元日本代表奥大介さん急逝…現役時代所属3クラブが追悼コメント
ゲキサカ / 2014年10月17日 19時58分
元日本代表の奥大介さんが17日、交通事故のため他界した。38歳だった。
現役時代に所属した3クラブがそれぞれ公式サイトに追悼コメントを掲載した。
兵庫県尼崎市出身の奥さんは神戸弘陵高から1994年にジュビロ磐田に入団。1998年には日本代表に選出。2001年まで在籍し、リーグ優勝に導くなど、磐田黄金期の一員として活躍した。磐田は高比良慶朗社長の署名入りでコメントを発表。「ジュビロ磐田で活躍をされた奥大介氏が10月17日に交通事故で急逝されました。ジュビロ磐田には1994年から2001年まで在籍され、ジュビロ磐田黄金期といわれる時代に活躍され、チームを支えていただきました。今はただ、奥大介氏のご冥福をお祈りし、謹んで心より哀悼の意を表します」と故人を悼んだ。
2002年から在籍した横浜F・マリノスでもすぐに主力になって活躍。2年連続年間優勝に導くなど、ここでも黄金期の一翼を担った。クラブは公式サイトで「奥大介氏のご急逝を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます。奥大介氏は2002年から2006まで横浜F・マリノスに在籍し、中心選手として活躍され、2003年、2004年のJリーグ連覇において多大なる貢献を頂きました。深く哀悼の意を表し、奥大介氏のご冥福をお祈り致します」とコメントした。
現役生活最後のクラブとなったのは横浜FC。2007年の1シーズンの在籍となったが、引退後の2011年10月からは同クラブの強化部長に就任し、手腕を振るった。クラブは「10月17日元横浜FC強化部長の奥大介氏がご逝去されました。奥大介氏は、1996年ジュビロ磐田に加入し、2007年シーズン終了後横浜FCで現役引退するまで14年間Jリーグの舞台で活躍されました。またサッカー日本代表としても26試合に出場し多くのファン・サポーターの記憶にも残る選手でした。現役引退後も横浜FCのテクニカルディレクター及び強化部長としてクラブの発展にご尽力いただきました。ここに謹んでご冥福をお祈りすると共に、哀悼の意を表します」とコメントしている。
[写真]左から6人目の背番号15が奥さん。日本代表としても26試合で2ゴールを記録した。
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