酒臭い阪神ベンチ、寝不足でKOのドラ1 敗戦の祈り届かず…優勝翌日の“悲劇”
Full-Count / 2024年11月21日 6時50分
■1985年阪神リーグVの翌日に先発…中田良弘が抱いた複雑な心境
1985年10月16日、阪神は21年ぶりにセ・リーグ優勝を成し遂げた。敵地・神宮球場でのヤクルト戦。延長10回5-5の引き分けで決まった。V戦士の1人である元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)は、この試合を祈るような思いで見ていたという。「今日は優勝しないでくれ、今日は負けろと思っていました」。翌10月17日の同カード先発が決まっていたからで「あの独特な雰囲気の中で自分が投げたかったんですよねぇ」と話した。
阪神が勝つか引き分けで優勝が決まる10月16日のヤクルト戦は、異様な熱気に包まれていた。「僕らが球場入りした時はもう超満員。警備員は立っているわ、すごかったですよね」と中田氏は話す。試合は3-5の9回表に阪神が4番・掛布雅之内野手の39号ソロで1点差とし、5番・岡田彰布内野手の二塁打を足掛かりに1死三塁と攻め立て、代打・佐野仙好外野手の中犠飛で同点。9回裏を中西清起投手が抑えて、延長戦に突入した。
当時のセ・リーグは延長戦の場合、試合開始から3時間20分を経過して新しいイニングに入らない規定で、延長10回5-5で終了。最後は中西が角富士夫内野手を投ゴロに打ち取って、引き分けで歓喜の瞬間を迎えた。阪神ナインとともに中田氏もグラウンドに飛び出していったが、試合中はこの日の優勝決定を全く望んでいなかったという。「今日は決めないでくれ、今日は優勝しないでくれって思っていました」と笑いながら振り返った。
「次の日に自分が先発だったんでね。だって、ああいうところで投げたいじゃないですか。独特な雰囲気の中でね。だからずっと思っていました。“今日は負けろ”って。まぁ、僕だけでしょうね。そんなふうに考えていたのはね」。そんな願いはかなわずの優勝。ビールかけの祝勝会で盛り上がった後は街に繰り出し、遅い時間まで仲間と騒いだ。そして、中田氏は予定通り、翌10月17日のヤクルト戦に先発した。
「もうその時は投げたくなかったですよ。あの頃の僕はあまり飲めなかったので、お酒の影響はなかったけど、寝不足でしたからね。大変でしたよ。ベンチは酒臭かったし……」。結果は3回5失点でKOされての敗戦投手。打者18人に2本塁打を含む7安打を許した。「そりゃあ打たれますよね。あれはしゃあないですよねぇ。先発を代えてくれればよかったのに……」と当時を思い浮かべて苦笑いを浮かべた。
阪神は西武との日本シリーズも4勝2敗で制し、球団史上初の日本一に輝いた。中田氏は第3戦(10月29日、甲子園)に先発したが、1回1/3、4失点で敗戦投手。日本シリーズは活躍できずに終わった。その日、その日に変化する肩などの状態が今ひとつの日だった。「でも結果はともかくとして、あのマウンドに先発で立てたのはうれしかったですよ。今まで怪我とかがあっても頑張ってきたご褒美じゃないけど、そんなことってそうないじゃないですか」。
■凄まじかった猛虎打線…心強かった掛布の言葉「すぐ逆転してやる」
8月12日の日航機事故で中埜肇球団社長を失う悲しい出来事もあった中で、チーム一丸となってつかんだリーグ優勝&日本一でもあった。1番・真弓明信外野手、3番・ランディ・バース内野手、4番・掛布、5番・岡田が中心のニューダイナマイト打線の破壊力はすさまじかった。中田氏は「よく僕は言うんですよ。どんなピッチャーが投げても勝ち投手になれたでぇ、少々、点をとられたってなれたでぇってね」と話したが、当時はその状況で4番の言葉に救われたという。
「掛布さんが言ってくれたんですよ。『点をとられようが何しようと(先発は)最低5回投げないと勝ち投手になれないやんか、お前は実際、5回投げているやん。自信持っていいんやで』って。あれは心強かったですねぇ。その話を掛布さんにしたら『俺、言ったかな』って言っていましたけどね」。試合中のマウンドもそう。「例えば初回に3点取られても掛布さんとかが『もうちょっと頑張れ、すぐ逆転してやるから』と声をかけてくれて、本当にそうなりましたからね」。
1985年、プロ5年目の中田氏は31登板、12勝5敗、防御率4.23。「ピッチャーはみんな防御率がよくなかったんですけど、それ以上、悪くしなければいいって感じでしたね」と野手には本当に感謝している。打撃の援護だけはない。「(一塁手の)バースはね。ボール回しで最後、ピッチャーに返す時、ナックルを放ってくるんですよ。ホンマに揺れて……。で、笑っているんですよ、あいつ。そんなところでもリラックスさせてくれましたよね」。
ショートを守っていた平田勝男内野手は中田氏と同い年。「あいつは声がでかい。いつも2ストライクを取ったらね『おい、ちゅんた(中田)、広く、広く』って言うんですよ。もうわかっているから思うくらい、いつもね。声が通るから、よう聞こえるんですよ。でも、それが励みにもなりましたよね」と、これもまた懐かしそうに話した。
時は流れ、2023年に岡田監督率いる阪神が1985年以来、2度目の日本一になった。「なってほしかったけど、複雑でもありましたね。『日本一は俺たちだけだったからなぁ』って平田とも話していました。まぁ、平田は去年(2023年)もヘッドコーチでしたけどね」。そう言って中田氏は微笑んだ。そして「でもね。やっぱり1985年の(阪神)打線はスケールが違い過ぎましたよ。すべてが桁違いでしたよ」と強調した。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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