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阪神からパ移籍も「野球どころじゃない」 まさかの消滅危機に…今も続く“儀式”を発案

Full-Count / 2025年1月28日 6時50分

2003年オフ、近鉄へトレード移籍した川尻哲郎氏【写真提供:産経新聞社】

■川尻哲郎氏は2004年に近鉄移籍、開幕ローテ入りも援護に恵まれなかった

 2003年オフに阪神から近鉄にトレード移籍した横手投げ右腕の川尻哲郎氏だが、そこで待っていたのは近鉄とオリックスの合併だった。2004年のシーズン中に事態が表面化。セ・リーグ、パ・リーグの12球団2リーグ制から球団数を減らした1リーグ制への球界再編問題も取り沙汰された。この動きに日本プロ野球選手会は大反発。川尻氏も危機感を募らせ、反対の署名活動など積極的に動いた。「近鉄で思い出すのはそういうことですよねぇ……」と話した。

 星野仙一監督率いる阪神がセ・リーグを制覇した2003年、プロ9年目の川尻氏はわずか2登板で1勝1敗、防御率9.00の不完全燃焼でシーズンを終えた。オフには前川勝彦投手との交換トレードでの近鉄移籍が決まった。「環境を変えて一生懸命やろうという気持ちにもなった」。新天地での背番号は11。「(過去に)野茂(英雄投手)や大塚(晶文投手)がつけていて、すごいいい番号を用意してくれたなぁって思いました」。当然、気合も入った。

 初めてのパ・リーグ。入団以来、人気球団の阪神しか知らなかっただけに、やはり“差”は感じたという。「キャンプから、マスコミも含めて人が少ないとは思いましたね。そうだということはわかっていたんですけど、ホント少ないな、何かのんびりしているなってね。まぁ、静かに野球ができるな、みたいにも思ったし、集中はできましたね。(阪神で同僚だった)北川(博敏内野手)や星野(おさむ内野手)や山村(宏樹投手)とかもいたしね」。

 近鉄・梨田昌孝監督の下で先発ローテーション入りし、開幕5戦目の3月31日のロッテ戦(大阪ドーム)に先発して7回無失点、移籍後初登板で初勝利をマークした。だが、打線の援護にあまり恵まれなかった。4月6日のダイエー戦(大阪ドーム)は9回1失点で勝ち負け関係なし(近鉄が延長10回サヨナラ勝ち)。4月13日のダイエー戦(福岡ドーム)は2失点完投で敗戦投手(試合は0-2)になった。

「けっこう抑えたんですけど、近鉄が打てなかったですね。“いてまえ打線”がずれてきた時くらいで、僕が投げた時は点を取らないという……。また(阪神時代と)一緒か、みたいな、そういうのはありましたよね」。4月24日の西武戦(大阪ドーム)は1失点完投で2勝目。史上297人目の1000投球回も達成した5月2日のダイエー戦(大阪ドーム)では延長10回1失点完投で3勝目を挙げたが、スコアはいずれも2-1だった。

■2004年6月に球団合併問題が表面化…反対の署名活動などに動いた

 5月2日終了時点で川尻氏の防御率は1.84と安定感抜群だった。しかし、ここから好調をキープできなかった。5月21日の日本ハム戦(東京ドーム)では阪神時代に仲がよかったSHINJO(新庄剛志外野手)に一発を浴びるなど1回2/3を6失点でKOされ5敗目。「新庄にホームラン。まぁ、今となってはいい記念かなと思っていますけどね」と笑みを浮かべながら話したが、当時は悪い流れをなかなか断ち切れなかった。

 そんな時に追い打ちをかけたのが近鉄、オリックスの合併問題だ。6月中旬に表面化した。「そこらへんから、何か野球どころじゃなくなってきたみたいだった。1リーグになって11球団になっちゃうのはまずいなと思った。そうなったら、野球関係に残れる人も少なくなっていくわけだし、それってやっぱりよくないよなって気持ちがすごくあった。自分も何かできないかと思った」。合併反対の署名活動に積極的に参加するなど、できることをそれこそ必死で行った。

「試合が終わった時に(スタンドのファンに)『ありがとうございました』っていうのをやりはじめたのは近鉄なんですよ。それまではやっていなかったんだけど(近鉄選手会内の話し合いで)『この状況で球場に来てくれる人たちに対して勝っても負けても挨拶した方がいいんじゃないか』って僕が提案しました。今は(他球団も)当たり前にやっていますけど、そんなファンへの感謝の気持ちを作ったのが近鉄だったってことはよかったかなという気がしています」

 近鉄球団消滅は止められなかったが、そんな熱い動きが1リーグ制移行の流れに待ったをかけた。9月には日本プロ野球選手会がNPB初のストライキも決行。12球団2リーグ制は維持されることになった。近鉄とオリックスが合併してオリックス・バファローズとなり、仙台を本拠地とする新球団・東北楽天ゴールデンイーグルス誕生という形で落ち着いた。

 わずか1年の在籍ながら近鉄最後のメンバーにもなった川尻氏の2004年の成績は4勝9敗、防御率4.26。シーズン後半は思ったような数字を残せずに終わったが「合併問題で自分なりにやったのが近鉄での一番の思い出ですね」としみじみと話した。2004年オフには分配ドラフトで楽天への移籍が決定。川尻氏はまた野球がやれるとの思いで新天地に向かった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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