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ほんこん参戦で「挨拶しない自由」論争が白熱! なぜ挨拶が必要か“そもそも論”を心理学者が解説

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年6月12日 11時3分

ほんこん参戦で「挨拶しない自由」論争が白熱! なぜ挨拶が必要か“そもそも論”を心理学者が解説

「好きにしろ」(C)日刊ゲンダイ

 お笑いタレントのほんこん(60)の“参戦”で、「挨拶しない自由」をめぐる議論がさらにヒートアップしている。

 もともとABEMA「ABEMA Prime(アベプラ)」(月~金 21時)で20代の男性が「挨拶しない自由があるのではないかと思っています」などと発言したことがきっかけで、ネット上でカンカンガクガクの議論に。ほんこんが11日までに、Xに《挨拶しない自由 好きにしろ》《その代わり社会で不自由になる笑笑》と投稿し、それがネットニュースにもなって“炎上”の火に油を注ぐ格好になっている。

 ネット上では《非常識な人間として相手にされなくても文句言わないなら勝手にしなさい》《挨拶をしても「何も減らない」のにねぇ》《気づいた時にはもう取り返しがつかないかもしれんがそれも自由な選択の結果だ!自由を楽しんでくれ!》《挨拶はしてもしなくてもどっちでも良いと思う。ただ、挨拶をしているとちょっとだけ良いことが起こるのも事実》といった“オトナ”の意見であふれ返っている。まあ、単純に挨拶でコミュニケーションが円滑になる、別に損はしないということは経験則から分かるだろう。

 ただ、中には《自分は幼少期に親が激不仲で家庭内で挨拶・会話が一切なかったので、大人になるまで挨拶の重要性に気付けなかったです》という書き込みも。まあ、これはまた別の問題だが、そもそも論として、なぜ挨拶する必要があるのか。

 明大講師の関修氏(心理学)は「大前提として、もともと挨拶はお互いに敵意がないことを確認する行為ということはありますけど」と、こう続ける。

「それが発展して、相手に対する敬意を表す行為になったり、お互いの社会における関係性を確認する行為になっていったわけです。たとえば上司と部下とか、お客さんと売り手などです。挨拶にはそうした関係性を確認する社会的な行為という側面があるわけで、それをいきなり《挨拶しない自由》と言ってしまって、関係性の確認が不明瞭になれば、お互いに疑念を抱くようになる、つまりストレスが生じる。無用なストレスや混乱を社会、組織に生じさせないための一定の“ルール”として挨拶が存在するわけで、社会、組織の一員である限り、それは避けて通れないでしょう。とりわけ礼儀を重んじる日本人の国民性からして、挨拶しない自由は馴染みにくいでしょうね」

 どうしても挨拶しない自由が欲しければ、自ら社会、組織のルールを変えて、それを全体の共通認識として浸透させればいいだけの話だが、現実問題として土台無理な話か。

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