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TVの企画で米挑戦も「いつメジャー?」 PL戦士がマイナーで奮闘も…打ち切りで単身残留

Full-Count / 2024年11月10日 7時10分

PL学園出身の辻田摂氏【写真:喜岡桜】

■テレ東系「ASAYAN」のオーディションに合格…米球界に挑戦した辻田摂氏

 1995年から2002年までテレビ東京系で放送され、モーニング娘。やCHEMISTRYなどを輩出した人気オーディション番組「ASAYAN」。一般応募者から次世代のスターを発掘する同番組に1998年、のちに中日からドラフト指名される辻田摂(つじた・おさむ)氏も一般人として挑戦していた。

 PL学園では福留孝介氏と同期。クリーンアップの一角を担い、1995年甲子園に春夏連続で出場した。その後、東洋大に進学するも中退。「プロになりたいけど大学を辞めたら社会人には入れないし、今のように独立リーグがなかったので海外しかなかったんですよ」。夢半ばで悩んでいた時、同番組で合格者1人がアメリカでプレーできる「大リーガーオーディション」が始まることを知った。

 テレビで毎週、全国のオーディションの様子が放送された。辻田氏は大阪でオーディションに臨み、「投手有利な感じがしていたんですけど、途中から『これいけるな』って手応えは感じていました」と1次テストを突破。さらにアメリカで行われた最終候補4人による2次テストも放送され、辻田氏が合格を勝ち取った。

「(日本にいた時は)地下鉄で小・中学生に『あー!』って指をさされたりしましたよ。アメリカで2次テストに通ったあとは、タンパベイ・デビルレイズのマイナーチームでフィジカルチェックを受けて、すぐにオープン戦ですね。今週の成績はどうだったとか、辻田がこんなことしていましたって日本のテレビで放送されていたみたいです」

■放送終了後も米国で“武者修行”継続…アマ全米1位→中日からドラフト指名

 英語は話せず、食生活も合わなかったが、同球団のコミュニティ開発ディレクターを務めていた元西武のオレステス・デストラーデ氏のサポートを受けながら、遠征先まで4時間のバス移動など、心身ともに休まらないアメリカ生活を送っていた。当時は日本に浸透していなかったプロテインとウエートトレーニングで分厚く鍛えられた選手との力勝負にも必死だった。そんな辻田氏に思わぬ“逆風”が吹き始める。

「メジャーリーグを目指す企画なんで、一緒にアメリカに来た番組スタッフに『いつメジャーに上がれるんだ?』とか言われ始めて。番組的には早くメジャーリーガーになって欲しいみたいなんですけど、すごい選手でも1年に1つずつ2A、3Aと上がっていくもので、メジャーはその一握りが辿り着くところでしょ? アメリカの野球事情にあまり詳しくないみたいでいろいろ言われたけど、そんな簡単なことじゃないじゃないですか(笑)」。

 番組プロデューサーが痺れを切らし、同企画は半年で放送打ち切りに。その後、辻田氏は単身でチームに残ってルーキー級ガルフコーストリーグで41試合に出場し、打率.288、3本塁打をマーク。翌1999年は、契約には至らなかったもののパイレーツの春季キャンプに招待選手として参加した。

 さらにこの年は、アマチュア選手が集まるフロリダのベースボールアカデミーに所属。「どこにも話してないんですけど、そこでも40試合くらいに出て、8月に全米1位を決める大会まで進んだんですよ。しかも優勝!」と声を弾ませた辻田氏は全試合に4番として出場し、視聴者に知られることなく全米制覇を達成していたのだ。

 この経験を引っ提げて9月に巨人の入団テストを受験。合格を掴んだが、ドラフト会議では指名されなかった。だが、「ジャイアンツの候補選手になれたっていう自信がついて、もう1回アメリカで力をつけようと思って」と、渡米3年目の2000年は無所属のままロサンゼルスでトレーニングし、とことん自分を追い込んだ。そして同年秋、星野仙一監督率いる中日に指名され、晴れて夢をかなえた。(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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