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二回、映画に行ったら不倫になりますか?(『それ自体が奇跡』第10話)

ゲキサカ / 2017年12月29日 20時0分

二回、映画に行ったら不倫になりますか?(『それ自体が奇跡』第10話)

30歳、結婚3年目、共働き。
夫は本気のサッカーを目指し、妻は違う男に惹かれ始めた。
初めて訪れる危機を二人は乗り越えられるのか!?
夢を追うすべての男女に贈る、話題の小説「それ自体が奇跡」をゲキサカで特別公開!


直感の八月

 今度の映画館は銀座。店からは相当近い。そうならざるを得なかったのだ。今回もまた、そこでしかやっていなかったので。しかも期間限定。一週間の限定上映。
 観に行きませんか? と電話で天野亮介に言われた。銀座の街の一夜を描いた邦画です。おもしろいですよ。亮介自身はその映画を観たことがあるが、もう一度観たいのだという。DVDやブルーレイのソフトは発売されてないらしい。だからこそ、一週間の限定上映が実現したのだ。
『夜、街の隙間』というその映画のことは知らなかった。末永静男という監督のことも知らなかった。二年前に亡くなったのだそうだ。そんなに多くの映画を撮ったわけではない。カンヌだのどこだので賞をとったわけでもない。が、それなりに評価されてる人だという。その代表作とされているのが、『夜、街の隙間』だ。
 なじみの街の風景をスクリーンで観られるのはいいな、と思い、ちょっと惹かれた。誘われたのが映画でなければ、ためらったかもしれない。何なら断ったかもしれない。でも今回も映画というのは、説得力があった。亮介とわたしは映画友だちなのだ。映画鑑賞仲間なのだ。そう考えることができた。そしてそう考えれば、映画館が銀座にあることも気にならなかった。むしろ銀座の映画館で銀座の映画を観ることは自然であるように思えた。スクリーンに映った風景が、映画館を出るとそこにある。いい。ほぼ銀座のなかだけで展開される話らしいから、もしかしたら店も映っているかもしれない。
 ということで、今も亮介が右隣にいる。わたしたちは並んで映画館の座席に座り、スクリーンを見ている。今日もまた平日だが、期間限定上映だからか、座席はそれなりに埋まっている。亡くなった監督への再評価の機運が高まっているということらしい。亮介が言っていた。そうでなきゃ一週間とはいえ公開するのは無理ですよ。
 前回、『豚と恋の村』のときは代休をとった亮介だが、今回は有休をとった。一週間限定でも土日は含まれるのだから、わたしを誘わなければ有休をとる必要もなかったのではないか。そう言ってみると、亮介はこう言った。田口さんと観たかったんですよ。誰かと一緒に観たくなる映画なんです。
 本編上映前に流される予告編を見ているときに、ふと、先月の披露宴のことを思いだした。やはりここ銀座のホテルで行われた、貢の同期若松俊平と米沢香苗の披露宴だ。わたしたちの披露宴に貢が俊平を呼んだので、俊平も呼んでくれた。貢だけでなく、わたしまでもだ。それはそれでうれしかったが、貢とギクシャクしてしまったので、出席はちょっと苦痛でもあった。
 招待状に同封された出欠確認ハガキの出席に○をつけて返送すると、後日、今は若松香苗となった米沢香苗が、休憩中にわざわざ売場を訪ねてきてくれた。そして言った。お休みのこととかでいろいろご迷惑をおかけすると思います。すみません。
 社内の出席者にはそうしてあいさつにまわっているという。とても感じのいい子だった。同じく感じのいい若松俊平となら、ものすごく感じのいい夫婦になりそうな気がした。俊平には、貢のサッカーに該当するものもないらしい。仮にあったとしても、俊平なら自重するだろう。してくれるだろう。
 と、そこまで考えて、思った。ではその俊平がもしも本気でサッカーをやりたいと言いだしたら、香苗はどうするだろう。俊平が言いださないことはわかっているが、万が一言いだしたら、どうだろう。やはり、受け入れないだろう。そんなことを言いださない俊平だからこそ、香苗は結婚する気になったのだ。仕事だけに真摯に取り組んできたから、俊平は茂木専務にあそこまでほめられた。披露宴の主賓は新郎新婦を大いにほめるものだが、茂木専務のあの言葉にうそや誇張はなかったと思う。それは香苗も感じたはずだ。
