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新プロジェクトに手を挙げた妻への答えとは…(『それ自体が奇跡』第16話)

ゲキサカ / 2018年1月4日 20時0分

新プロジェクトに手を挙げた妻への答えとは…(『それ自体が奇跡』第16話)

30歳、結婚3年目、共働き。
夫は本気のサッカーを目指し、妻は違う男に惹かれ始めた。
初めて訪れる危機を二人は乗り越えられるのか!?
夢を追うすべての男女に贈る、話題の小説「それ自体が奇跡」をゲキサカで特別公開!


 異動するなら十月十五日付けでと言われていた。しなかった。落選したのだ。新プロジェクトのメンバー募集に。
 九月に一度、勤務時間中に呼ばれ、面接を受けていた。主に志望動機を訊かれるだけの、本当に簡単な面接だった。具体的に何をしたいのかは訊かれず、ちょっと拍子抜けした。それでも、面接官は三人。人事課長と販売促進課長と販売促進課の主任。主任だけが女性。その脇坂さんという人が新プロジェクトの実質的なリーダーになるようだった。
 何故手を挙げたのかという問には、新しいことにチャレンジしたくなりまして、と答えた。新しいことをやってみたくなりまして、でもよかったが、そこはチャレンジという言葉をつかった。今の職場でチャレンジはできませんか? とちょっと意地悪なことも訊かれた。できないことはないと思いますが、時には環境を変えることも大事だと思いました、と答えた。言葉がスラスラ出たことに自分でも驚いた。長年接客をしてきたことの成果かもしれない。お客さまに予想外の質問をされることは、多々あるのだ。例えば、社長は何て人? とか、この店はつぶれないの? とか。
 ほかには、柴山さんにも訊かれたこれも訊かれた。今の職場に不満があって手を挙げたということですか? そういうことではありません、と答えながら思った。そうです、不満だらけです、と答えたほうがいいのかな、と。そんな人のほうがむしろ意欲は強いはずだ。前の職場を見返してやろう、という気になるだろうから。やはり柴山さんにも訊かれた子ども云々は訊かれなかった。柴山さんがうまく伝えておいてくれたのかもしれない。
 手応えのないまま面接は終わった。まあ、ダメだろう、と思った。実際、ダメだった。十月十五日の前日、十四日に通知が来た。面接官でもあった販売促進課の落合課長が直接売場に来るという、ちょっと意外な形で。
 もしかして受かったのか? と一瞬思った。ちがった。
「今回は申し訳ない。ご希望に添うことはできませんでした」と落合さんは言った。
「あぁ、そうですか」
「でも手を挙げてくれて感謝してますよ。ウチですぐにとはいかないかもしれないけど、またこういう機会はあると思うので、めげずにチャレンジしてください」
「はい。ありがとうございます」ついでに訊いてみた。「あの、こうやって、一人一人まわられてるんですか?」
「うん。手を挙げさせといてノーと言うわけだから、僕らもちょっと心苦しくてね。まあ、同じ店内にいるし、近いから」
 同じ店内にいるし、近い。そのとおりだ。でもこういうことは、やれる人とやれない人がいるだろう。たぶん、人事課長からやれと言われたわけでもない。落合さん自身の判断でやっているのだ。
「じゃあ、お邪魔しましたね。これからもよろしく」
 そう言って、落合さんは去っていった。そして入れ替わるように麻衣子さんがやってきた。
「今の、販促の落合さんでしょ? 何?」
「落ちちゃいました」と自分から言う。
「ん?」
「新プロジェクトのあれ」
「あぁ。そうなの。それをわざわざ言いに来たの?」
「はい。来てくれました」
「そんなの、内線一本ですむのにね」
 効率を考えれば、それが一番だろう。わたし宛に電話をかける必要すらない。上司の柴山さんに伝えればいいのだ。落選した社員のなかには、そうしてもらったほうがいいという人もいるだろう。でも実際に訪ねてもらった者として言えば、決して気分が悪いことはない。ありがたいな、と思える。
「落ちちゃったか」と麻衣子さんは言う。「まあ、企画の経験もない人がいきなりやる気を見せても難しいわよね。そんな社員に仕事をまかせるほど会社は甘くないし」
