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ドッジボールからJ2町田へ。渡辺健太が運命を自分で拓いた三度の転機

ゲキサカ / 2017年2月1日 11時50分

 ただ、トップ昇格の道は厳しかった。そんな高校3年の春に、渡辺はまた行動を起こす。「J2の22チームを自分で全部調べた。このチームのキーパーは年齢が何歳、何人体制といったことを調べたら、町田のキーパー陣は年齢層が高かった。ちょうど勢いがある時期で(J2の)1位に立っていた。『これはすごい』と思って……」

 町田は正GKの高原寿康が36歳で、しかもGKが3人体制。さらに昨季はJ2の7位に入った上げ潮のクラブだ。高卒新人がすぐレギュラーの座を掴むことは現実的でないが、2年後3年後を考えれば確かに“狙い目”だった。それに気づいた彼はガンバのフロントを通して町田にアプローチを行なう。これに応えた町田の丸山竜平強化部長が夏のクラブユース選手権を視察し、渡辺は町田のオファーを掴み取った。

 渡辺の恩師であるガンバユースの吉田宗弘GKコーチ(現京都サンガF.C.)は選手、指導者としてかつて町田に計4年間在籍していた。渡辺がそのことを知ったのは町田を“第一志望”と決めた後だった。

 G大阪ユースの同期は堂安律、食野亮太郎といった昇格組を除けば大学に進む。一方で彼は「リスクが大分ありますね」というプロの世界を選んだ。彼はその理由をこう説明する。

「ガンバ大阪(のジュニアユース)に入って、親が引っ越し代とか自分にお金をかけてくれた。プロが無理だったから、トップに上がれなかったからと言って、大学にすんなりいくというのは出来なかった。自分のプライド的にも嫌だった。『絶対プロになる』って、高1のときからずっと思っていた」

 そこには家族への感謝と、上昇志向があった。プロを夢見るサッカー少年は何万人といるだろう。練習で真剣に努力している選手も沢山いるだろう。しかし自分で自分のレールを正しく引ける若者は少ない。渡辺は「本気で上を目指す行動とは何か」を教えてくれる興味深い存在だ。

(取材・文 大島和人)

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