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トレード移籍後に失った立場…元HR王が見せられなかった意地 打率.176も球宴選出に苦悩

Full-Count / 2024年12月19日 6時50分

中日、ロッテで活躍した宇野勝氏【写真:山口真司】

■ロッテ移籍1年目の宇野勝氏は脇腹を痛めて離脱…復帰後は控えに回った

 悩んだ末に出場を決断した。NPB遊撃手のシーズン最多本塁打記録(1985年の41本)保持者の宇野勝氏(野球評論家)は、1992年オフに中日からロッテにトレード移籍した。人気は絶大だった。開幕後に脇腹を痛めてレギュラーの座を失い、前半戦終了時点で打率.176、2本塁打の成績だったが、1993年のオールスターゲームにはファン投票で選出された。「でも、数字を残していなかったし、辞退も考えたんだよ」。背中を押してくれたのは親交ある大物俳優だったという。

“トレードショック”を懸命に振り切って宇野氏は新天地・ロッテでの出直しを誓った。すっかりなじんでいた中日生活に別れを告げて、プロ17年目にして初めてのパ・リーグ。慣れない環境の中、調整に励んだ。「キャンプはアリゾナ(スコッツデール)だったね。伊良部(秀輝投手)とかがいてね。まぁ、どっちにしたって入っちゃったんだから気持ちを切り替えてやった。開幕戦はスタメンでヒットを打ったんだよね……」。

 4月10日のオリックスとの開幕戦(グリーンスタジアム神戸)には「5番・遊撃」で出場して4打数1安打だった。だが、その後につまずいた。「脇腹をやっちゃったんだよね」。開幕5試合目の4月16日の西武戦(千葉)に「5番・遊撃」で出て、途中交代して戦列を離れた。「治ったんだけどね……。治った後に戻ったら南渕(時高内野手)をね、(監督の)八木沢(荘六)さんは俺が怪我している間にそっちを使うイメージになっていて……」。

 5月中旬に1軍復帰後はレギュラー遊撃手ではなくなった。スタメンもあったが、代打もあったし、最後まで出場せずに終わる試合もあった。それでも与えられたポジションを黙々とこなした。「6番・遊撃」で出た6月17日の日本ハム戦(千葉)では先発の吉田篤史投手が負傷してベンチ裏で治療を受けている間にスタンドのファンを盛り上げようと、マウンドに上がり、日本ハムの6番打者・小川浩一外野手と“対決”したこともあった。

「あれはね、前に俺が経験したことでもあったんだよ。中日の時の横浜戦、横浜スタジアムでね、誰かピッチャーが怪我をして次の打者が俺だった。横浜の連中がマウンドに集まって、高木豊に『宇野、打席に入って打て、いいから打て』みたいなことを言われて……。『じゃあ打つよ』と言ってカーンってレフトにホームランを打ったんだけどね。その覚えがあったから、ロッテの時には俺が投げるから次のバッターに入れって言ったと思う」

■球宴ファン投票で遊撃手部門1位も辞退を熟考「悩んだねぇ」

 結果は右翼越えの当たりを許した。宇野氏はマウンドでガックリと膝をついた。「そんなこともやったよね。パフォーマンスでね」。試合での出番は減っても明るい「ウーヤン」はロッテでも健在だった。人気があった。オールスターゲームにパ・リーグ遊撃手部門ファン投票1位で選出された。「セ・リーグから来た宇野を珍しがって投票してくれたんだろうけど、あれは悩んだねぇ。成績を残していなかったから……。辞退しようかなと思った」。

 代打がメインの打率1割台で出ていいのか。悩みに悩んだ末に出場を決意したが、これには俳優の奥田瑛二さんの言葉があったという。「奥田瑛二さんは愛知県出身で、たまに銀座とかで会ったりしていたんだよ。それであの時も話を聞いてもらった。『辞退しようかなと思っています』と言ったら『でもね、ウーヤン、はがきに宇野って書いて投函した人もいろいろいるんだから、(打率が)1割だろうが何だろうが出た方がいいよ』って」。

 第1戦(7月20日、東京ドーム)は終盤に遊撃守備だけの出場。第2戦(7月21日、神戸)は「9番・遊撃」でスタメン出場し、3回の第1打席で右前打を放ち、交代した。「第2戦でヒットを打ってホームに還ってきて(パ・リーグ監督の西武の)森(祇晶)さんに『ウーヤン、(日本ハム内野手の)広瀬(哲朗)が初めてのオールスターでまだヒットも打ってないから(交代で)いいか』と聞かれて『ああ、全然いいですよ』と言ってそのまま風呂に行った」。

 そこには第2戦に先発して2回を投げて交代した近鉄・野茂英雄投手がいたという。「野茂に『宇野さん、終わりですか』って言われて『うん、終わり終わり』と言って、一緒に風呂に入った覚えがある。あの時ね、カミさんと子どもとかが球場に来たんだけど『道が混んでいて着いたら、もうお父さんは出ていなかった』って。もう風呂に入っていたんだけどね」。奥田瑛二さんの“後押し”のおかげで、そんな球宴の思い出もできたわけだ。

 しかしながら、シーズン後半戦も宇野氏の立場が変わることはなかった。「代打でもいいやと思ってやっていたんだけどね。ゲーム終盤に大事な場面があって、ここで出番だと思ったら、出るのは他のヤツ。えっ、ここでもないんだっていうのが重なって、だんだん気持ちが切れていく感覚があった……」。1993年のロッテ1年目は59試合、打率.181、3本塁打、9打点。巻き返したくても巻き返せなかった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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