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最初は「酸っぱい!」というクレームも…日本での「プレーンヨーグルト」普及のきっかけは大阪万博だった

ガジェット通信 / 2025年1月31日 19時30分

4月13日から、いよいよ「EXPO2025大阪・関西万博」が始まります。今から50年以上前、1970年3月15日に開幕した日本万国博覧会(通称:大阪万博)は、総入場者数は6,421万人を超え、その数字の大きさだけでなく、大阪万博は日本人の経済だけでなく文化にも多大な影響を及ぼしました。

万博をきっかけにうまれたインフラや家電として、「動く歩道」「電波時計」「温水洗浄機付きの便座」などがありますが、食文化への大きな影響も。フランスパンやイタリアのパスタ、ロシアのピロシキなど、海外の食文化が一気に日本にもたらされました。外食産業の新しいスタイルとして、セントラルキッチンのファミリーレストランや、ファストフードも。

朝食やおやつでおなじみのプレーンヨーグルトも、実は大阪万博に出展していたブルガリア館での出会いがきっかけ。明治乳業(現・明治、以下同様)の社員がブルガリア館で提供されていた酸味の強い世界水準のプレーンヨーグルトに感動し、翌年商品化し、食の欧米化や健康トレンドとともに、約4,000億円まで市場は拡大したのだとか。

大阪万博開催当時、天皇陛下御訪問の報道もあり、ブルガリア館で提供された本場ブルガリアのプレーンヨーグルトが話題となり、当時の明治の社員も訪問し、世界水準の“プレーンヨーグルト”に驚いたそう。当時の日本では、ヨーグルトといえば甘味を付けた子ども用デザートで、寒天で固めた瓶入りタイプのものが主流。

100年前に免疫学者イリヤ・メチニコフが、「ブルガリアの人が長寿なのはヨーグルトを食べているから」と不老長寿説を唱え、ブルガリアのヨーグルトの健康価値は世界でも広がっていました。この新たな可能性に着目し、既に自社の乳酸菌と開発技術をもっていた明治は、翌年1971年に日本初の「明治プレーンヨーグルト」を商品化。ところが、甘みの付いたデザートヨーグルトに慣れていた消費者からは、「酸っぱくて腐っているのではないか!」などとクレームが続いたそう。

それでも明治は諦めず「本場ブルガリアも認めたヨーグルト」であることを目指し、当初よりブルガリアの国名を商品名として使いたいと直談判。国営企業相手の交渉はなかなか進まず、ブルガリア側は「ヨーグルトはわが国の心 !」となかなか許可が下さなかったそう。

ブルガリアから、明治の生産工場や乳酸菌研究所の視察を受け入れ、交流を続けていくと、日本の生乳の質の良さや明治の技術、工場設備や研究に関しても、当時はまだ社会主義国家であったブルガリアに比べてはるかに進歩しており、粘り強い交渉の末、商品に国名を入れる許可を獲得。

ただし、1国1社にしか提供しないというブルガリア産の純粋種菌である「ブルガリア菌」と「サーモフィラス菌」の使用が条件となり、50年経った今でも現地から純粋種菌を空輸し続けています。2024年10月には、乳酸菌・腸内細菌研究を通じた新しい価値創出と、さらなる関係強化に向け、明治とブルガリア国営企業LBブルガリカム社は、長期共同研究契約を締結しています。

一方、ブルガリアにとっても、初の世界見本市への出展をきっかけに、日本で「ヨーグルトの国」として知られていることは非常に感謝すべきことと捉えているそう。ブルガリア国営放送では、日本とブルガリアにおけるヨーグルト外交に関するドキュメンタリー番組を2025年1月22日に放送。私も見たい!

私たちの食卓に欠かせなない存在となり、50年の歴史を持つ日本のプレーンヨーグルト。このおいしさを味わう時には、こんな歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

参照:https://www.meijibulgariayogurt.com/about/yogurtbook.html

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