自宅で子どもに「タブレット情報端末」を使わせない理由

ガジェット通信 / 2013年7月22日 20時0分

自宅で子どもに「タブレット情報端末」を使わせない理由

今回は中原淳さんのブログ『NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原研究室』からご寄稿いただきました。

■自宅で子どもに「タブレット情報端末」を使わせない理由

「あら、中原さん、意外に保守的なのね」と思われるかもしれませんが、僕は、6歳になる息子TAKUZOには、「タブレット情報端末」は、日常的に自宅で、使わせていません。

「全くのゼロか?」というと、そこまで厳密でもないのですが、「限りなくゼロ」といってもいいでしょう。

同じタブレットでも、「ベニヤ板」なら、欲しいだけ渡します(笑)。でも、僕は、現段階では、子どもに、いわゆる「タブレット型の情報端末」を渡しません。

なぜなら、現在のわが家の、我が子の状況だと、タブレットを利用させると、「メリットよりも、デメリットの方が多い」と、いくつかの試行を通して、経験的、かつ、合理的に判断した結果です。

最初に断っておきますが、今日の話は、あくまで、我が子、そして、我が家の状況で、「親としての僕」が、現段階において判断した結果の話です。それ以上でも以下でもありません。

もちろんですが、このことを、他の方におすすめすることも、かつ、一般化をめざすこともしません。あくまで「親としての僕は、今の自分の子どもには、タブレットは使わせない」というだけです。

そのことをご承知置きのうえ、もしご興味があれば、下記をお読み下さい。

具体的な理由は「明瞭」です。

現段階の学齢で、タブレットを渡すと、うちの子どもの場合は、

「メディア利用の仕方が"創造"よりも"安易な消費"にながれる」

「メディアを利用したことによる生活時間の全体的変化がポジティブなものより、ネガティブな方向に変化する」

可能性が高いからです。

いろいろ実験した結果、そう判断しました。

中には、下記のようなことをおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

タブレット情報端末に、「学習によいアプリ」を入れておけばいいのではないか?、と。

しかし、現段階の我が子では、たとえ、そういうものが利用できたとしても、デメリットの方が大きいだろうな、と想像します。

なぜなら、メディア利用とは、容易に、「親の想定の範囲」を超え「習慣化」し、いったん「惰性」を獲得すると、その「補正」には時間がかかるからです。

どんなにタブレットに学習アプリを入れても本当に子どもが見たいものはそれではありません。

気がつけば、Youtubeで、マンガをみているでしょう。

その刺激的な映像は、リコメンデーションにより無限に続きます。

どんなにタブレットにクリエィティブなアプリがはいっていても、必要なものは、ぐぐってポチって入手します。

どんなものでも、ネットにはある。

そのことを、今の小学生は知っています。

どんなにタブレットの利用を時間で限っても家庭での会話をそっちのけで、タブレットに向かう時間が増えます。

いったんその習慣がつきますと、それを変化させることは容易ではありません。

上記の僕の懸念は「TAKUZOの、今の年齢の場合は・・・あてはまる」というだけです。そして、僕は、「それはしょーがないよな」とも思います。少なくとも、僕が6歳ならば同じことをするでしょう。

もちろん、クリエイティブな利用の仕方をなさっている他の子どもがいらっしゃることは、容易に想像できますので、すべてにあてはまるわけではありません。くどいようですが、今日の話は、僕の「わたしの教育論」です。

さらにつっこんで申し上げますと、僕が主張したいことは「明確」です。

親としての僕が気になるのは、

・「単体の学習アプリ」の教育効果ではありません。

・「単体のクリエィティブアプリ」の利用結果ではありません。

単体で、どんなに教育効果が高く、クリエィティブな利用をされるソフトウェアやアプリがあったとしても、親としての僕が気にかかるのは、「そのこと」ではありません。

逆にいうならば、もしそうした評価が行われているのだとしたら、その観点が、少し僕の関心とはズレています。

つまり「単体の学習アプリの評価」をいくら聞かされても、あまりピンとこないのです。僕が、本当に知りたいし、気にかけたいことは、

・タブレットというメディアを利用することで、子どもの生活時間が「消費よりも創造に向かう」かどうか

・メディアを利用したことによる生活時間の全体的変化がポジティブなものより、ネガティブなものにつながる

かどうかです。

断っておきますが、タブレットであろうと、なかろうと、ネガティブな側面がないメディアは存在しません。また、消費と創造という2つの観点でいけば、完全に創造のみに用いられるメディアも、完全に消費だけに用いられるメディアも存在しません。

僕が大切にしたいことは、メディア利用の全体を通して、

「ポジティブなアウトカムが、ネガティブよりも多いこと」

「消費よりも創造の方が多いこと」

です。

タブレット全体のメディア利用を通して、そのことが知りたい、なと思います。

というわけで、残念ながら、我が子TAKUZOは、「ベニヤ板」は使えますが、「情報端末」は使わせてもらえません。もちろん、未来永劫というわけではありません。

メディアとの自省的、かつ、節度をもった、つきあい方ができる学齢になれば、「ベニヤ板」に加えて「情報端末」を渡すことになるのだと思います。そのときがくることを、願っています。

「TAKUZO、世界で最も大切なもののひとつは、"自分の時間"だよ。自分の時間を、他人に使われないようにしなくちゃね。」

「TAKUZO、世界で一番怖い泥棒さんは、時間泥棒さんだよ。それは知らないうちに、自分の大切な時間を奪っていくよ。」

それが、自分の力と意思で、できるまで、もう少し待とうね。

以上、わたしの教育論でした。

そして人生は続く。

執筆: この記事は中原淳さんのブログ『NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原研究室』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年07月22日時点のものです。

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