告げられた続投の条件…契約残して監督退任「悔い残る」 用意されなかったポスト
Full-Count / 2025年1月28日 7時10分
■ロッテは2012年に5位となり、西村徳文監督は契約を1年残して退団
2010年にロッテ監督1年目でリーグ3位からの“下剋上日本一”を達成した西村徳文氏だが、2011年は最下位、2012年は5位と低迷し、契約を1年残しながらも同年限りで退団となった。1981年ドラフト5位で入団して以来、31年間途切れることなく着続けたロッテのユニホームとの別れ。ポストは用意されておらず「寂しかった」と本音を吐露した。
2010年オフ、日本一に貢献した投打の柱がチームを去った。リードオフマンとしてフルイニング出場を果たし首位打者となった西岡剛がポスティングシステムを利用してメジャー移籍。57試合に登板して29セーブを挙げた小林宏之は海外FA権を行使してメジャーを目指した(結局オファーなく2011年に阪神入り)。大きな戦力の穴を埋めることは最後までできなかった。
就任3年目の2012年は開幕4連勝と絶好のスタートを切り、前半戦を首位で折り返した。2005年以来のリーグ優勝へ気運は高まったが、後半戦に急失速。8月31日からは9連敗を喫し、順位はみるみる下がっていった。
シーズン終盤、球団幹部から「Aクラスならもう1年やってもらう。Bクラスなら契約は1年残っているけど退いてもらう」と通達された。V字回復を遂げることはできず「そういう話だったので、わかりましたと」。勝負の世界は結果が全てだとわかっている。しかし「3年目はすごく悔いが残る1年でした」と唇を噛んだ。
■選手時代から31年間在籍「思い出が蘇りました。千葉で21年間やった」
1981年ドラフト5位で入団して以来、ロッテ一筋。選手時代には首位打者や4年連続盗塁王に輝き選手会長も務め、監督としては日本一を成し遂げた。功労者であることは疑いようがないが、監督退任後のポストは「なかったんです。それは会社が決めることですから、自分では割り切っていました」。
とはいえ31年間に及んで在籍し、多くの思い出が詰まったチームを去ることには感傷的にもなった。「一番最後に監督室を整理しに行って、最後の荷物を自分の車に積みに行くときは一番寂しかったですね。思い出が蘇りました。川崎球場で10年やったあと、千葉で選手、コーチ、監督まで21年間やったわけですからね」。最後はあっけなく、ロッテを去った。(町田利衣 / Rie Machida)
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