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50人入部も3/4が退部、名門校で直面した恐怖 「悪目立ちしないように」…息を潜めた3年

Full-Count / 2025年2月9日 7時10分

近鉄などで活躍した佐野慈紀氏【写真:小林靖】

■元近鉄・佐野慈紀氏が語る少年時代

 近鉄などでセットアッパーとして活躍した佐野慈紀氏はお馴染みの「ピッカリ投法」など、持ち前のキャラクターで人気を博した。小学校時代はソフトボールを経験し、中学校では野球部に。当時は控えも経験したといい、決して順風満帆の少年時代ではなかった。

 中学時代、内野をやりたかったが、肩が強いということで投手兼任に。2年生になり、新チームでは遊撃を希望するも、他に上手な選手がいたため三塁兼控え投手だった。普通の中学校の野球部で戦績は平凡だったが、最後の試合終了後。「良いピッチャーだね、うちに来なよ」と声をかけたのは松山商高の校長先生だった。

 名門校からの誘いに佐野氏はその気になった。担任は「お前の成績じゃ無理」と笑ったが、見事に合格。待っていたのは厳しい“昭和らしい名門校”だった。「上級生が怖いと思ったのは初めて。1年生は50人くらいいたけど、練習の厳しさや先輩から目をつけられて辞めていった。だからとにかく目立たないようにしていた。僕の学年は3年の夏まで残ったのは13人です」。

 ただ、「強い高校はどこでもそうだろうけど、ピッチャーはとりあえずチャンスをくれる」という環境で、練習試合でも短いイニングを任されるようになった。もっとも本人は「ベンチに入ろうという欲もなく、とりあえず安全に過ごしたかったから、言われたことを黙々とやっていただけ」。

■下級生からベンチ入りも「悪目立ちしないように」

 1年生の夏の県大会、2年生でもベンチ入り。しかし、「悪目立ちしないように」という思いは変わらなかった。2年生の夏は県予選敗退で、最終学年では2番手投手となり、外野手も兼任。最後の夏は背番号9だった。

「1イニングとか1打席出られれば」という気持ちだったが、出番がないまま迎えた県予選の準々決勝、前日に先発を言い渡された。「オレのせいで負けたら嫌だな」と思いながらも完封勝利。その後はエースの活躍で甲子園に出場し、1、2回戦は順調に勝ち進むも、3回戦でピンチを迎える。

「エースが連打されて、いきなり肩を作れと言われました。さらに逆転されて2アウト満塁で僕に交代。緊張する余裕もなく超冷静でしたね。打者は2年生だったので強気で投げて三振。結局最後まで投げて勝利投手になりました。打席も2度回ってきて、ポテンヒットを打ち、三盗までしましたよ」

 大差のついた準決勝でも2回を投げ、もう十分という気持ちだったはずが、決勝戦では変化が現れる。「初めて試合に出たいと思った」。リリーフに代打に準備をするが、出番はないまま敗戦。「準優勝の満足感は全くなく、悔しくて泣いていた。なんで出してくれないんだ、面白くねぇ、ってね」。

 しかし時間とともに気がついた。「面倒なことからは逃げればいい。そんな3年間だったのに、決勝戦に出たいなんて、都合が良すぎる。必死になれるところ、試合に出られるところに行こうと。これからは必死にやろうと決意したんです」。進路に選んだのは1学年15人程度の精鋭、近大工学部だった。(伊村弘真 / Hiromasa Imura)

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