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ドイツ挑戦のデフサッカー日本代表・林滉大の恩師が明かす「奇跡の再会」と「代表外し事件」

ゲキサカ / 2019年1月2日 7時30分

 中山監督は自分からは明かさないが、別の関係者によると、林はSNSを使って監督批判をしたこともあったという。中山監督が続ける。

「とにかく他の選手に対する態度を改めてほしかったので、いろんなやり方で注意しました。でも、なかなか変わらなかった。そこで2015年10月、デフリンピックのアジア予選(台湾)の最終メンバーまで残っていましたし、背番号も『8』で決めていましたが、直前でメンバーから外して連れていきませんでした。(林は)かなりショックだったと思います。でも本当に自分で気づかないと、彼本人のためにならないと思ったんです」

 アジア予選で準優勝した後、中山監督は林と仲のいい友人や同期の代表選手などに「いつでも待っているから、と言うといてな」と話をして、林に間接的にメッセージを送っていた。しかし、林の態度は改まらなかった。大会で会うと髪の毛は黄色っぽく変わり、中山監督が近づいていくと目を逸らす態度をとった。翌2016年6月、ワールドカップ(イタリア)に招集したかったが、それもできなかった。

 転機はW杯の約半年後に行われた2016年11月の全国大会。中山監督は「この大会でも態度が変わらなかったら、2017年のデフリンピックの代表にも入れない」と心の中では決めていた。視察に行くと、坊主頭にした林が自ら挨拶に来たのだ。

「めちゃくちゃ、うれしかったです。泣きそうになりましたよ。顔つきも目つきも全然違った。これで内心、『やっと世界大会で戦える、最後のピースがはまった』と感じた。本人には『ずっと待っていたぞ』と伝えました」
中山監督の左隣が林。紆余曲折を経て絆が深まった
 日本は出場したデフリンピックの過去3大会は1度も勝ったことがなかった。4大会目となった2017年5月、改心した林は体のキレ、チームの勝利への意欲を誰よりも高めて挑み、予選リーグ初戦で、その大会準優勝に輝いたウクライナを2-1で撃破する金星に貢献。2戦目のアルゼンチンには2点リードされながら引き分けに持ち込み、3戦目のイタリア戦に、引き分けでも初めて予選リーグ突破ができる快挙がかかっていた。

「イタリア戦で林君は先制ゴールをあげ、2-0とリードしたんですが、試合終了間際に同点に追いつかれ、ロスタイムに逆転されました。彼はチャンスをたくさん作ったのに決めきれなかった責任を感じ、試合後、人目をはばからずベンチで30分ぐらい泣いていたんです。『ごめんなさい』と。だから試合に負けたのは、本当に悔しかった。でも彼がここで泣けたということに関しては、実はうれしかったんです。こう感じることができるようになったんだ、と。泣けることによってもっと成長できると」

 林の挑戦について、日本障がい者サッカー連盟の北澤豪会長はこうエールを送る。

「素晴らしいことだと思います。何事にもできるタイミング、チャンス、というものがある。それを逃さずにやるべきです。むこうでクラブが決まればもちろんですが、万が一決まらなかったとしても価値がある。誰かが前例を作らないとね。これで(障がい者でも)海外クラブに挑戦できる、というきっかけを作れますね」

 悔し涙をうれし涙に変えるために下した人生の大きな決断。サッカー大国で、無名の日本人が新しい道を作る林の「旅」がまもなくはじまる。

(取材・文 林健太郎)
●障がい者サッカー特集ページ

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