1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

ドジャース山本由伸を丸裸! 戦線復帰後の成功を後押しする「思考」と「メンタリティー」の深淵

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月19日 11時47分

ドジャース山本由伸を丸裸! 戦線復帰後の成功を後押しする「思考」と「メンタリティー」の深淵

野球を楽しむ(C)共同通信社

 ドジャースの山本由伸(26)は、さる10日のカブス戦で右肩の炎症から約3か月ぶりに戦線復帰した。勝ち星は付かなかったものの、4回4安打1失点、8三振と好投。続く17日のブレーブスでは毎回先頭打者に出塁を許したものの、4回を4安打無失点で切り抜けた。

 ポストシーズンでの活躍にますます期待がかかる山本を、恩師や後輩など複数の関係者の証言によって丸裸にする。

  ◇  ◇  ◇

 山本由伸(26)は1998年8月17日、岡山県備前市で第2子(長男)として生まれた。姉との2人きょうだいとして育った山本は、小学1年の時、父がコーチをしていた地元の伊部パワフルズで野球を始めた。

 本格的に投手をやるようになったのは東岡山ボーイズに所属していた中学1年の秋。誰に教わるわけでもなく、クイックをしたり、試合で突然、スローカーブを投げたりして指導者を驚かせた。

「他の子がしないような工夫を自分で考えながらやる。遊び心がありました」とは、同ボーイズの中田規彰監督だ。

 中学3年の夏は全国大会に出場。複数の高校から声がかかる中、宮崎・都城高に進学した。

 その約1年前、都城高で監督を務めた恩師の森松賢容氏は、山本の1学年先輩を受け入れることになり、関係者に挨拶するため東岡山ボーイズのグラウンドへ足を運んだ。そこで「ノーマーク」だった山本のひたむきさに思わず目を奪われた。

 森松氏が言う。

「身のこなしが上手だなとは思いましたが、突出して目立つというわけではありませんでした。ただ、とにかく楽しそうに野球をしていたんです。カッコつけたプレーをしたくなる年頃ですが、そんな様子は一切なかった。うまくなりたいという純粋な気持ちが伝わってきました。技術や実力ではなく、こんなにイキイキとプレーする子がウチにいてくれたらと」

 山本から入学の意思を伝えられたのは、1週間ほど後だった。

「由伸は良い意味で『勘違いができる子』でした。私は部員に毎年、色紙に目標を書かせます。由伸は1年生の時から『プロ野球選手』と書いていた。入学当初の球速は123~124キロ程度だったのにです。高校生にもなると現実を見てプロを諦める子もいますが、『目指せば、ひょっとしたらなれるかもしれない』と、ひたむきに努力できる。半年後の秋には球速が140キロくらいまでグンと伸びた。その頃ですかね、プロに行けるかもしれないと思い始めたのは」(森松氏)

 高校時代から技術向上に貪欲で野球脳も優れていた。都城高の1学年後輩の福田尚輝さんが言う。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください