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野球に夢中も…巨人戦は「見るのが苦痛」 父親への反発、広島名手が抱いた“嫌悪感”

Full-Count / 2024年12月22日 6時50分

広島で活躍した天谷宗一郎氏【写真:山口真司】

■平泳ぎで福井県1位 先生から「五輪も目指せる」と…

 プロ17年間カープ一筋の走攻守3拍子そろった外野手、ホームランキャッチの離れ業でも知られるのが天谷宗一郎氏(野球評論家)だ。福井商から2001年のドラフト9巡目で広島入りして活躍した。好調時の怪我など不運もあったが、不屈の精神で食らいついた。幼少時代は平泳ぎの有望選手だったのが、あえて野球に転向。偶然にも当時オリックスの田口壮(そう)とイチローを足した名前の「ソウイチロー」は2人のファンだったという。

 1983年11月8日生まれ。福井県出身の天谷氏は鯖江市立鳥羽小3年の時から、素振り100回が1日のノルマだった。「父親にやるように言われて続けました。中学からは200回になりましたけどね」。それは水泳をやめて野球に転向した時から始まった。「友達に誘われて野球を始めたんですけど『それまで続けてきた水泳をやめるんだったら覚悟を持ってやりなさい。じゃあ素振り毎日100回、約束しよう。約束ごとは絶対守れ、その場しのぎは絶対するな』ということでね」。

 手は抜けなかった。父・鉄雄さんの目がいつも光っていた。「子どもが素振り100回するとなったら30分くらいかかるはずなんですが、ある時、気が乗らなくて10分くらいで帰ったんです。そしたら『ホントに10分でやったんか。やってみせろ』って。時間内に100回終わったけど汗だくだったんですよ。で『さっきは汗かいていなかったじゃないか』と言われて……。でも、そうやって続けたおかげで土台ができた。今でもすごく感謝しています」と振り返った。

 当時は水泳で将来有望な選手だった。「平泳ぎは小学校低学年の福井県でずっと1位でした」。実力は抜けた存在で、先生からは五輪も目指せるとまで言われていた。「まぁ、それはリップサービスの部分もあったと思いますし、自分はピンと来ていなかった。それに1歳上には北島康介さんがいたんで、そのまま水泳をやっていてもオリンピックには出られなかったですから」と笑いながら話したが、野球転向の際には周囲から、かなり引き留められたそうだ。

「一人で黙々と何かを突き詰めるのが自分の性格に合ってないというの分かっていた。同級生が学校終わりに野球の練習に向かう姿がすごくうらやましいなってずっと思っていたし、そのタイミングで『一緒にやらないか』と言われて乗り換えました。野球がやりたい気持ちが水泳よりも強くなってスパッと。何の未練もなかったです」。その決意の固さに周りも慰留を諦めた。同時に父からは「毎日素振り100回」が言い渡されたわけだ。

■「左利きなので気付いたら…」憧れ田口&イチローと同じ外野手に

 鳥羽小のスポーツ少年団の軟式野球チームに入った。「もちろん、最初は控えでした。背番号が14だったのは覚えています」。常に1位だった水泳とは立場も変わったが「全然、しんどくなかったです。むちゃくちゃ、楽しいし、みんなで一つのものに向かっていくというのが憧れだったんでね」。まさに野球に夢中だった。「小学校4年生くらいからちょろちょろ試合に出させてもらって、5年生くらいからレギュラー。左利きなので気付いたら外野でしたね」。

 テレビでプロ野球中継を見るのは好きではなかった。「親からは見るようにって言われたけど、見るくらいだったら練習したいって感じ。当時は巨人戦くらいしかやっていなかったけど、見るのが苦痛で巨人が嫌いになったというか……。誰がいたかも覚えていない。いつだったか、ショートフライが上がって“落とせ!”って心の中で思ったら本当に落としたことくらいしか覚えがないです。まぁ、野球中継よりもバラエティ番組とかを見たい年頃だったんでね」。

 そんな中、オリックスの田口とイチローのファンになった。「僕が小学6年の時にオリックスが優勝したんです。オリックスファンというのではなくて純粋に2人が好きでした。自分も外野手だったから憧れました。僕の名前も“ソウイチロー”だし、なおさら親近感も覚えて」。イチローの愛知県の住所を調べてファンレターも書いた。「神戸の寮に送るとか、球団に送るとかのやり方を全然知らないから。愛知県の方にね」。だが、書いただけで送らなかったという。

「封筒に切手まで貼って、あとは出すだけだったんですが、これは本当に届くのだろうかとか、恥ずかしくなってきたというのも強くなって終わりました。ビビりな性格なんでね。何を書いたかは、覚えていません。たぶん“大好きです、憧れています”みたいなことだったと思いますが……」。田口&イチロー効果もあってか“ソウイチロー”は外野手として成長していった。「小6の時は全国大会でベスト8でした」。野球でも上を目指したい気持ちが芽生えていた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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