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滑り込みで南アW杯メンバー入り…「初戦のスタジアムに向かうバスの中から感極まっていた」【松井大輔が激白】#5

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年6月15日 9時26分

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2010年南アW杯初戦・カメルーン戦で躍動した松井(C)日刊ゲンダイ

【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#5

 国際Aマッチ出場31試合.1得点──。史上最多の出場152試合を誇る遠藤保仁(G大阪コーチ)を筆頭に100試合超えの選手が8人いる中、松井の数字は信じがたいものがある。「自分は代表になかなか定着できずに苦労しましたね」と本人も苦笑する。改めて2003年から11年までの代表生活をひもといた。

  ◇  ◇  ◇

 松井の代表デビューはジーコジャパン時代の2003年6月のコロンビア戦。直後の03年コンフェデ杯(フランス)にも同行。05年11月のアンゴラ戦の決勝弾で代表初ゴールを奪う。これが代表唯一のゴールとなった。

「(中村)俊さん(横浜FCコーチ)が逆サイドに蹴って、それが大きかったので『この辺り(にファーからの折り返しが来るの)かなぁ~』と。ごっつぁんだったのでみんなに感謝したい」

 こう彼らしい言い回しで喜びを語った松井だったが、06年ドイツW杯メンバーから落選した。

「メンバー発表の時、周りに何人かいたんで、あんまり悔しい顔をするのも嫌だったけど、やっぱりガックリきたのかな……。W杯までアピールしなきゃいけないと思っていたから、目標がなくなってモチベーションが上がらなくなりましたね」

 08年に岡田武史現FC今治会長が監督に就任してからは招集機会も増えたが、「当落線上」から脱出を図るべく、09年の夏に仏グルノーブルへ移籍。そこで29試合.4得点という結果を残し、南アW杯本大会メンバーに滑り込みを果たした。

「ドイツで落選したこともあり、自分にとって南アは『子供の頃から思い描いてきた夢をかなえる場所』でした。お金もいらないし、そこにいられるだけでいいという心境だった。カメルーン戦当日も、スタジアムに向かうバスの中から感極まっていた。涙こそ出なかったけど、あれほど感動したことはなかったと思います」と当日の高揚感を昨日のことのように言う。

■W杯後に燃え尽き症候群に

「南アが終わって、代表への強い思いがなくなったというか、燃え尽きたというか……。南ア直後に(ポルトガル1部の強豪)スポルティング・リスボンへの移籍話があって、行く気満々だったんですけど、破談になって目の前が真っ暗になったというのは本音です。南アで活躍したことでどこかに驕りもあったし、周りの意見も耳に入らなくて、フラフラ宙に浮いてた気がします。自分の中でやる気がうせた時期が1年あったんですよね」

 燃え尽き症候群に似た状況に陥り、11年アジアカップ(カタール)2戦目のシリア戦で負傷して途中離脱。それを最後にザックジャパンに呼ばれなくなり、日の丸から遠ざかった。

 足かけ9年の代表時代は、まさに山あり谷ありだった。(つづく)

(取材・構成=元川悦子/サッカージャーナリスト)

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