 新郎新婦席に並んで座っていた俊平と香苗はお似合いに見えた。まあ、あの席に座ってお似合いに見えない二人なんていない。それぞれにタキシードとドレスを着せてあの席に座らせれば、その日が初対面の二人でもお似合いには見える。わたしと貢だって、そう見えたはずだ。
 あのとき、わたしは新郎同僚席に座っていた。右隣には蓮沼豊人さんがいた。売場ではない。外商の人だ。一度出て売場に戻った俊平とちがい、三十四歳の今も外商にいる。役がつくころになって売場に戻るのかもしれないが、外商でそのまま役がつく可能性もある。どっちがいいですか? と訊いたら、やっぱり売場だよ、と蓮沼さんは答えた。外商はキツいよ。何ていうか、すり減る。削られる。
 外商は法人や個人にデパートの商品を売るのが仕事だ。店に買いに来てくれるのを待つのではなく、こちらから売りに行く仕事。そう聞くだけでキツいとわかる。持たされる売上目標の数字も大きい。法人相手ともなれば、たぶん、何千万。休みもとりづらい。来てくれと言われたら、土日でも行かなければならない。行く義務はないのだろうが、そこで行かないようでは数字は上げられない。サッカーなどやる余地はない。とうてい、ない。
 蓮沼さんは結婚している。奥さんは社外の人。今も働いている。ほんと、毎日すれちがいだよ、と言っていた。うまくいってはいるらしい。すれちがいだからかも、とも言っていた。すれちがいだからこそたすけ合う意識が芽生える、ということだ。でもすれちがうことでダメになる人たちもいる。夫婦それぞれ、事情はちがうのだ。事情がまったく同じでも、個々の性格がちがえば正反対の結果になることもあるだろう。
 その披露宴で、貢は同期代表としてあいさつをした。もう一人の同期、柳瀬研吾が離婚経験者ということで、その役が貢にまわってきたのだ。仕事の話やサッカーの話をするだけだろうと思ったら、貢はいきなり意外なことを言った。結婚はそれ自体が奇跡だ。相手のことがほかの誰よりも好きだと公的に表明する。紙切れ一枚のことだが、人としての自信にはなる。と、そんなようなことを言ったのだ。驚いた。酔っているのかと思った。まあ、酔ってはいただろう。ビールを結構飲んでたから。
 結婚はそれ自体が奇跡。ということは、すなわち。夫婦もそれ自体が奇跡。多くの人たちが結婚するのだから、大した奇跡ではない。でも紆余曲折を経て相手と知り合うのだから、まあ、奇跡は奇跡。
 夫婦。他者のことを指す場合は、夫妻。スミス夫妻。田口夫妻。そういえば知らないな、と思い、ついこないだスマホで調べた。夫婦は英語で何と言うのか。
 知らないはずだ。それ一つで夫婦を表す言葉はなかった。husband and wifeとか、a married coupleとかになってしまうらしい。ただのcoupleでもいいようだが、その言葉が指す二人が夫婦であることを前もって知っていなければ、ちょっとわかりづらい。例として出されていた、加藤君夫婦、が、Kato and his wifeだったのには笑った。あんまりだと思って。
 さすがは英語圏、個人主義の人たち。夫、があり、妻、があっても、夫妻、はないのだ。一つにまとめる必要がないということかもしれない。家族が何よりも大事だということをやたらとアピールする人たちにしては手落ちだな、と思う。血のつながりのない関係はどうでもいい、ということだろうか。そこで今度は、親子、を調べてみた。parent and childと出ていた。何だ、それもか、と思った。安心すればいいのか、がっかりすればいいのか、よくわからなかった。
 何にせよ、夫婦。好きだから、結婚した。でも問題は起こる。たかだか二年でも起こる。そのときに、どうすればよいのか。
 例えば夫が罪を犯したときに離婚する夫婦がいる。しない夫婦もいる。離婚しなかった妻を愚かだと感じる人もいる。立派だと感じる人もいる。犯した罪の内容によっても変わってくるだろう。殺人なら? クスリ関係なら? 法的に罪ではない浮気なら? 法的にも倫理的にもまったく罪ではない本気のサッカーなら?
