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大阪西成区の明月荘がいよいよ取り壊し 沢田研二さんらザ・タイガースが暮らした日本ロック発祥の地

ガジェット通信 / 2019年4月23日 10時30分

4月17日、大阪市西成区のアパート“明月荘”の解体作業がはじまった。

明月荘は大阪メトロ岸里駅から徒歩5分程度。木造2階建てでいかにも古めかしいたたずまいだ。いつの頃からか廃墟となっており、崩れかけの壁面は長年ブルーシートで覆われていた。

今をさかのぼること50年以上……ビートルズやローリングストーンズが音楽で世界のカルチャーを塗り替えていた1960年代の中ごろ、明月荘には彼らにあこがれミュージシャンを夢見る若者たちが集まっていた。

のちにザ・タイガースとしてデビューし、グループサウンズブームの頂点に立つことになる沢田研二さんらファニーズのメンバーもその一員だった。

ファニーズを明月荘に住むようあっせんしたリンド&リンダース宇野山和夫さんにお話をうかがった。

「住む人もいないのにこれまでずっとあったことが不思議でなりません。

当時は萩之茶屋から天下茶屋、岸里あたりはミュージシャン、玉出、住吉あたりはお笑い芸人が多く住んでました。当時は安アパートがいっぱいあったから夢を追う若者が集まっていたんですね。ミュージシャンは女の子を連れ込むやつが多かったから、よりミナミに近いほうに集まったのかな(笑)。とにかく今のイメージとは違ってエネルギッシュな土地だったと思います。

明月荘には7つ部屋があって、僕はその3番に結婚したばかりの妻と住んでました。

ファニーズとはグループ同士仲が良かったし、同じナンバ一番と言うジャズ喫茶に出演していたからいろんな絡みがありました。僕の友達が引っ越して5~6番が空いた時にみんなで住まないかと誘ったんです。どれも2帖、3帖くらいの狭い部屋で窓がないところもありました。

当時はただ暗くて汚い下宿としか思っていなかったけど、振り返れば明月荘にいたあの時代こそが青春だったんだと思います。自分がこれからどうなるのかわからない中、不安と希望の中で過ごしていました。沢田研二が何時間も部屋の中でずっとひざをかかえて過ごしていた光景が印象に残っています。彼らは明月荘に住んだたった半年の間にナベプロからのスカウトを勝ち取って東京へ飛び立っていきました」

宇野山さんは明月荘の解体を知り、ザ・タイガースの瞳みのるさんと

(宇野山)「青春の思い出が、今まさに消え去る瞬間です。大阪市 西成区 千本裏通り《明月荘》。18歳でしたね。ザ・タイガースがファニーズの頃。」

(瞳)「ウーニャン、とうとう壊されたのですね。これまで存在し続けた事に感謝します。僕たちよりも長く付き合ったあなたの思いが察せられます。思い出をありがとう。明月荘。」

というメールを交わしたらしい。

50年以上前に暮らしたアパートがこれまで現存したのは奇跡的だが、今になってそれが取り壊されるということは当事者たちにどのような感慨をもたらすのだろうか。

なおザ・タイガースのファンの間で有名な“沢田研二のサイン入り鴨居”などは解体前にとある筋によって持ち出され保存されているとのこと。建物自体とはいかなかったが、その一部がなにかしらの形で文化遺産として後世まで伝えられるよう期待している。

明月荘の解体作業ももう大詰め。現場を訪れる方も数多いらしいが、あくまで工事現場なので安全にはくれぐれも注意していただきたい。

―― やわらかニュースサイト 『ガジェット通信(GetNews)』

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