アマチュアクラブにスポンサー!?(『それ自体が奇跡』第13話)
ゲキサカ / 2018年1月1日 20時0分
30歳、結婚3年目、共働き。
夫は本気のサッカーを目指し、妻は違う男に惹かれ始めた。
初めて訪れる危機を二人は乗り越えられるのか!?
夢を追うすべての男女に贈る、話題の小説「それ自体が奇跡」をゲキサカで特別公開!
その週は木曜が休みだったので、おれは夕方の上り電車に乗って江東区のグラウンドに行き、練習に出た。昨日おとといは、二週続きの催事のあれこれで出られなかった。だから連敗後はそれが初めての参加だ。
来ていたレギュラーメンバーは、キーパーの潤と左サイドバックの伸樹とボランチの至と攻撃的ミッドフィルダーの悠馬とフォワードの新哉とおれ。六人。それでも十一人中六人だから、五割超え。多いほうだ。
「点とったって?」と、まずは悠馬に言った。
「ごっつぁんゴールです。キーパーと一対一になった明朗さんが最後流してくれたのを入れただけなんで。あれを外してたらヤバかったですよ。実際、当てるポイントをちょっと外して、ミスキック気味になったんですよね。どうにか入ったけど、ぎりぎりサイドネット。蹴った瞬間、かなりあせりました」
「あれ外してたらスタメン落ちだよ」と、話を聞いていた至も加わる。「おれも後ろから見てて思った。うわ、外すのかよって」
「そうなってたら今ごろ丸刈りですよ、おれ」
そんなこともある。顔でだって、胸でだって、腿でだって、背中でだって、ボールをゴールに押しこめばいいのだ。一点の価値は変わらない。こんなことを言うのは青少年のためによくないが、手に当たって入ったとしても一点は一点。故意でないならそれでいい。
負けを引きずった感じはないので、ちょっと安心した。選手は全員でも九人。あとは監督とコーチの桜庭さん。それでやっと十一人。フォーメーション練習はできないから、トラップ、ドリブル、パス、シュートといった基礎練習が多くなる。やってもせいぜいミニゲーム。
それでも、チームメイトとプレーをするのはやはり楽しい。仕事後に参加するのはしんどいが、グラウンドに出ればそのしんどさは消える。体は自然と動く。来てよかったな、と毎回思う。仕事でキツいことがあっても忘れられる。そこで忘れることで、切り換えられる。
ついこないだ気づいた。試合に負けた日の翌朝は確かにキツい。だがそこ以外はむしろ楽になっている。体そのものがでなく、気持ちが楽になったのだと思う。メンタルはフィジカルに影響を及ぼすのだ。それも案外簡単に。
みつば南団地からJRみつば駅までは徒歩二十分。走れば十分。のはずが、今は八分で行ける。持久力がついたわけではない。要するに、行ってやろうという気になれるのだ。朝から。
その前向きな気持ちは昼も続く。人の邪魔にならないよう注意しつつ、おれは従業員用の階段を駆け上がる。ラックを引くとき以外、エレベーターはつかわない。多少荷物があっても、それが両手で持てる場合は、やはり階段をつかうようになった。おれならではの進化だ。
夜のグラウンドでは、その日たまたまいた相手としゃべり、ボールを蹴り合う。そのことを、その時間を、楽しむ。楽しみつつ、真剣にやる。一対一や二対二の練習になったら、そこは味方だろうと本気でいく。ケガはさせないよう注意して、削りにいく。
この日は、いつも平日の練習には来ない立花さんが珍しく来ていた。久しぶりにサッカーパンツ姿を披露した立花さんは、シュート練習の球出し係をやったり、キーパー潤の個別練習に付き合ったりした。そして終了間際におれのところへやってきて、言った。
「貢、ありがとな」
「はい?」
「スポンサー、決まりそうだよ」
「何ですか?」
立花さんは、とある会社の名を挙げた。有名な文具会社だ。
「そこが、スポンサーになってくれるんですか?」
「ああ。来年はユニフォームの胸にロゴも入れてくれる」
「おぉ。いいですね。で、何でおれにありがとなんですか?」
「ん? 聞いてないのか? 奥さんに」
「はぁ」
「貢の奥さんがそこの広報さんと知り合いで、ウチのことを話してくれたんだ。で、その広報さんが興味を持って、上層部に話してくれた」
「あぁ。そうなんですか」
「知らないのかよ」
「はい」
「もしかして。奥さん、あとで自分の口から貢に言おうとしてたのかな。おれの勇み足だったか。貢、まだ知らないふりをしてくれよ。サプライズとか何とか、そんなのかもしれないから」
そんなのではないと思う。綾はその手のサプライズを好まないのだ。いきなりプレゼントを渡すぐらいはいいが、妙な演出を加えたりすると引く。うわぁ、そういうのやめようよ、と言う。結婚する前に一度やり、実際にそう言われた。それからは一度もやってない。だからプロポーズさえ、結婚しよう、というシンプルなものになった。
そんな綾が、よりにもよって、そのサプライズ。
ない。
「その話は誰から聞いたんですか? その、ウチのが広報さんに話したっていうのは」
「文具会社の社長。トップが決断してくれなきゃしょうがないんで、こっちも気合を入れて説明したんだ。東京の真ん中で地域に溶けこんだクラブをつくりたいんですって。そのときに言ってたよ。デパートのお客さんみたいだな、その広報さん」
