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試合の翌日、起きられずに会社に遅刻!?(『それ自体が奇跡』第5話)

ゲキサカ / 2017年12月24日 20時0分

試合の翌日、起きられずに会社に遅刻!?(『それ自体が奇跡』第5話)

30歳、結婚3年目、共働き。
夫は本気のサッカーを目指し、妻は違う男に惹かれ始めた。
初めて訪れる危機を二人は乗り越えられるのか!?
夢を追うすべての男女に贈る、話題の小説「それ自体が奇跡」をゲキサカで特別公開!


 翌月曜は仕事。朝、起きれなくて、かなりあせった。
 まず前夜、試合での負けが思った以上に尾を引いて、なかなか寝つけなかった。相手フォワードに抜かれた場面、あの一歩遅れた場面が頭から離れず、何度も寝返りを打った。試合のあとは興奮して眠れない。ままあることだ。特に夜の試合だと、早朝まで眠れないこともある。だが昼の試合でそこまでというのは久しぶりだ。隣に綾がいるので、安心していた。しすぎていた。綾は休みだということを、そのときは忘れていたのだ。
 微妙に距離をとられた隣のフトンから、綾に言われた。
「まだいいの?」
 半睡の状態で、応えた。
「ん?」
「七時四十五分だよ」
「え?」
 そこでやっと目を開けた。が、飛び起きたりはしなかった。できなかったのだ。体がやけに重くて。
 開幕して一月半。こなした試合は三つのみ。それでも、疲れがたまっていた。新たな環境に身を置いたせいもある。年齢のせいもある。最初の疲労のピークがいつかくることはわかっていた。が、早すぎた。夏はまだ先だ。チーム最年長。成島さんに入念なマッサージをしてもらったのに体が強張っていた。あちこちに鈍痛があった。
 ゆっくりと起き上がる。目を覚ましてたなら、もっと早く言ってくれよ。綾にそう言いたいが、言えない。そんなことを言ったら、フトンとフトンがますます離れてしまう。
 緩慢な動きで、急いだ。八時十一分の電車に乗らなければならない。JRみつば駅までは徒歩二十分。走れば十分。スーツに革靴で、十分。普段体を動かしてない人ならとても無理だろう。今日のこの感じだと、おれでもキツい。走りたくない、とすでに思ってしまっている。だが遅刻はできない。無理を言って忙しい日曜を休みにしてもらっているのに、翌月曜は遅刻。それだけは絶対にできない。
 洗顔と歯みがきをササッとすませ、手櫛で髪を整えた。スーツに着替えて、ゴー。
「いってくるわ」
 起きてからの十分ちょいで、綾に言ったのはそれだけだ。
 ダッシュ。いい大人なので、信号は守る。足は止めない。速度で微調整し、青を狙う。電車にはどうにか間に合った。十分切れ目なく走りつづけ、改札も小走りで通り、階段も駆け上がる。それでやっとぎりぎり。いつも乗る最後尾の車両には行けず、階段を上りきってすぐの扉から飛び乗った。駆けこみ乗車はおやめください。そう言われても、やめられなかった。
 朝八時台の通勤電車。ピークは過ぎたが、混んでいる。ゼーゼー言わないよう、呼吸を無理に抑えた。スーツ姿だというのに、汗をダラダラかいていた。だがその汗も、終点の東京に着くころには、どうにか引いてくれた。
 地下深くのホームに降り、長い階段を上る。基本、エスカレーターはつかわない。エスカレーターしかないなら、右側を歩いて上る。人の邪魔にならないよう気をつけて。
 駅から店までも、十五分歩く。有楽町からならもっと近いのだが、乗り換えが面倒なので、東京から銀座まで歩いてしまう。毎日、職場への行き帰りだけで七十分歩くことになる。そして職場では立ち仕事。そんなに体はなまらない。はずだ。
 裏の従業員通用口から入り、社員カードをリーダーにかざす。九時十分。開店は十時だから、かなり余裕がある。定時の九時半に来ればいいのだろうが、おれはいつもそうしている。一番乗りとはいかないまでも、二番手三番手にはつける。
 催事期間中なので、八階催事場での朝礼に参加した。そこでの朝礼は、若手社員がやることが多い。本来なら主任のおれがやるべきだが、中尾久マネージャーの指示どおり、黒須くんにまかせた。
 黒須くんはおれより三歳下。婦人服部のエース、期待の若手社員だ。出身大学も最高レベル。何故そこからウチに来たのか、とよく訊かれる。黒須くんは淀みなくこう答える。昔から決めてたんですよ。お客さまと接するのが好きなので。大学のときにやったアルバイトも全部販売でした。将来はまちがいなく役員クラスになるはずだ。何なら社長にだってなるかもしれない。
 黒須くんはまず昨日の売上とここまでの目標達成率の数字を伝え、あと二日でどうにか百パーセントに近づけていきましょう、と言った。そしてこんな話をした。
