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合格確約なしも…“超人気”難関校推薦へ「自分の道は自分で」 母と磨いた800字対策

Full-Count / 2024年11月9日 7時50分

2010年夏の甲子園に出場した早実ナイン【写真提供:産経新聞社】

■春夏2度甲子園出場…鈴木健介さんが語る早稲田実業野球部入部までの挑戦

 きょうだいは何かと比較されることが多いが、同じ学校に通っているならば、なおさらだろう。それだけに、あえて違う道を選び、甲子園出場を模索した選手もいる。早稲田実業(西東京)で2度甲子園に出場した鈴木健介さんは、慶応高(神奈川)に進んだ2つ上の兄・裕司さんとは異なる進路選択をし、もう1つの難関高校へと挑んだ。早稲田実業野球部入部に至るまで、受験時の対策を振り返ってもらった。

 健介さんが早実を受験する決意を固めたのは、中3時の2007年。慶応高野球部の兄・裕司さんは、同年秋の関東大会で準優勝。翌春の選抜出場を確実なものにしていた。

「もし兄がいなければ、慶応という選択肢も考えられたと思います。ただ、小学校から大学まで、兄の背中を見ながら同じ道を進むことに抵抗がありました。学年が2つ上と近いので、同じ学校だと、こういう生活だとか、試験はこういう時にあるとか、大体わかるじゃないですか。自分の道は自分の意志で選びたいなというのが当時はありました」

 健介さんは越谷リトルシニア(埼玉)で、U15日本代表の一員として世界ユース選手権に出場し、優秀選手賞を受賞するなど、世界3位に貢献。学業も優秀な有望右腕を獲得しようと、県内外を問わず、多くの野球強豪校から誘いが来た。

 ただ、第一志望に選んだ早実は全国でも屈指の難関校。前年、斎藤佑樹投手(のち早大-日本ハム)の活躍で夏の甲子園優勝を果たした影響で人気も高まっており、関係者からは、推薦試験で絶対に合格するという確約はできないという旨をはっきり伝えられたという。

「ギリギリまで不安でしたね。関係者からは、もし落ちてしまった場合は一般試験で受けてください、と言われていました。もし早実が受からなければ、父が監督をやっている高校を受験しようと思っていました」


早実で2度甲子園に出場した鈴木健介氏【写真:伊藤賢汰】

■「もう一度中学生に戻って学校を決めるとなっても、早実を選ぶ」

 早実の推薦試験科目には、課題作文と面接がある。中3秋頃から作文対策のため、人生で初めて塾通いをした。中学教諭の母から毎日テーマを2題渡され、必死に書いて塾の先生に添削してもらう。野球と同じく反復練習を何度も繰り返し、文章の精度を高めていった。小学生から野球ノートを書いていたこともあり、自分の思考を文字にすることに苦手意識はなかった。

「小学校の時から作文や読書感想文を書くことは結構好きでした。小論文を書く練習は、今でも字や文章を書くことに生きています」

 そして迎えた試験本番。イギリスとドイツの挫折体験のことわざを対比させて、自身の体験と紐付けて意見を述べるという作文テーマが出題されたという。「中学3年生にしては、少しハイリテラシーな問題でした」と笑うが、慌てることなく800字を書ききり、見事合格を勝ち取った。

 スーパー1年生として期待され入学した早実では、春の大会からベンチ入りを果たすと、2年春と3年夏の甲子園に出場。早大でも活躍し、今は大手広告代理店で勤務しながら、今年2月に裕司さんとグラブブランド「YK BROTHERS」を立ち上げた。15歳で兄と違えた道が、30歳を過ぎて交差した瞬間だった。

 好きな言葉は「意志なき者に道はなし」。しっかりと自分の考えを持ち、歩む道を選択してきたからこそ、見える世界も広がったのだと実感している。

「他の高校を経験していないので実際に比較はできませんが、多分、もう一度中学生に戻って学校を決めるとなっても早実を選ぶと思います」

 兄とともに始めた新たな挑戦。これからは2人で道を切り開いていく。(内田勝治 / Katsuharu Uchida)

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