 厳しい意見だが、正しいことは正しい。わたしが落合さんでも、田口綾は採用しないだろう。手塚麻衣子も採用しないけど。
 この日の閉店間際には、柴山さんとも話をした。綾さんちょっと、と事務所に呼ばれたのだ。
「残念だったわね」とまず言われた。
「残念です」
「おもしろいと思ったんだけどね。綾さんならもしかして受かるかも、とも思ったし」
「わたしは思ってませんでしたよ」
「どうして?」
「だって、経験がないですもん」
「そんなの、みんな同じよ。わたしだって、もう四十一だけど、企画なんてしたことない。例えば催事にしても、これこれこんな感じでと上から指示されたものを形にするだけ。売場づくりもそう。いいようにどんどん変えてはいくけど、あくまでもベースはあって、その上で商品を動かす。まあ、そうやって動かすだけでも、充分おもしろいけどね」
「はい」
「ほんと、残念だなぁ。落合さんにはわたしもプッシュしたのに」
「ありがとうございます」
「売場のお客さまからご指名がかかるウチのスターですって言ったわよ」
「そんな」と笑いつつ、ひやっとする。
 お客さま。たぶん、亮介のことだろう。
「誰が採用されたかは、わかってるんですか?」と尋ねてみる。
「リビングにいる若い男の子みたいね。東郷くんていったかな」
「そうですか。まあ、そうなりますよね」
 含みがあるように聞こえてしまったのかもしれない。柴山さんは言う。
「その東郷くんが大卒だから採用されたわけじゃないわよ。もちろん、男だからでもない。これは落合さんもそう言ってた。ただ、経済学部出身で、マーケティングとかそういうのに関する知識があったのが大きかったみたい」
「わかります。わたし自身、東郷くんが採用されるべきだと思いますし」
「前にも言ったけどね、そういうのはあとづけでどうにでもなるのよ。でもやる気だけはどうにもならない。やる気を出せって人に言われても、出ないでしょ? だからやる気があること自体、一つの武器にはなるの。もちろん、東郷くんにだって、その武器はあっただろうけど」
「はい」
「今は大卒しか採用しないからそんなこともないけど、わたしが入社したころはまだ圧倒的に高卒女子のほうが多かったのよ。で、そのほとんどが二十代半ばでやめていっちゃう。もったいないなぁ、とずっと思ってたの。しかたない面もあったのよね、大きな仕事をまかされることはなかったから」
「そうでしょうね」
「雇用機会均等だの何だのと耳触りのいいことを言っても、肝心の決定権はたいてい男が握ってる。そこは手放さない。それが現実。でも百貨店は、まだ女に仕事の自由を与えてくれるほうだと思うわよ。わたしと同い歳の友だちがよく嘆いてるけど、よそじゃこうはいかないから。まあ、そりゃそうよね。百貨店を支えてくれるのは女性客。女の意見が反映されない百貨店なんて、行きたくないもの」
「行きたくないですね」
「だからこそ、逆にサッカー部があったりするのはおもしろいと思ってたんだけど、中途半端に終わっちゃったわね。うまく活かしきれなかったというか。もうちょっと、やりようはなかったのかな」
 そんなふうに考えてみたことはなかった。会社のサッカー部はサッカー部。福利厚生の一環として、社員が英気を養うためのもの。そう思っていた。でも確かに、何らかの形で利用はできたのかもしれない。強くないチームなら強くないチームなりに。スポーツ用品の催事の際にデモンストレーションをするとか。お子さま向けにサッカークリニックを開くとか。あらためて、残念だな、と思う。落とされたことそのものより、新プロジェクトに携われないことを。
 その後、売場の備品を取りに総務課へ向かった。従業員用通路に出るとすぐに、階段を上る音が聞こえてきた。カツ、カツ、カツ、カツ、ではない。隙間のない、カツカツカツカツ。駆け足。まちがいない。貢だ。夫の靴音は不思議とわかる。みつば南団地の階段だけでなく、この店の階段でも。
 とっさに通路の隅に寄った。閉店後に売場に出すのであろうジャケットが何着も掛けられたラックのほう。そして階段に背を向けてしゃがみ、値札をチェックするふりをした。
 貢は気づかずに階段を駆け上がっていく。
「おつかれさまです」と早口の声が聞こえてきた。
「おぅ。おつかれ」と遥かに歳上っぽい男性の声が続く。「田口くん、サッカーやってる?」