 思いだす。結婚したてのころ、みつば駅前にある大型スーパーからの帰り道。貢に尋ねたことがある。
「わたしのどこが好きで結婚したわけ?」
 新婚夫婦の無邪気な戯れなどではない。二人での生活もとりあえず落ちついたところで、ふと訊いてみたくなったのだ。照れて答えないか、話題をかえてごまかすか。そのどちらかだろうと思ったが、貢はあっけなく答えた。
「スーパーでつかった買物カゴをきちんともとに戻すとこかな」
「そこ?」
「そこ。でも重要だよ、そういうのって。おれはマナーとかにうるさいほうではないけど、それでも、スーパーで買物をしたあとにカゴを戻さないでそのまま帰っちゃうような人とは、たぶん、付き合えない」
 スーパーからの帰り道だったからそんなことを思いついたのだろうが、だとしても、ちょっとうれしかった。貢自身、スーパーのカゴはきちんと戻す。何なら、ほかの人が置きっぱなしにしたものまで戻す。カゴがななめに重なっていたら、それを直してから自分がつかったカゴを戻す。最後に、重なったカゴが通路にはみ出さないよう軽くひと押しする。ごく自然にやる。貢のそういうところはわたしも好きだ。
 本気でサッカーをやるからといって、そういうことをしなくなるわけではない。それはまったく別の話。いいところは評価しなきゃいけない。でも、しきれない。二つは別のことなのだが、全体として、プラスをマイナスが超えてしまう。理屈を感情が超えてしまう。
 結婚したからこそ、思う。人を愛するのは難しい。愛しつづけるのはもっと難しい。知り合っていきなり愛することはできない。その人のことを知り、少しずつ好きになり、結果、愛してしまう。
 一方で、人を憎むのは簡単だ。負の感情はすぐに生まれる。実際、人はちょっとのことで人を憎む。すれちがうときによけようとしなかったから、という理由で人を憎むし、ドアをバタンと強く閉めたから、という理由で人を憎む。顔を知らない人を愛することはできないが、顔を知らない人を憎むことはできる。あの人はこんなことをしたんですよ、と聞かされるだけで、その人を憎むこともできる。愛している人を、部分的に憎むことさえできる。人を愛するのは難しいが、人を憎むのはたやすい。
 で、わたしは、貢を愛しているだろうか。貢との子を持ちたいと思っているだろうか。
 慣れ親しんだ銀座の街を眺めながら、そんなことを考える。銀座の街。スクリーンのなかの、銀座の街。
『夜、街の隙間』には、本当に銀座ばかりが出てきた。銀座四丁目交差点。和光の大時計が十時十分を指していた。夜。午後十時十分。話はそこから始まった。知ってる役者も出ていたが、数は少なかった。わたしにわかったのは、須田登と並木優子。それと、わたしが中学生のころに二十代で引退してしまった早川れみ。
 作品自体が一九九〇年代のものなので、須田登も並木優子も若かった。有名なその二人が主役というわけでもなかった。ジャズベーシストが須田登で、その彼女が並木優子。ほかにも何組かの男女が出てきた。小説家志望の男とフリーターの女。その女が早川れみ。あとは、タクシー運転手の女と乗客の男。お酒やら何やらで廃人寸前の洋画家の男とその元彼女であったクラブのママ。そこへ、警官の男と一匹の野良猫が加わる。
 狭い銀座の街で時おりすれちがいながら、皆がそれぞれに行動する。ある者は歩き、ある者は話し、ある者は奏で、ある者は探す。野良猫は全員に絡む。街を、そして人を見つめる。誰もが、深くはつながらない。関係性も浅い。深い者たちもいるが、深かったころからはもう長い時間が過ぎている。
 深夜から早朝の銀座。あまり人はいない。わたし自身、いたことがない時間帯だ。期待どおり、わたしが勤めるデパートも何度か出てきた。深夜から早朝だから、当然、閉店している。ひっそりした夜の店だ。誰も訪れない。街のオブジェとなった店。それが画面の隅々に映りこむ。
