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追悼・今くるよ コンビで売れっ子になった“運命の日”を振り返る時、いつも語っていた言葉の重み(本多正識)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年6月1日 9時26分

追悼・今くるよ コンビで売れっ子になった“運命の日”を振り返る時、いつも語っていた言葉の重み(本多正識)

今くるよさん(C)日刊ゲンダイ

【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#194

【追悼】今くるよの巻

  ◇  ◇  ◇

 今月27日、漫才、ラジオ、バラエティーなど30年以上ご一緒させていただいた、今くるよさんが亡くなられました。東京NSCの授業前に一報が入り、直後の授業で涙があふれて押し黙ってしまい、「ごめんね、実は今くるよさんが亡くなられました」と告げてしばらく言葉になりませんでした。

 2015年に盟友のいくよさんが亡くなられてから9年、おひとりでラジオを務め、ピンで舞台にも立たれていました。次第にその数も減り、足腰を痛められてからは長距離移動は車イスを利用されていましたが、マネジャーに会った時も「お元気にされてますよ。ラジオに来てください」と聞いていたので、青天の霹靂でした。

「お客さん、喜んではったやろか? 満足してくれはったやろか?」と、いつもお客さんのことを気にかけておられたくるよさん。

 いくくる漫才の凄いところは「うまい漫才」ではなく「面白い漫才」に徹してらしたところです。いくよさんは「ウチら、しゃべりがうまいわけでもないねんから、とにかく(お客さんに)喜んでもらわんとな」。くるよさんも「私らが(舞台に)出ただけで笑てくれはる、つらい厳しい現実を一瞬でも忘れて、楽しい和やかな気持ちになってくれはったらそんでええんよ。そうちゃいます? センセ(先生)? そのためなら、何言われてもかまへんねん」。年々派手になっていく衣装に「見た目だけやん」という一部の揶揄も承知の上でやってらっしゃいました。

 そして「今からやってもそない上手になるわけちゃうけど」と笑いながら、ネタ合わせを必死に愚直にやってらっしゃいました。その陰の姿勢がお客さんにも伝わって喜んでくださったのだと信じています。一番近くで見ている者として「もう一世を風靡されたんやから、そこまでやらんでも大丈夫ですよ……」と熱いものが込み上げてくる思いで稽古に立ち会っていました。

 まだ稼ぎが少ない頃、「ナンボでも書いてきてください」と台本を買い上げていただき生活を支えてくださいました。それでも注文は厳しく、お眼鏡にかなわないものは「もうひとつやわ。もっとおもしろして!」としっかり一線を引かれて、育てていただきました。

 仕事を離れると、おいしいお店を見つけるたびに「センセ、ええとこ見つけたんよ。行きましょ、行きましょ」と数えきれないほど、ごちそうになりました。そして「こんなん(いい食事)が食べられるようになるとは思わへんかったな。これもみなさんが応援して、支持してくれはるおかげやで、それを忘れたらあかんね」と自分に言い聞かせるようにおっしゃっていました。

 いつも最後は、「あの時(花王名人劇場=関西テレビ=でうけたコンビだけが放送される。うけなかったら漫才をやめると決めて挑んだ舞台)、くるよちゃんがお腹叩いてなかったら今日はないねんさかい」と、いくよさんが言えば、くるよさんが「ホンマによう叩いたな。なんの打ち合わせもなかったのに、なんやったんやろな? 漫才の神様が叩かせてくれはったとしか思われへんわ。一生懸命にやってたらええことがあるいうことですやんね、センセ」と私に言い、「せやから、私らは一生懸命漫才せなあかんねん」と涙ぐんでおられました。

 運命の日を境に一躍超売れっ子になられたおふたり。どんなに忙しくて、疲れていても舞台に立てば全力投球。天国に召されたくるよさんは、またいくよさんと“天職”の漫才をされることでしょう。

(本多正識/漫才作家)

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