18歳が抱えた重圧…敗退なら「降りられない」 素直に喜べなかった悲願の甲子園
Full-Count / 2024年12月1日 6時50分
■宇野勝氏は銚子商3年夏に甲子園出場…投手復帰案を拒否し、遊撃で活躍した
中日、ロッテで通算338本塁打を放った宇野勝氏(野球評論家)は1976年、銚子商3年の夏に目標の甲子園出場を果たした。準々決勝まで勝ち上がり、打者としては3試合で1安打だったが、強肩を生かした守備力でプロスカウトに注目された。そんな聖地での戦いでは何よりも、高松商(香川)と対戦した初戦(2回戦)の強烈なプレッシャーが忘れられないという。「『負けたら銚子の駅に降りられないらしいぞ』とみんなが言っていたんだよ」。これには名門強豪校ならではの“問題”があった。
1976年、高校3年の夏を迎える前に、宇野氏には投手復帰の話が持ち上がった。もともと1年秋は背番号1のエースとして千葉大会に臨みながら、右肘を痛めてリタイア。その後、内野手に転向したが「肘は治っていたし、ボールを投げればまだまだ速かったし、コーチから『どうだ』って言われたんだよ」。だが、ここまで頑張ってきた同級生の当時のエースの気持ちを考えて断ったという。「そうなったらそいつが辞めるという噂も流れたんでね。噂だけどね」。
“投手・宇野”はその時点で完全消滅した。「球の速さ的には自信もあったし、(投手として)いけるっていうのもあったんだけど、チームのためっていうか、そのままでも(甲子園に)行けるんじゃないかという感じも何かしたんだよね。それで、コーチに『いや、これで行きましょう』と言ったんだと思う」。その通り、銚子商は千葉大会を駆け上がった。館山を10-0、多古を9-1、市銚子に4-0、千葉商大付を9-0、東金商を2-0で破り、4強に進出した。
準決勝では、前年の1975年夏と秋に敗れた習志野に延長10回3-2でサヨナラ勝ち。「接戦だったよね。ギリギリだった。やばかったんだよ」と振り返ったように7回表までは0-2で負けていた。その裏に追いつき、延長戦の末に手にした勝利だった。安房との決勝戦は毎回得点の15-0で大勝。「習志野に勝って、行けるって雰囲気になったのも覚えているよ」。宇野氏が主力となって初めてつかんだ甲子園切符。目標を達成した。
■甲子園初戦は自身の美技もあって初戦突破…8強に進出した
ところが、ここからものすごいプレッシャーに襲われたという。「銚子商は夏の甲子園では1回戦で負けたことがないという伝統があって、負けたら銚子の駅に降りられないらしいぞ、大変だぞって話になった。みんなで『1回戦負けだけはまずいぞ』って。春(1976年選抜)は報徳学園に0-16で負けたことがあったけど、夏はないってね」。1976年選抜大会終了時点で銚子商は春は6度、夏は8度甲子園に出場。初戦成績は春5勝1敗、夏は全勝だった。
そんな中で、高松商との初戦(2回戦)を延長14回の激闘の末、5-3で制した。「その試合はホント、危ない、危ない、危なかったのよ」と宇野氏は声のトーンを上げた。2点リードの9回裏に追いつかれての延長戦。「その時に俺が三遊間の深いゴロを捕ってファーストでアウトにした。セーフだったらサヨナラ負けだったのかな。そのプレーをプロのスカウトが評価してくれたって、後で聞いたよ」。
負けられない重圧の中で、必死のプレーがプロへの道もたぐり寄せたのだから宇野氏にはなおさら印象深いものになっているのだろう。「1勝したら、みんな気楽になった。ここからは楽しんでいこうよって感じでね」。3回戦は東海大一(静岡)を4-1で破った。準々決勝は初出場で優勝を飾った桜美林(西東京)に2-4で敗れたが「号泣とかさ、そういうのはなかったよ。泣いているヤツいたかな、いなかったんじゃないかな。もし初戦で負けていたら泣いていたと思うけどね」。
銚子商はその後、1985年夏の甲子園大会で初めて初戦敗退。2005年夏を最後に甲子園から遠ざかっているが、宇野氏にとって伝統校のプレッシャーと闘った高校最後の夏はかけがえのない思い出だ。「『桜美林? 知らねーよ。どんな高校だよ』なんて、みんなで言っていて、そこにコロっと負けちゃったんだけどね。でも、その年は桜美林が優勝でしょ。救いはそれだったね」と笑顔で振り返った。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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