 和光の大時計が四時五十分を指す。朝。午前四時五十分。そこから晴海通りを日比谷側に行った数寄屋橋交差点。その一角に、思い思いの一夜を過ごした登場人物たちが、吸い寄せられるようにやってくる。初めてほぼ全員が集まる。
 歩道で信号待ちをしていた洋画家の男が、ふらついて車道に倒れる。通りかかったタクシーがひきそうになるが、急ブレーキでどうにか停まる。乗客の男の指示で銀座近辺を一晩走りまわっていた、女の運転手のタクシーだ。車から降りた二人は、洋画家を探し歩いていたクラブのママや、駆けつけた勤務明けの警官とともに、洋画家を歩道へと運ぶ。
 映画のなかの音楽として、ウッドベースの独奏が聞こえてくる。歩道に横たわっていた洋画家は目を開ける。夜も明ける。日比谷公園では、長く付き合っていた彼女とその夜に別れたジャズベーシストの男が、一人、ウッドベースを弾いている。銀座の夜の冒険を終えて帰還した野良猫が、ちょこんと座ってそれを見ている。そして映画は終わる。
 何だろう。泣きました! という映画ではない。これといった見せ場があるわけでもない。街の風景がスケッチとして描かれる。それが何枚も積み重ねられていく。という感じ。やはり、さわさわと揺すられる。同じミニシアター系。でも『豚と恋の村』とはまたちがう映画だ。どちらもおもしろい。無理に言うなら、僅差でこちらの勝利。確かに、誰かと一緒に観たくなる映画かもしれない。
 館内の照明がつけられる。
「おもしろかったです」と自分から右隣の亮介に言う。「というか、よかったです。すごく」
「なら僕もよかったです。こういう映画、日本にはあまりないんですよね。たぶん、つくらせてもらえないんだろうな。どう考えてもヒットはしないから」
「そうなんでしょうね」
「マンガが原作でもいいんですけどね。実際、それでおもしろいのもあるし。でもこの手のおもしろさも、あってほしいですよね。ヒットしなくていい、採算がとれればいい、くらいの覚悟でつくってほしいですよ。まあ、その採算すらとれないってことなんでしょうけど。じゃあ、行きますか」
「はい」
 席を立ち、映画館を出る。前回同様、午後一時すぎ。今の映画とは打って変わった真昼の銀座だ。平日でもどこか華やかな銀座。映画館の前のこの細い通り、そして映画館自体も、映画には何度か登場した。登場人物たちは、区画された各通りを、本当に何度も何度も歩いたから。
 何よりも驚いたのは、日比谷公園が出てきたことだ。大きな花壇の前。そこでジャズベーシストがウッドベースを弾いた。そのわきに映っていたベンチで、わたしは貢にプロポーズされたのだ。結婚しよう、と。何のひねりもない言葉で。
「今日はご飯、どうしましょう?」と亮介に訊かれ、
「おまかせします」と答える。
「何でもいいですか?」
「はい」
「韓国料理でも?」
「いいですよ」
「じゃ、そうしましょう」
 前回は、『豚と恋の村』に、主役の少年がスパゲティを食べるシーンが出てきた。それでスパゲティが食べたくなったと亮介は言った。そのことを思いだしたので、こう尋ねてみる。
「今の映画に、韓国料理とか出てきましたっけ?」
「出てきてないです。単にお腹が空いたから、がっつり食べたくなりました。そこはサラダとかキムチが取り放題なんで。そんなお店ですけど、いいですか?」
「はい」
 亮介がわたしを連れていったのは、店からもう一本離れた通りにある韓国料理屋だった。前回のイタリアンもくだけていたが、そこはさらにくだけていた。屋台をイメージした感じで、思いのほか広い。ランチタイムのピークは過ぎていたが、人はかなり入っていた。女性も多い。四人が座れる銀色の丸テーブル席、その一つに案内された。背もたれのない丸イスのわきに、荷物入れのカゴが置かれている。