「女性、ですか?」
「いや、男。貢と同じか、ちょっと下ぐらいかな」
「そうですか」
「奥さんも、売場?」
「はい。紳士服にいます」
「あぁ、それでか。何にしても、たすかったよ。貢をチームに入れて、ほんと、よかった。まさかこんなおまけまで付けてくれるとは。いや、おまけじゃないな。こっちがメインだ。と、それは冗談。勝とうな、日曜」
「はい」
「次勝って、関東も勝って、一年で上がろうぜ。上がらせてくれよ」
「そのつもりでいますよ。おれ自身、上がりたいです。上がらせたいです」
練習を終えると、下り電車に乗って、みつばへと帰った。ちょっと混乱した。意味がわからなかった。混乱し、意味がわからないまま、電車を降りて二十分歩き、五階まで階段を上った。そして自分のカギで玄関のドアを開け、五〇一号室に入った。
「ただいま」
「おかえり」
いつものように、そのやりとりはした。いつもならそれで終わりだが、今日はその先があった。
「スポンサーのこと、聞いたよ」
「何?」
立花さんに聞いた文具会社の名前を出した。
「あぁ」と綾は言った。「スポンサーになったの? チームの」
「そう」
そこまでは知らなかったらしい。演技であるようには見えなかった。おれはうがいや手洗いをする。いつもは洗面所でやるが、今日は台所でやる。綾がそれを見ている。
「広報の人って、誰?」と尋ねる。
「広報じゃなくて、企画広報」と答がくる。「売場のお客さま」
答を知っているのに、こうも尋ねる。
「男?」
「男」
何と言っていいかわからない。自分がそれをどうとらえるべきかわからない。おれのサッカーが綾に受け入れられたと見るべきなのか。だとすれば、おれは綾に感謝するべきなのか。だが口からは思いに反した言葉が出る。
「そんなこと、頼んでないだろ」
綾は驚かない。ほめられる、感謝される、と思っていたわけではないようだ。そして意外なことを言う。
「わたしも頼んでない」
混乱する。ますます意味がわからない。聞きたいが、聞きたくない。おれが居間で掃除機をかけていたときに綾が口にした言葉を思いだす。おれが聞こえないふりをした言葉。わたしも好きにするから。
ここで逃げてはいけない。流してはいけない。そう思う。おれは聞かなきゃいけない。自分から綾に訊かなきゃいけない。
「そいつ、じゃなくてその人、誰?」
答がほしい。安心できる答だけが。
ダイニングキッチン。おれと綾はそこで話している。おれは流し台に寄りかかって。綾は食器棚に寄りかかって。テーブルの前のイスに座る気にはならない。居間に移ってソファに座る気にもならない。本当に大事な話は、立ってする。座って話ができるのは、二人がすでにある程度の共通理解を有している場合だけだ。
答は得られないのだとおれが思いかけたとき、綾は言う。
「アマノリョウスケさん。一緒に映画を観て、ご飯を食べた。二度。そのときにチームのことを話した。でもそれだけ」
そしてその男のことを一気に話す。天野亮介、がプロパーの売場のお客さまであったこと。綾がパンツの採寸ミスをしたこと。結果、パンツの丈が十センチ短く直されてしまったこと。同じものをメーカーから取り寄せ、正しい長さで直したこと。天野亮介がまたパンツを買いに来てくれたこと。ジャケットも買ってくれたこと。映画に誘われたこと。映画は観たかったので、誘いを受けたこと。実際に映画を観て、ご飯を食べたこと。ご主人は何をされてるのかと訊かれたこと。答えたこと。その際にサッカーの話もしたこと。後日また別の映画を観て、ご飯を食べたこと。天野亮介はカピターレ東京に興味を持ったらしく、そのときはもうすでに一人で動いていたこと。綾自身、それを聞いて驚いたこと。
「本当にそうなの」と最後に綾は言った。「わたしは頼んでない。まず、こうなるなんて予想できない」
そうなんだろうな、と思う。そこはすんなり納得する。できてしまう。やはり、受け入れたわけではないのだ。おれのことも、サッカーのことも。
まあ、それはいい。よくないが、今はいい。ただ。天野亮介。それはない。映画を観た。でもそれだけ。事実だとしても。それはない。
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▼第1話から読む
○30歳サラリーマンがJリーガーを目指す!?(第1話)
○ある日突然、夫が本気のサッカーを始めたとき、妻は……(第2話)
○入社13年目でやらかしてしまった痛恨のミス(第3話)
○30歳のDF、試合で体が動かない!(第4話)
○試合の翌日、起きられずに会社に遅刻!?(第5話)
●エピソード一覧へ
<書籍概要>
■書名:それ自体が奇跡
■著者:小野寺史宜
■発行日:2018年1月9日(火)
■版型:四六判・272ページ
■価格:電子版 500円(税別・期間限定)、単行本 1,450円(税別)
■発行元:講談社
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