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追悼・マキノ正幸さん 渡哲也に誘われ沖縄に…どん底生活経て10歳の安室奈美恵と出会うまで

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月2日 10時53分

追悼・マキノ正幸さん 渡哲也に誘われ沖縄に…どん底生活経て10歳の安室奈美恵と出会うまで

マキノ正幸さん(C)日刊ゲンダイ

 沖縄アクターズスクール創業者で、このほど敗血症性ショックのため亡くなったマキノ正幸氏は京都府出身。祖父は「日本映画の父」マキノ省三さん、父は映画監督マキノ雅弘さん、母は女優轟夕起子さんという芸能一家に生まれ、「ぼんぼん育ち」であった。

 沖縄との出合いは返還1年前の1971年、30歳の時だった。日刊ゲンダイ「注目の人直撃インタビュー」で2022年、ジャーナリスト二田一比古氏の取材でこう振り返っている。

「経営していた福島のスキー場が倒産してね。東京にいればなにかと雑音が入る。哲(渡哲也・青学の同窓生)に誘われて気分転換に選んだのが沖縄でした。まだパスポートが必要な時代だったけど、海外のリゾート地のように素晴らしい海と自然。女性もエキゾチックで魅力的だった。行き来しているうちにとりこになり、妻子を残し、一年の半分以上は沖縄にいました。(中略)今思えばですが、いとこの長門(裕之)や津川(雅彦)ら芸能界の仲間は順調に活躍を続け、哲も(石原)裕次郎の事務所入り。自分だけ時間が止まっているようでしたね」

 ナイトクラブ経営を経て1983年4月、沖縄初の芸能スクールを開校。それは俳優の川地民夫から「平尾昌晃が経営する芸能学校が儲かっている」と聞いたのがきっかけ。大いに話題を集めたが、講師に雇っていた元俳優が独立して、生徒を引き抜いていったりして経営は行き詰まり、借金を背負った。

■挨拶に来た安室奈美恵の母親に「この子は絶対にものになる」と言い切る

 家を売り、家賃2万5000円の木造アパート暮らし。「何不自由なく暮らしてきましたが、48歳にして初めて味わうどん底」だったそうだ。それでもアクターズスクールを潰す気は毛頭なく、自ら指導もして続けた1987年秋、10歳の安室奈美恵がやって来た。

「見学していただけなのに目に入ってね。小顔で細身だけどバランスのとれた体形。スタジオの隅を歩いていても跳ねるような躍動感がある。(安室の前に才能を見いだしデビューさせた)ギンコと似たオーラを感じました。帰りを追いかけ、授業料なしでレッスンを受けないかと交渉。翌日、母親を連れて来て了承を得ることができました。挨拶に来た母親に『この子は絶対にものになる』と言い切っていた。怪しいと思われたでしょう。奈美恵もプロを目指していたわけでないから気楽な面もあったとはいえ練習になると誰よりも際立っていた。伸び伸びと自然体で踊る。動きに無理がない。見立て通りでした」

 やがて安室はスターに。DA PUMPらを輩出し、フィンガー5、南沙織ら第1次沖縄ブームに続く、第2次ブームを牽引した。

「改めて気づいたのは、すでにハーフから1世代下のクオーターが活躍していることです。安室家も母親がハーフで奈美恵はクオーター。ISSAも女優で活躍している満島ひかりもクオーターです。ハーフに代わりクオーターの時代に入っている。ここにも復帰から50年の時の流れを感じます。ハーフと違い、クオーターは日本人にとって外見的な親しみやすさもある。それでいて歌や踊りは独特のリズム感がある。この沖縄の多様性はエンタメ界に向いていると思う。その才能を私は引き出すことができたと自負しています」

 晩年はスクールの運営を娘の牧野アンナさんに託し、病気療養していたという。

 83歳。芸能一家のひとりとして、日本の文化に大きく貢献した。

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