 どれもそこそこ量が来ますよ、と亮介が言うので、お肉関係の定食ではなく、冷麵を頼んだ。亮介は豚丼だ。ご飯は無料で大盛にできるんですけど、サラダなんかもあるんでやめときます、とわたしに説明した。
 そのサラダなどをビュッフェコーナーに取りに行き、テーブル席に戻った。亮介の皿は二枚。片方には生野菜とチヂミ、もう片方にはキムチとナムルがたっぷり盛られている。注文した品もすぐに来た。わたしの冷麵はともかく、亮介の豚丼は確かに存在感があった。大きなどんぶりのご飯に、ペラペラでない豚肉が何枚も載っていた。牛丼屋さんの豚丼とはちがい、どっしりしている。
 それぞれにいただきますを言って、食べはじめる。まずは映画の話をした。
「この再上映を機にブルーレイを出してくれたら、やっぱり買っちゃうかもしれないな」と亮介が言う。
「わたしも」と同意する。「夜の銀座の風景を何度も観たくなりそう。だから、天野さんが買われたものを借りるんじゃなく、わたし自身が買いますよ」
「まあ、そうですね。この先いい映画をつくってもらうためにも、僕ら消費者がきちんとお金を出すべきだ」
 亮介はおいしそうに豚丼を食べる。おいしそうにものを食べる人はいい。それは貢にも感じていた。スーパーの買物カゴの件と同じ。そういうことは案外バカにできない。結婚したら、夫とは毎日食事をともにするのだ。そこでおいしくなさそうに、つまらなそうに食べられたら、ちょっとツラい。
「天野さん、結構食べますね。それで細身なのはうらやましい」
「家ではこんなに食べないです。人と外食するときだけ。抑えちゃうと楽しくないですから」
 プラスチックの容器から銀色のカップに冷たいお茶を注ぐ。初めの一杯は亮介が注いでくれたので、二杯めはわたしが注ぐ。
「あ、すいません」
「いえ」
「ここの豚丼、やっぱりうまいです」
「確かにおいしそうです。冷麵もおいしいですよ」
「冷麵。いつもそそられるんですけど、こういうとこではやっぱりご飯ものを頼んじゃうんですよね。肉を食べたくなるんで」
 一人では食べきれないから少しどうですか? と言いそうになる。が、言わない。貢になら言うだろう。亮介には言わない。それはさすがに無理だ。焼肉屋に二人で行く男女はすでに関係がある。などとよく言う。最近は言わないかもしれないが、昔は言っていた。へぇ、そうなのか、と高校生のころに思った記憶がある。今のこの場面を見られたら、わたしもそう思われるのだろうか。亮介とすでに関係があると。
「試合を観に行きましたよ」と亮介がいきなり言う。
「はい?」
「試合です。カピターレ東京の」
「あぁ。そうですか。どうしてまた」
「チームに興味があったんで」
「興味」
「はい。サッカーにというよりは、まさにチームにですね。Jリーグ加盟を東京の真ん中から目指すチームに。ご主人、出てましたよ。背番号は4ですよね?」
「そう、ですね」
 4。月曜日が休みなら、そのユニフォームはわたしが洗濯する。縁起が悪いな、といつも思う。アパートやマンションの部屋番号みたいに省くわけにもいかないのだろう。
「試合場はごく普通のグラウンドで、メンバー表示も何もないから、初めはわからなかったんですけど、ミツグとか田口さんと周りの選手から呼ばれてたんでわかりました。ミツグさん、なんですね」
「ええ。千代の富士と同じです。お相撲の横綱だった千代の富士。父親がつけたんだそうです」
「あぁ。なるほど。うまかったですよ、田口貢選手。僕はサッカーに関しては素人だけど、何ていうか、こう、どっしりかまえてて、周りから信頼されてる感じがしました。守りの中心でしたね」
