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闘将の前で大暴れ→2軍幽閉で「オフにクビに」 壊れたメンタル…1年で終わった中日生活

Full-Count / 2025年2月11日 7時10分

近鉄、中日でプレーした佐野慈紀氏【写真:本人提供】

■佐野氏が語る中日時代…TJ手術後はうまくいかず「メンタルはガタガタ」

 元近鉄の佐野慈紀氏は現役時代、中継ぎ投手としてNPB史上初めて年俸1億円を突破したが、代償も大きく、1997年シーズンオフにトミー・ジョン手術(右肘の側副靱帯再建術)を受けた。1年以上のリハビリを経て復帰した1999年は、28試合登板(8試合に先発)で防御率5.47と不本意な成績。同年オフ、中日へトレードで移籍した。

 コーチに怖がりと言われるくらい、意図的にゆっくり進めたリハビリ。投げられるようになっても、以前の感覚とは微妙に違っていた。「指先の感覚も変わっていたし、旧知の理学療法士に診てもらったら、ひじの角度もちょっと変わっていると。(右打者の)外角いっぱいに狙った球がちょっと中に入ったりする。その修正はなかなかできなかった」。

 リハビリ中もトレーニングをしていたため、球速そのものは上がった。「でも、再現性が続かない。調子が良いと球速も出るけど、悪いと全然ダメ。調子が悪いなりのピッチングをすることもできない。ふくらはぎの肉離れなどもあって、ちょっとした感覚の違いが積み重なっていった」。現代とは違い、リハビリの情報も少なかった。うまくいかずにフラストレーションが溜まる日々だった。

 開幕前にふくらはぎを痛めて2軍に。「1軍からの打診があっても2軍の首脳陣は推薦してくれなかったと聞いて、さらにモチベーションは下がっていた」。ようやく昇格したと思えば、敗戦処理がメイン。「メンタルはガタガタでした。登板機会は少ない上に投げても敗戦処理ばかりで、プライドも傷つきました」。

■巨人コーチに狙った“故意死球”…同僚助っ人から「何してるんだ」

 巨人戦で1イニングに4被弾を浴び、NPBワーストタイ記録となった。被弾後、打者だった川相昌弘氏(現巨人2軍野手総合コーチ)へ“故意死球”を狙った。ボールは外れたが、川相氏も“察知”。直後に当時ファーストのレオ・ゴメスが猛ダッシュして佐野氏に「お前、何してるんだ!」と一喝した。「彼は僕に怒っていた。でも巨人の選手にそのことは伝わらないから、たくさんの選手が出てきて乱闘寸前でした」。川相氏には後日、謝罪した。

 別の日には、どうせ出番はないと不貞腐れ、自分の練習をしようとブルペンで100球ほど投げ込んだ。鬼気迫る姿に「コーチも何も言えなかったんでしょう」。しかし不幸にも延長戦に入ってしまい、声がかかる。当然、本調子には程遠く、打ち込まれた。登板後はベンチ裏で怒りが爆発した。「そこらじゅうを蹴りまくって、ドンガラガッシャーンって」。監督付きの広報が慌てて出てきて「お前、何やってるんだ。監督への反発か」と問われたが「違います、自分に腹が立ってるんです」と返答し、さらに暴れた。

「監督は星野仙一さんでした。すぐに2軍に落ちて、その後は1軍に呼ばれなかった。オフにクビになりました」。中日にはたった1年の在籍となった。

「既にベテランだったから、周りも遠慮している中で、これだけの暴れっぷり。それは誰も寄ってこないですよね」と中日での1年を振り返る。技術的にも精神的にもうまくいかず、佐野氏を追い詰めた。「もうひと踏ん張りができなかったですね。今思えば、自分でがむしゃらに必死に頑張ろうという気持ちがなかったんでしょう。どこかで他人を頼っていた」。

 退団後、2球団のテストを受けて手ごたえを感じるも不合格。「これでメンタルは崩壊しました」。翌年からは心機一転、アメリカで挑戦することを決意した。(伊村弘真 / Hiromasa Imura)

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