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イチローらと米キャンプ参加 「ボコボコ」にされたエース…変わらぬサイン「もうええわ」

Full-Count / 2024年11月3日 6時50分

マリナーズのキャンプに参加した元オリックス・星野伸之氏(左)とイチロー氏ら【写真提供:産経新聞社】

■星野伸之氏は1998年に6勝10敗…翌春にマリナーズのピオリアキャンプ参加

 1999年春、オリックス・星野伸之投手(現野球評論家)はイチロー外野手、戎信行投手とともにシアトル・マリナーズの米アリゾナ州ピオリアキャンプに参加した。「『お前は自分で調整できるだろうから行ってみないか』と言われて『じゃあ、お願いします』ってね」。前年の1998年は22登板で6勝10敗、防御率5.12。2桁勝利が11年連続で、規定投球回到達も12年連続でストップした。そこからの巻き返しを期した年の米国キャンプ経験だった。

 マリナーズキャンプに参加する前年の1998年は星野氏にとって試練のプロ15年目だった。4月4日のダイエー戦(GS神戸)で3年連続7度目の開幕投手を任され、2失点完投したが、試合は1-2で負け。好投しながらも工藤公康投手との投げ合いに勝てなかった。そこからオリックスは開幕6連敗を喫したが、星野氏自身も開幕6連敗と最悪のスタートになった。

 5月21日のロッテ戦(仙台)での8回無失点投球でようやく初勝利をマークしたが、悪い流れを断ち切るまでには至らなかった。それまでは不調でもシーズン中に立て直してきたが、この年はできなかった。何かしらの歯車が狂っていたのだろう。「ひどい年だったですね。まぁ、後になって思えば、この辺からちょっと、いろんな意味で体力的にも、っていうのが見え隠れしていたのかという感じはしますけどね。そんなの結果論になっちゃいますけどね」。

 そして迎えた1999年だった。2月下旬からのマリナーズのピオリアキャンプが星野氏の“再スタート”の地となった。「でもね、球が滑る、滑る。目茶苦茶滑りました。まぁ、アリゾナだったからなおさら乾燥していたんでね。これは今も思うけど(日本の投手は)あれでよく曲げられるなってね。(山本)由伸(ドジャース)もよう曲がっているな、すごいなって思いますよ。僕はカーブがよくすっぽ抜けましたから」。

 過去に星野氏は日本で開催された日米野球で、そのボールは経験済みのはずだった。1988年はアンドレス・ガララーガ内野手(エクスポズ)に、1996年にはマイク・ピアザ捕手(ドジャース)に一発こそ浴びたが「日本ではしっくり投げられた」という。1990年11月7日(甲子園)の全日本対全米戦では先発して3回無失点。3番バリー・ボンズ外野手(パイレーツ)、4番セシル・フィルダー内野手(タイガース)の全米打線に1安打も許さず好投したこともあった。


元オリックス・星野伸之氏【写真:山口真司】

■ケン・グリフィーJr.から空振りも…脱帽の対応策

 だが、1999年春のアリゾナでは同じ感覚で投げられなかった。「ひどかったですね。試合にも投げましたけど、ボコボコに打たれました。それに向こうではフルカウントになったら(捕手が)真っ直ぐ(のサイン)しか出さなかったですしね。首を振ってもずっと変えないんですよ。もうええわ、と思って投げたらガバーっと打たれて……」。星野氏は苦笑しながら振り返ったが、米国野球に触れたことは「いい経験になりました」とも話した。

「(マリナーズキャンプで)ケン・グリフィーJr.(外野手)にフリーバッティングで投げた時、カーブを空振りしたんです。そしたらね、ずーっと後ろで見ているんですよ。で、何人かがカーブを空振りしたんですけど、やっぱりすごいなぁと思ったのは、その後、全部逆方向に打つんですよ。これでこうなるんだったら、こう打たなきゃみたいな。ケン・グリフィーだけじゃないけど“なるほどね、すぐにできないと生き残れないんだろうな”って。それは初めて見ましたね」

 当時マリナーズ主力左腕のジェイミー・モイヤー投手からは「チェンジアップを教えてもらった」という。「モイヤーのチェンジアップを後ろで見ましたけど、キュキュッって曲がるんですよ。フォーシームなんて比じゃないくらい回転数がえげつなかった。すごいなぁと思いましたね」。その“魔球”の握りを伝授されたが、残念ながら習得できなかった。「同じ握りで練習したんですけど、僕の手が小さいからか、無理だった。僕にはたぶん合っていないなと思いました」。

 そんな中、モイヤーに「お前はチェンジアップを投げられなくても、あのカーブがあるじゃないか」と言われたそうだ。「“えっ、僕のを見てくれていたの”って思いました。モイヤーとは(ピッチング練習の)組が一緒で投げていたわけではなかったので、どこかで日本人の細いピッチャーが来ているなって見ていたんでしょうけど、それはうれしかったですね」。星野氏のカーブはメジャー屈指の左腕にも認められたのだ。

 1999年の星野氏は11勝7敗、防御率3.85と復活を果たした。しかしながら「カーブがね、あの(米国での)2週間で、滑るから深めに握るような癖がついたんです。僕は結構、端っこを持つんですけど、すっぽ抜けるんじゃないかと思って怖くてね。だから全体的にはあまりいいカーブとは思わなかったですね。シーズン途中からも元に戻ったかなぁ、くらいの感じでした。よく11勝できたなって思います」と、決して満足できるシーズンではなかったようだが……。

 ピオリアキャンプを経験したオリックス・イチローは2000年オフにポスティングシステムを利用してマリナーズに移籍。大成功を収めたが、“遅球の使い手”の星野氏が海を渡っていればどうなっていただろうか。アリゾナで滑るボールに苦労しなければ、得意のカーブがすっぽ抜けるシーンが少なければ、もしかしたら違う展開があったかもしれない。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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