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M1で“非情通告”「自分がまいた種」 メンバー外で祈ったV「使いづらい選手だった」

Full-Count / 2025年1月6日 6時50分

広島時代の天谷宗一郎氏【写真提供:産経新聞社】

■天谷宗一郎氏は2016年、広島が優勝を決めた日に登録抹消となった

 優勝の瞬間がその日に来ることをひたすら祈っていた。2016年9月10日、緒方孝市監督率いる広島は25年ぶり7度目のリーグ制覇を成し遂げた。元広島外野手の天谷宗一郎氏(野球評論家)にとっては、プロ15年目にして初めて味わう優勝だった。胴上げ、ビールかけ……。歓喜に酔いしれたが、この日に決まってなければ、すべて経験できないところだった。9月10日に1軍登録を抹消され、2軍合流を1日だけ待ってもらっていたからだ。

 天谷氏の選手生活は隔年で結果を出す傾向にあった。プロ11年目の2012年に108試合に出場し、1番打者として活躍したかと思えば、12年目の2013年は打撃不振に陥り、34試合の出場に留まった。13年目の2014年は59試合出場ながら、111打数35安打の打率.315。6月14日のロッテ戦(QVC)から1軍に昇格してスタメンでも代打でもチームに貢献した。この年に放った3本塁打は、すべて先頭打者アーチだった。

「あの年(2014年)は2軍で状態が上がって、すぐ呼ばれた。(野村謙二郎)監督のところに挨拶にいったら『おー、今日1番な』って言われたのを覚えています。で、次の日(6月15日)に先頭打者(弾)。たぶん、その年は代打率もよかったはずですよ(.333)。勝負所の代打は小窪(哲也)で、僕はチャンスメークのところで使ってもらった。野村さんが僕の性格をしっかり見てくれて、そうなったと思うし、それがうまくはまったなってところですね」。

 だが、緒方監督体制となった2015年は再び、調子を落とした。30試合で28打数6安打の.214。5月21日に2軍落ちして、そのまま1軍に戻ることはなかった。「野村さんも緒方さんも打てば使ってくれた監督でしたから、不調だったと思います。ホント隔年選手でしたよね。波がホントに激しい。使いづらい選手だったと思いますね」と天谷氏は振り返った。

■V決定が延びれば、胴上げもビールかけも参加できなかった

 緒方広島がリーグ優勝を成し遂げた2016年は1、2軍を往復しながらも懸命にプレーした。5月5日の巨人戦(東京ドーム)には「5番・左翼」で出て菅野智之投手から2ランを放った。「東京ドームのホームランですよ。ドームランです。フラフラフラって行ったのが、そのまま落ちずに行ったんです」。もちろん、この時は思うはずもないが、結果的にこれが天谷氏の現役ラストアーチにもなった。

 そして9・10。広島にとって25年ぶりの歓喜の瞬間がやってきた。しかし、天谷氏はその日に1軍登録を抹消されていた。「ショックではありましたけど、自分がまいた種というか、結果を残していれば、そういうことはなかったんですからね」。代打でもなかなか結果を出せず、それが響いた形だったが、即2軍合流にはならなかった。「その日に優勝できなかったら、胴上げもビールかけも参加できなかったんですけど、決まったので参加できました」。

“何としても今日、決めてくれ”の思いが通じた。「みんなに言っていました。『頼む』ってね」と笑い、こう続けた。「もちろん、自分が中心として(チームに)いれば、なおよかったのかもしれないですけど、カープで低迷期に一緒にやってきた人たちが、選手としてそういった経験ができない人も多い中で、抹消はされたけどビールかけも参加できたし、強くなる過程というのを見ながらできたってところはすごく財産として残っていると思います」。

 広島はクライマックスシリーズ(CS)を突破して、日本シリーズに挑んだが、日本ハムに2勝4敗で敗れた。その間、天谷氏が出場したのはDeNAとのCSファイナルステージ第3戦の代打(一ゴロ)のみ。「日本シリーズには帯同していたんですけど、ベンチには入れなかった。でもね、それもまたホントにいい空気感を味わえたなと思っています」。苦しみながらも不屈の精神で前を向いた。翌2017年の広島、リーグ連覇の瞬間はグラウンドで迎えることになる。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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