ダッシュが原因で引退決断「もう終わりかな」 阪神から慰留も固辞…ボロボロだった体
Full-Count / 2024年11月7日 6時50分
■星野伸之氏は2002年シーズン限りで引退…相次いだ下半身の怪我
阪神の左腕・星野伸之投手(現野球評論家)は2002年シーズン限りで現役を引退した。阪急・オリックスで活躍し、FAで阪神に移籍して3年目。プロ19年目のシーズン中に決断した。体調不良に加えて、夏場の2軍調整中に右太腿肉離れを発症した時に「もう終わりかなと思った」と話す。球団から「もう1年」との声がかかりながら「このままなら迷惑をかけるのでやめようと思います」と身を引いた。
星野氏は阪神2年目の2001年8月下旬に遠征先の神宮屋内で突然、心拍数が増加する頻脈に見舞われ、リタイアした。その後も「体調には波があった。どこで来るかわからなかった」という。そんな不安を抱えながら2002年に突入したが、キャンプ、オープン戦と体調問題も何とかクリアしてレギュラーシーズンに臨んだ。指揮官はこの年から星野仙一監督に代わった。「(前任の)野村(克也)監督とはまた違う緊張感がありました。締まった感じがしましたね」。
すっかり最下位が指定席になっていた負け癖を解消すべく、「優勝するぞ」「優勝するぞ」と意識改革から始めた星野阪神は、最終的には4位だったものの開幕7連勝と最高のスタートを切った。左腕・星野氏も開幕5戦目、4月4日の横浜戦(横浜)に先発し、6回1失点と好投。白星こそ手にできなかったが、チームの5連勝目に貢献した。中13日で先発した4月18日の中日戦(ナゴヤドーム)も7回1失点(試合は延長12回1-1の引き分け)と、好結果を出した。
だが、今度は怪我が星野氏の前に立ちはだかった。シーズン5試合目の登板だった5月26日の中日戦(ナゴヤドーム)に先発。6回無失点で勝利投手になったが、次の登板は8月までずれ込んだ。「ピッチャーゴロのちょっと高いバウンドのを(処理するために)、ジャンプしたかしないかくらいで足がグキッとなって……」。長期の2軍調整を余儀なくされた。
それでも懸命に立て直して1軍に復帰した。シーズン6試合目の8月9日の中日戦(ナゴヤドーム)は、6回1失点で2勝目をマークした。「僕は中日戦の登板が多かったんですよ。なんであの時の中日は僕を攻略できなかったんだって逆に思いますけどね。自分でも絶好調とは全く思っていませんでしたから」。結果的にはこれが現役最後の通算176勝目になるのだが、そうなったのもまた怪我が関係していた。
シーズン7試合目登板の中日戦(8月27日、甲子園)で6回1失点。間隔を空けての次回登板に備え、2軍の鳴尾浜で練習していた際に右太腿肉離れを発症した。「いろんな意味で体力がなくなっているから、その頃はウエートトレもやったりしていたんですよ。でも、若い時からやっていなかったし、急にやっても駄目なんですよね。バランスもとれていないし……。で、全力疾走しただけで肉離れ。太腿の筋肉がぎゅんとなったのは覚えていますね」。
■球団から慰留も「チームに迷惑をかけると思うのでやめようと思います」
星野氏はこの時に「体の弱さを感じた。こんな練習で怪我するなんて、もう終わりかなと思った」という。頻脈を心配しながらも何とかしのいで、この年も2勝したが、1シーズンに2度もあった足の怪我は体調面以上にショックだった。「球団からは『来年の給料は当然下がるけど、もう1年どうや』という話をもらったんですが『ありがたい話ですけど、このままではチームに迷惑をかけると思うのでやめようと思います』と言いました」。引退が決まった。
ただし、マスコミ発表に関しては「『もうちょっと待ってほしい』とお願いした」という。「(旭川工時代の野球部監督で恩師の)斎藤(忠夫)先生など、新聞で知られる前に自分で直接伝えたい人がいましたからね。星野監督も『わかった、ノブのゴーサインが出るまで待とう』と言ってくれました」。星野氏はその後、お世話になった方々に電話で一通り挨拶を済ませて球団に連絡を入れたという。
「そしたらすぐ、ある社の記者が家に来たんですよ。『星野さん、辞めるんですか』ってね」と苦笑しながら話した。その年限りの引退が正式に発表され、シーズン最終の10月14日の中日戦(甲子園)が現役ラスト登板になった。先発して打者1人に投げた。中日の1番打者・大西崇之外野手を伝家の宝刀・スローカーブで空振り三振。それで終わった。
「最後、マウンドに上がった時はグッと来ましたけどね。でも久しぶりだったんで、ストライクが入るかなぁと逆にそっちの方が先に……。たぶん空振りしてくれるだろうというのはありましたけどね」。試合後には遠山奨志投手、伊藤敦規投手、葛西稔投手ともに引退セレモニーが行われた。阪神移籍後は3年間で8勝13敗。「タイガースのために投げたという自負はない。ただ迷惑をかけたなと思うだけで……」。
通算176勝。200勝には届かなかった。「やっぱり先発ローテーションを1回外れると難しいですね。きっちり回らないとね。1回外れると入っていくのも難しい。そういう意味ではオリックスでずっとキープできていたのは、そうなって初めてまぁまぁ頑張ってきたんだなっていうのはありましたけどね」。精一杯投げ抜いた。阪急・オリックス時代には11年連続2桁勝利も記録したし、通算2041奪三振は誇れる数字だ。
「僕の場合、まずプロ野球に入れたことがびっくりなのでね。それも本当に導かれるようにプロ野球選手にさせていただいた感じなので。それも(旭川工の)斎藤先生あってのことなのでね。そう考えると不思議な人生だと思っています」。努力を重ね、緩急を駆使して120キロ台のストレートを打者に「速い」と言わせた。独特な投球フォームから繰り出される遅球、巧みな投球術は今も語り継がれている。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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