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「ギャンブル依存症」体験記(2)見知らぬ人と麻雀を打つようになったのが入り口だった

日刊ゲンダイ ヘルスケア / 2024年6月5日 9時26分

「ギャンブル依存症」体験記(2)見知らぬ人と麻雀を打つようになったのが入り口だった

野原広子さん(C)日刊ゲンダイ

野原広子さん(フリーライター/67歳)

 私が依存症に陥ったのは「麻雀」です。麻雀は機械次第のパチンコや、馬頼みの競馬とは異なり、自分のその瞬間、瞬間の判断が結果につながるという点が、私の性に合っていました。

 私は地元の茨城の高校を卒業後、上京し、さまざまな職業を経てライターになり、20代後半で編集プロダクションを設立しました。新宿・歌舞伎町に事務所を構え、4人の女性ライターと契約。そんな私に、大手商社マンや中小企業の社長たちが一目置いてくれて、交友関係が広がっていきました。刺激的で面白かった。

 お付き合いもいろいろしますよね。飲食、ゴルフ、麻雀……。

 麻雀は知らなかったのに、たまたま“イチから麻雀を教えるのが大好きな編集者”がいて、教わって覚えました。

 友人、知人たちと麻雀を楽しんでいるうちはよかったんです。でも33歳の頃、「フリー雀荘というのがあるよ」と聞き、1人で雀荘に行って見知らぬ人たちと打つようになったのが依存症への入り口でした。よく通っていたのは池袋や中野。どちらも大学が近くにあったから料金が安いんです。しかも、周りは若い男の子たちが多い。ピチピチの男たちに囲まれて麻雀をしていると、ストレス発散になるんです(笑)。

 当時は町じゅうに雀荘があって、違法行為という意識もありませんでした。初めは1000点50円のレートで、負けてもひと晩1万円くらいのかわいいものでした。

 編プロの若き女社長、なんていうとカッコよく聞こえますが、実際は事務所の家賃や社員たちの給料を毎月きちんと払うために、毎日必死で働いていました。契約ライターがいるといっても、アシスタントの給料や事務所維持費の大半は、私の原稿料で賄っていました。経営能力がまるでなかったので苦しかったですね。

 プライベートでも、当時、付き合っていたのが私に借金を押しつけて逃げるような男でね。それもストレスになりました。そんな男でも「私だったら何とかやっていける!」なんて、当時は根拠のない自信を持っていたんですよ。

 そんなふうに実生活はダメダメで、フラストレーションを抱え八方塞がり……。そのストレスが麻雀に向かいました。雀卓を囲んでいるときは忘れられる。口をきかず、何時間も楽しめる。言葉を交わさず、その場限りで終わりの関係、というのも煩わしくなくてよかったんです。

 麻雀って性格が出るから人間観察としても楽しかったし、もちろん、役満のように夢みたいな手で上がると快感で……。面白いことがたくさんありました。 =つづく

(構成=中野裕子)

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