。
「あの頃の能見は1軍に上がると力みが多かった気がします。ファームで完璧に抑える時の球速は143、4キロなのに、1軍では148、9キロで、しかも棒球が多かったイメージでしたから。(技術)指導はしていないけど『ファームと同じことをやってみたら』って言ったことはあったと思います。彼も必死でしたからね」。能見はそんな時期を経て、1軍に定着していった。苦しんでいたことを知っている分だけ、星野氏にとっては印象深い左腕のようだ。
オリックス1軍コーチ時代では金子千尋投手の名前を真っ先に挙げた。「(2010年3月20日の)楽天との開幕戦(京セラドーム)で、金子が1-0で完封した時はうれしかったですね。ピッチングコーチ冥利に尽きるというか……。外の出し入れとカットボールとチェンジアップ。極端に言えばそれだけで抑えた感じ。金子のチェンジアップはブルペンではただの遅い球にしか見えないけど、バッターに投げると落ちているように見える。それが不思議でもありましたね」。
ドジャース・山本由伸投手についても「彼はしっかりしていましたね」と振り返った。山本がオリックスでルーキーだった2017年シーズンだけ、星野氏は絡んだ。「ブルペンにコーチがいても由伸は自分のやることが明確だった。例えば移動式の大きな鏡の前で30球くらいシャドーして、終わったら片付けてウエート場に行って、もうパパっとやるべきことをやって帰るとかね。アピールを間違うヤツはコーチがいる間、ずっとブルペンで投げたりとかしていますから」。
星野氏は「やり方。どこを見ているかですよね」という。「由伸は自分がうまくなることだけを考えていた。僕らコーチに見せるためにブルペンでたくさん投げて疲れちゃったら何にもならない。次の日に試合で投げるかもしれないですからね。高校を出たばかりで、あそこまでしっかり自分のやりたいことをやれるのも、やっぱりちょっと(他の投手とは)違いましたね。僕ら(コーチ陣)の中でもあの子はしっかりしているなという話になっていましたよ」。
■現在は野球評論家の他、「星野伸之野球アカデミー」で小学生を指導
現在の星野氏は野球評論家として活動中。加えて大阪での「星野伸之野球アカデミー」で小学生(4年生から6年生)指導にも力を注いでいる。「毎週水曜日。週に1回。僕は北海道出身で子どもの頃はどこでも野球をする場所があったけど、今はどこででもできない。僕はてっきり学校の授業終わりに毎日、グラウンドで練習しているものだとずっと思っていたんです。でも、やれるのが土日だけというので、それ以外でもできるところを作ってあげよう、から始まりました」。
2021年からスタートして今年で4年目。「基本的には“楽しくやる”ということです。当然、そこにはうまくなる、があるんですけどね」。現役時代の星野氏が70~90キロ台のスローカーブを武器にしていたことは子どもたちも知っている。「“カーブの握りを教えてほしい”って言ってきますよ。教えてあげるけど、その代わり難しいよって言ってね。基本的には投げたらいけないので僕は推奨しません。ただ勝手に投げてくるので、それはしょうがないかなと……」。
そんな子どもたちの成長が星野氏の喜びでもある。「この子たちが高校生になって甲子園に出てくれたらうれしいですね」。1期生がまだ中学生。これから先はその夢も膨らんでくる。ただし、星野氏のような遅いボールの使い手については「それは出てこないんじゃないかな。今は僕らの時よりもウエートトレとかがすごくよくなっているので、たぶん球は速くなるでしょうからね。僕だってそういうトレーニングをしていたら速くなっていたかも」と笑いながら話した。
一方で「出てきたら大応援しますよ」ともきっぱり。「最近はボヨーんとしたカーブを投げる選手がいるんで、それはそれでちょっとうれしいなと思っています。僕は人より手首が柔らかいので、僕の投げ方を目指したら駄目だと思いますけどね。今は150キロを投げる人も緩いカーブを投げたりしますよね。(オリックスの)宮城(大弥投手)も投げたりするんで、それもうれしいかな」とも話したが……。
現在58歳の星野氏は自身の野球人生を振り返りながら「僕の時代だって150キロを投げる人はいたわけで、その中で120キロ台の僕がやってこれたのは、客観的に見てちょっと特殊だったのかなと思う。そういう意味では中途半端に速くなくてよかったのかなってね」と口にした。まさに特殊だったからこそ価値もある。そんな巧みな投球術や、遅球を駆使したスペシャルな技を次の世代に伝授できるのも、実践してきた星野氏しかいないだろう。まだまだ今後が楽しみだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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