「皆さん、今付けてらっしゃる名札の向きをもう一度ご確認ください。少しでもななめになってたら、付け直してください。というのも、こないだ僕が見たSNSにこう書いてる人がいたんですよ。今日デパートに服を買いに行ったら、店員の名札が曲がってて一瞬で買う気が失せた。そんな店員から買いたくない‼ ほかの色があればとか適当に理由をつけて、買わずに退散した。買いたくない、のあとにはびっくりマークが二つ付いてました」
 販売員さんたちから笑いが起きた。声に出る笑いだ。おれも笑った。
「それだけのことで? と思う一方で、僕自身、納得もしました。確かにそうですよね。わざわざデパートに行ってるんだから、気分よく買いたいですよ。安さを求めるならよそに行けばいいわけだし。お客さまの心理とはそういうものだと思います。玄関でどんなに立派なあいさつができても、家に上がったとき靴下に穴があいてちゃダメ。ということで、今日も一日、気を引き締めていきましょう。ご尽力、よろしくお願いします」
 和やかな雰囲気で、朝礼は終わった。和やかだが、ゆるんではいない。
 うまいもんだな、と思う。今の話は、たぶん、創作だ。黒須くんはSNSを見て時間をつぶしたりはしない。前に本人が言っていた。催事の週は、朝礼用のネタを前もって三つ四つ用意しておくんですよ。で、あいさつをしながら販売員さんたちの様子を見て、どれを話すか決めます。暗かったら明るめのものにしますし、緊張感がなかったらクレーム関係なんかのキツめのものにします。今日はやや暗めやや緊張感なし、と判断したのだろう。結果、その話だ。おれにはまねできない。話の創作も、瞬時の判断も。
 催事の販売員さんは、ほとんどが中年女性。メーカーごとにほぼ固定されるため、顔なじみも多い。そのうちの一人に、昨日勝ったの? と訊かれたので、負けました、と答えた。
 忙しい日曜日にいなかったことの負い目もあり、今日は一日この催事場に詰めるつもりでいた。が、プロパーの売場の朝礼を終えて上がってきた中尾さんが開店直前に言った。
「ここは黒須くんにまかせて、田口くんは倉庫を見てきてくれ。昨日追加で入れた商品がごっちゃになってるはずだから、整理してきてほしい。営業さんたちがまた適当にやっちゃってると思うんだ。昨日は忙しくて、そこまで手がまわらなかったから」
 先輩のおれに気をつかい、黒須くんが口を挟む。
「僕が行ってきましょうか?」
「いや、黒須くんはこっちにいて。頼むわ、田口くん」
「はい」
 別におかしなことではない。誰がやってもいいのだ。実際、社員の目が届かないところでは、営業さんはかなりいい加減なことをやる。よそから借り受けたラックを勝手につかってしまったり、ほかのメーカーの商品を倉庫の奥へ押しこんでしまったり。甘い顔を見せるとつけこまれる。時には遥かに歳上の営業さんにも強く言わなければならない。黒須くんは、おれ以上にそれをうまくやる。人当たりはやわらかいが、強く出るところは強く出る。そのあたりもやはり優秀なのだ。慕われる。だが慕われすぎない。
 警備室で倉庫のカギを借り、別館へと向かった。本館の裏手に位置する別館には、倉庫や社食がある。売場はないので、建物は地味だ。昭和の感じが残るその別館は、再来年あたり取り壊されることになっている。その際に売場を増床するという話もある。そうすると倉庫はどこになるのか。そこまでは知らない。
 と、知らない、で終わりにしてしまうのがおれで、たぶん、その先まで考えるのが黒須くんだ。その差は大きい。中尾さんが黒須くんに頼るのもわかる。おれ自身がマネージャーだとしても、田口貢よりは黒須くんに頼るだろう。
 地下から別館に移動し、階段で三階に上がる。カギを開けて、倉庫のなかを見る。ワンピースやら何やらがびっしりと掛けられたラックが、これまたびっしりと詰めこまれていた。扉のすぐ前まで来ていて、足の踏み場もない。
 ジャングルに分け入るように入っていき、商品に付けられた値札を見る。それでプロパー商品か催事商品かがわかるのだ。ラックを二十本ほど外に出してスペースをつくる。メーカーごとに並べ直す。プロパー商品と催事商品は分ける。プロパー商品はラックごと紐でくくる。一目でわかるようにする。そう決めて、作業にとりかかった。
 ガタがきて車輪がうまくまわらなくなっているラックを引きずりながら、考える。
 最近、こんな感じのことが増えた。おれがカピターレ東京に入団してから、だ。試合はほとんどが日曜。それはリーグ三部にいた去年までと変わらない。だがもう会社のチームではない。だから事前に会社に話しておくべきだと思った。
 そこで人事課に行き、相談した。図々しいことは承知のうえで、試合がある日曜は休みにしてくださいとお願いした。その場で返事はもらえなかった。もらったのは、二、三日後。内線電話が売場にかかり、人事課に呼ばれた。そこには専務がいた。九年前には総務部長としておれの入社面接に立ち会い、二年前にはおれと綾の結婚披露宴の主賓にもなってくれた、水越専務だ。