 何を言っていいかわからず、黙ってしまう。サラダの横にあったのでついとってきてしまった皮つきのポテトフライを食べる。
「一度観たいなと思ったんですよ、試合を。個人の趣味としてじゃなく、会社の仕事として」
「どういうことですか?」
「こないだ、ちょっと話しましたよね。ウチの会社のロゴマークがユニフォームの胸に入ってたらおもしろいって。あのときは思いつきだったけど、あとで真剣に考えてみました。で、ほんとに悪くないなと。上司にも相談しました。その上司はサッカーファンなんで、まあ、そこは僕自身、狙い撃ちです。そしたら、おもしろいと言ってもらえて、企画書を出せってことにもなって。それで視察に行ってきました。まだ内々のことではありますけど、もしかしたらロゴマーク以上のいい話にできるかもしれません」
「いい話」
「はい。上司のさらに上がこの件を気に入って、会社全体で動けそうな感じなんですよ」
「というのは」
「スポンサーになるとか、そういうことですね。なるなら今のうちから。あと追いじゃなく、早いうちから。僕も社長のその考えに賛成です。企業としてのイメージが良くなると思いますし。カピターレ東京さんにとっても、悪い話じゃないのではないかと」
 驚いた。話が一気に大きくなった。わたしなど、軽く跳び越えられてしまった。亮介はただのメロンパン好きではない。できる社員、できる人間だったのだ。わたしは夫婦のことを亮介に話しただけ。感覚としては、夫の愚痴をこぼしただけ。そもそもチーム自体とは何の関係もないのだから、初めから存在してないも同じだ。
「例えばこの銀座にサッカースタジアムができたらおもしろいですよね。それだけの土地がないし、あっても地価が高いから無理だけど。でもそんな発想でやりたいですよ。カピターレ東京の創設も、代表の立花さんの、東京の真ん中にチームがあってもいいだろって思いつきが始まりだったみたいだし」
 正直に言うと、かなりあせった。とり返しのつかないことをしてしまったような気がした。いいことではあるのだろう。貢にとっても、チームにとっても。それから亮介にとっても、亮介の会社にとっても。こういうのを、確か、ウィン・ウィンの関係と言うのだ。敗者はいない。誰もが勝者。誰も損しない。
 ではわたしはどうか。わたし自身もウィン・ウィンに含まれるのか、わたしは勝者なのか。わからない。話の全容がつかめない。ただ漠然と、敗者の匂いがする。いや、この場合は、臭い、か。その敗者の臭いを嗅ぎとりつつ、わたしは冷麵を食べる。一人で食べきれるかな、と思う。もう亮介に食べてもらっちゃおうかな、と思う。
 せっかくなんでもうちょっとサラダをもらってきます、と亮介が席を立つ。
「はい、いらしゃいませー」という韓国人らしき店員さんの元気な声が聞こえてくる。
 入ってきたお客さんは田口貢だった。
 なんてことは起きない。


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▼第1話から読む
○30歳サラリーマンがJリーガーを目指す!?(第1話)
○ある日突然、夫が本気のサッカーを始めたとき、妻は……(第2話)
○入社13年目でやらかしてしまった痛恨のミス(第3話)
○30歳のDF、試合で体が動かない!(第4話)
○試合の翌日、起きられずに会社に遅刻!?(第5話)
●エピソード一覧へ


<書籍概要>

■書名:それ自体が奇跡
■著者:小野寺史宜
■発行日:2018年1月9日(火)
■版型:四六判・272ページ
■価格:電子版 500円(税別・期間限定)、単行本 1,450円(税別)
■発行元:講談社
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