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「ドイツを目指す前にポーランドはベストな国かもしれない。日本人はまず目を向けるべきかも」【 松井大輔が激白】#13

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月4日 9時26分

「ドイツを目指す前にポーランドはベストな国かもしれない。日本人はまず目を向けるべきかも」【 松井大輔が激白】#13

グダニスクの松井(C)Norio ROKUKAWA / office La Strada

【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#13

 欧州に渡って10年目。フランス、ロシア、ブルガリアを経て2013年の夏に向かったのがポーランドだった。帰国を考えていた時、同国1部のレヒア・グダニスクへの移籍話が浮上。カズ(三浦知良=JFL鈴鹿)のひと声に背中を押され、4つ目の異国での挑戦に踏み切った。

  ◇  ◇  ◇

「ポーランドはドイツを目指す前に欧州サッカーを体験し、英語やドイツ語を学ぶのにベストな国かもしれない。フランス系アフリカ人がフランスを経て英プレミアリーグを狙うように、日本人はまずこの国に目を向けるべきかもしれません」

 13年夏、バルト海に面した欧州屈指の港湾都市で会った松井は、筆者の前で爽やかな表情を浮かべていた。

 この少し前、香川真司(C大阪)がドルトムントでブレークしたが、FWレバンドフスキ(バルセロナ)やMFブワシュチコフスキ(23年7月に引退)らポーランド人選手がチームメートとして活躍していた。

 12年欧州選手権を開催したことも重なって、ポーランドのサッカーの地位は急上昇していた。それも松井のモチベーションを高めたに違いない。

「レヒア行きは、カズさんの言葉も大きかったけど、オファーがあると聞いて嫁さん(女優・加藤ローサさん)と『とりあえず旅行に行こうよ』と様子を見に行ったら、『そのまま契約したい』と言われて残る形になりましたね(笑)。良い雰囲気のグダニスクという街にも興味が湧いたし、クラブも堅実経営。若い選手が凄く多くて自分が上から2番目。『手本になってくれ』と言われたので初めて指導者目線で取り組みました。30代に入ってあまり動けなくなってきた分、周りを生かすなど<省エネサッカー>を心がけるようになりました。いろんな意味で前向きな変化があったと思います」

 契約は1年で本人もシーズン終了まで戦うつもりだったが、半年後に事態が急展開する。史上初のJ2降格を強いられたジュビロ磐田からオファーが届き、「自分を必要としてくれている」と日本復帰を決意したのだ。

「(13年)11月末くらいに(当時のGM加藤)久さんが、わざわざポーランドを訪ねてオファーを出してくれたんです。自分ももう一回、Jリーグでやりたいって気持ちが強かったし、昔のジュビロが好きだったからね。ヤマハスタジアムに行くたび『今日は何点、取られるんだろう?』って思うくらいジュビロは強かった。そういうサッカーをまた見せられたらいいと考えました」

 それ以前にも浦和レッズなど複数のJクラブが日本復帰を誘ったが、心が動かなかったという。が、この時はごく自然に「日本に帰ろう、と思えた」と述懐する。

 同じ1981年生まれのDF駒野友一(広島普及部コーチ)、FW前田遼一(日本代表コーチ)と初めて同じクラブで共闘。松井は2年目の15年にJ1昇格の原動力となり、17年夏まで静岡の地でプレーすることになった。(つづく)

(取材・構成=元川悦子/サッカージャーナリスト)

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