「サッカーを続けるのか。よかった」と水越専務は言った。「いや、実はね、ちょっと責任を感じてたんだ。部をなくしてしまったんで、田口くんからサッカーを奪うことになるんじゃないかと。でもそうか、続けるか。しかも上を狙うチームで」
「はい。クラブの代表に声をかけてもらったので」
「すごいな。三十で声がかかるとは」
「たまたまです。チームの事情と僕の事情が合っただけで」
「まあ、歳は関係ないか」
「そう思いたいです」
「ただ、さすがに土曜も日曜も休ませるわけにはいかないな。試合の当日だけは休んでもらってかまわない。もちろん、現場との調整は必要だけど。むしろがんばってほしいよ。百貨店の社員には遊び心がほしい。仕事だけじゃなくていい。大いに遊んでほしい。その遊びを仕事に活かしてほしい。と、社長も言ってたよ」
「え?」
「話したんだ。だから社長もこのことを知ってる。安心していいよ」
「ありがとうございます」
「ほんとはウチがスポンサーにでもなれればいいんだけどね、残念ながらそこまでの余裕はない。何せ、部をなくすぐらいだから」
 本当にありがたかった。ただただ感謝するしかない。
 水越専務の後押しには救われたが、意外なところでマイナスも生まれた。中尾マネージャーだ。現場、つまり売場の中尾さんには、事後報告になった。カピターレ東京への入団を綾に伝えたときと同じだ。事情をすべて話し、水越専務から承諾を得たことも伝えた。ちょっといやな言葉をつかえば、それが気に食わなかったらしい。
「いや、無茶だろ」と中尾さんは言った。「何だよ、それ。毎週日曜休むってこと? 催事のときも? 去年までは、まあ、ウチの部だったからしかたない。でもそこはウチとはまったく関係ないんでしょ? 要するに、完全な遊びでしょ? それはダメだろ、普通」
「すみません」と頭を下げるしかなかった。
 中尾さんが言ったことに一つもまちがいはないのだ。
 仕事からの逃げ。初めはそうだった。だがリーグが始まって三試合に出場した今はちがう。プレーしたい。プレーできるなら、何を言われてもしかたがない。
 先月、綾にも一年の期限を切られた。この一年だけにしてね、と。明確な返事はしなかった。先のことはわからないからだ。一年で、立花さんや監督からもういらないと言われるかもしれない。おれ自身が、もういいと思うかもしれない。
 あのとき、おれは自宅の居間で掃除機をかけていた。うやむやにごまかしたおれに、綾は言った。わたしも好きにするから。ドキッとした。何を好きにするのか、綾もそこまでは言わなかった。おれは掃除機の音で聞こえないふりをした。訊き返せなかった。こわかったのだ。訊いたら、綾は答えなければいけなくなる。何は好きにして、何は好きにしないのか、決めなければいけなくなる。言葉は侮れない。口にしてしまったせいで、あと戻りができなくなる。そのとおりに動かざるを得なくなる。そんなこともあるのだ。
 綾は試合を観に来ない。去年までもそうだった。日曜は仕事だから無理もない。おれも誘いはしない。代わりにというのも変だが、春菜が試合を観に来た。壮行会をしてくれた同期三人のうちの一人、横井春菜だ。試合当日ではなく、あとでそのことを知った。裏の通路で出くわしたときに言われたのだ。試合、観に行ったよ、と。
 部のマネージャーを務めるくらいだから、春菜はサッカーが好きだ。壮行会のときも、行けたら行くよ、と言っていた。本当に来るとは思わなかったが。
 チームとしての三戦め。PKをもらい、どうにか勝ったあの試合。まったく気づかなかった。事前に聞いてもいなかったので、姿を探しもしなかった。どこか隅のほうで観ていたのだろう。
 驚いたが、ちょっとうれしかった。
 誰かに受け入れられるのは、いい。


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▼第1話から読む
○30歳サラリーマンがJリーガーを目指す!?(第1話)
○ある日突然、夫が本気のサッカーを始めたとき、妻は……(第2話)
○入社13年目でやらかしてしまった痛恨のミス(第3話)
○30歳のDF、試合で体が動かない!(第4話)
●エピソード一覧へ

<書籍概要>

■書名:それ自体が奇跡
■著者:小野寺史宜
■発行日:2018年1月9日(火)
■版型:四六判・272ページ
■価格:電子版 500円(税別・期間限定)、単行本 1,450円(税別)
■発行元:講談社
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