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脳裏に浮かぶ慶応に敗戦「辛い日々だった」 公式戦15連勝…横浜高が忘れぬ“悔しさ”

Full-Count / 2024年11月26日 8時10分

明治神宮大会・高校の部で優勝した横浜ナイン【写真:加治屋友輝】

■最速151キロ誇る背番号「10」の1年生右腕が先発、「1」の2年生左腕が締めた

 明治神宮野球大会・高校の部の決勝が25日に行われ、横浜高(神奈川)が4-3で広島商に競り勝ち、あの松坂大輔氏を擁した1997年以来、27年ぶりの大会優勝に漕ぎつけた。松坂世代のチームはこの大会をはじめ、春・夏の甲子園、秋の国体も制して“4冠”を達成し、公式戦44勝無敗を誇った。それをなぞるような“新伝説”が幕を開けたのだろうか。

 横浜高の先発は、背番号「10」の1年生ながら、185センチの長身で最速151キロを誇る右腕・織田翔希投手だった。初回に3者三振の“ロケットスタート”を切り、広島商打線を寄せつけない。しかし、4-0とリードして迎えた7回には、織田自身が先頭打者の投ゴロを捕球後、一塁へ悪送球したのをきっかけに2失点。2点リードのまま迎えた9回も、連続安打と送りバントで1死二、三塁の“1打同点”ピンチを背負ったところで、降板を命じられた。代わって背番号「1」の左腕・奥村頼人投手(2年)がマウンドに上がった。

 投球数108でベンチに戻った織田は、疲れ果てて倒れ、試合終了後の閉会式に出席できなかったほどだった。一方、後を託された奥村は、三ゴロの間に1点を失ったものの、最後の打者を全球ストレートで3球三振に仕留め、優勝をもぎ取った。

 村田浩明監督は「行けるところまで織田で行くつもりでしたが、奥村も5回くらいから準備してくれていました。織田を酷使してしまったかもしれませんが、彼なりにやり切った姿を見て、奥村にもストレートを3球続ける強さが出たのではないかと思います」と感慨深げに振り返った。

 出発点は、昨夏の屈辱だった。神奈川県大会の決勝で慶応高と対戦し、5-3とリードして9回を迎えながら、1死二、三塁でまさかの逆転3ランを喫し敗れた。相手の慶応高はそのまま甲子園で、107年ぶりの全国制覇へ駆け上がった。

 村田監督は「慶応さんに負けて、その慶応さんが全国優勝して、すごくつらかったです。あのプレーのこと、あの瞬間のことが脳裏に浮かんで、キツイ日々でした」と吐露する。「そういう時期に、たまたま九州に行って織田と出会えました。これも縁というか、物語だったのかなと思います」と続ける。

■九州で運命の出会い「最後まで投げ切れず悔しさが残ったのはチャンス」

 織田は福岡県北九州市出身。村田監督が直接足を運び横浜へ誘ったことから、運命の歯車が動き始めた。今夏の神奈川県大会も、決勝で東海大相模に敗れたが、新チームを結成してからは秋季神奈川県大会以降、公式戦無敗の快進撃(15連勝=25日現在)が続いている。だからこそ、決勝の大舞台の先発は織田に託したかった。

「織田は最後まで投げ切れずに悔しさが残ったので、また成長できるチャンスかなと思います。奥村も先発したい気持ちが強い。いい相乗効果で行けているかなと思っています」。村田監督は次の大舞台である来春の選抜大会へ向けて、大きな手応えを感じているようだ。

“松坂世代”以来の明治神宮大会制覇を果たし、1997年当時に小6だった村田監督は「僕は松坂さんに憧れて横浜高校に入ったので、すごくうれしいです」と口元を綻ばせつつ、「27年ぶりと言われますが、メンバーは毎年違いますし、僕はこのメンバーと優勝できたことが何よりうれしいです」と強調した。もうひと冬を越えて、選抜ではまた逞しくなった姿を見せてくれるはずだ。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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