 貢の靴音が止む。踊り場かどこかで立ち止まったのだろう。
「はい。やらせてもらってます」
「勝ってんの?」
「どうにか」
「いつもそうやって走ってんのは、トレーニングのため?」
「いえ。仕事を早く終わらすためです。この程度じゃトレーニングにはなりませんし」
「そっか。まあ、がんばってよ」
「ありがとうございます」
 カツカツカツカツ。音が上っていく。遠ざかっていく。
 階段を下りてきた男性が誰かを確かめずにやり過ごし、ようやく立ち上がる。ふっと息を吐き、思う。入社したてのころと変わってない。貢は三十一歳の今も走ってる。階段を革靴で駆け上がる。顔見知り全員にあいさつをする。自分からする。一方のわたしは、そのあたりがちょっと疎かになってる。今のこれがまさにそうだ。あいさつを避けた。一番の顔見知り社員である夫を避けた。よくない。貢が先にわたしを見つけてたら、避けたりはしなかっただろう。貢はそんなことはしない。だからあんなふうに誰からも声をかけてもらえる。サッカーなんかやりやがって、と言われず、励ましの声をもらえる。やることはやるから。仕事は仕事で手を抜かないから。
 それから何日かして、その貢にも言われた。
「販促の新しいプロジェクトに応募してたんだって?」
 日曜日だが、貢も仕事に出ていた。リーグ戦は終わったが、シーズンは終わってない。ただ、関東の大会は十一月。間があるのだ。そこに向けて、チームは練習している。でも試合ではないので、貢は参加してない。練習のために仕事は休めないからだ。たぶん、上司である中尾さんの意向だと思う。貢も受け入れるしかなかったのだ。本当は練習に出たいだろう。そのくらいのことはわたしも理解できる。カピターレ東京のホームページにも、決戦迫る! と出ていたし。
 その日わたしは早番だったので、帰りも早かった。夕飯は食ってくる、と貢が言っていたため、自分の夕食は一人ですませていた。洗いものもすませていた。そして午後九時半すぎに貢が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
 いつもならそれで終わりだが、この日は自らこう言った。貢の帰りが思いのほか早かったからだ。
「食べてきたよね?」
「うん。牛丼」
 そのあとに、それがきた。プロジェクトに応募してたんだって? が。ちょっとあせった。どう言おうか迷った。結果、大して訊きたくもないことを訊いてしまう。
「誰に聞いたの?」
「落合さん。販促の」
「あぁ。知り合いなの?」
「そりゃね。販促だから、つながりはあるよ」
 まあ、そうだろう。販売促進課とつながりがない売場なんてない。だからこそ、落合さんもああやって店じゅうをまわり、わたしのところにまで来てくれたのだ。
「奥さんにはすまないことをしたって言われたよ」
「そう」
 それだけだった。知らなかったからいきなり言われて驚いたよ、とか、みっともないから言っといてくれよ、とか、貢はそんなことは言わなかった。落選の話は聞いたということだけを、ただわたしに伝えた。わたし自身、ミニシアター復興展をやりたかった、とか、そんなふうに思うようになったからあの人と映画を観に行ってよかった、とか、そんなことは言わなかった。
「わたしは明日休み」と言った。
「おれは火、木」そして貢は言った。「どっちも練習」


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▼第1話から読む
○30歳サラリーマンがJリーガーを目指す!?(第1話)
○ある日突然、夫が本気のサッカーを始めたとき、妻は……(第2話)
○入社13年目でやらかしてしまった痛恨のミス(第3話)
○30歳のDF、試合で体が動かない!(第4話)
○試合の翌日、起きられずに会社に遅刻!?(第5話)
●エピソード一覧へ


<書籍概要>

■書名:それ自体が奇跡
■著者:小野寺史宜
■発行日:2018年1月9日(火)
■版型:四六判・272ページ
■価格:電子版 500円(税別・期間限定)、単行本 1,450円(税別)
■発行元:講談社
■kindle版の購入はこちら

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