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2度目のポーランドは苦境続き「海外あるある」にぶち当たり、急速に立場が悪化した【松井大輔が激白】#14

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月5日 9時26分

2度目のポーランドは苦境続き「海外あるある」にぶち当たり、急速に立場が悪化した【松井大輔が激白】#14

オドラ・オポーレ時代の松井大輔(C)Norio ROKUKAWA / office La Strada

【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#14

 10年間の欧州挑戦を終え、2014年の1月に日本復帰を果たした。ジュビロ磐田で3年半プレーし、MF中村俊輔(横浜FCコーチ)ら個性豊かなタレントたちと共闘した。が、36歳になった17年夏、流浪の男はまたも海を渡る決断を下した。

  ◇  ◇  ◇

「最初の海外だったフランスも、2部のルマンからのスタート。磐田に帰ってきた時もJ2だった。今回もポーランド2部だから『初心に戻れるかな』と。今はワクワク感しかないですね」

 オドラ・オポーレでの欧州再挑戦が決まり、こう話しながら爽やかな笑顔で成田空港を飛び立った。

 32歳で日本に戻った時点では「もう海外へ行くチャンスはないだろう」と本人も考えていたはず。日本に骨をうずめるくらいの覚悟はあった。

 15年のJ2で磐田のJ1昇格請負人になり、その後も献身的なプレーを見せていたのだから、そう思うのが普通だっただろう。

 しかし、迎えた17年はMF中村俊輔の加入もあって出番が激減。半年間で7試合しか出場できなかった。

「このままでは終われない」と危機感を抱いた時に意外なクラブからオファーが届き、妻の加藤ローサさんと相談。単身で赴くことを決めた。

 同国1部のレヒア・グダニスクでプレー経験がある分、適応はスムーズだと思われた。

 が、1部と2部ではレベルも環境もサッカースタイルも全く違う。後半途中から出場した新天地デビュー戦。中盤でボールを失い、PK献上につながる致命的ミスを犯したことで、いきなり暗雲が垂れ込めた。

「海外は『最初が肝心』っていう鉄則がある。でも日本に3年半いたことでそれを忘れていたのかな(苦笑)。何だかボーッと(試合に)入ってしまったんですよね。それを機に監督から『球際で戦ってない』『走ってない』と繰り返し言われるようになり、なかなか試合に出られなくなりましたね。1部の時はもっとボールをつなげたけど、2部は技術的に低い選手が多く、守備や球際の厳しさがより重視される。正直、難しさを感じます」と現地で苦渋の表情を浮かべていたものだ。

 実は、クラブ側は市内に新スタジアム建設を計画。「元日本代表MF加入」と大々的に宣言して動きを加速させようとしていたのだ。注目度の高い移籍初戦で松井らしいプレーが見せられず、急速に立場が悪化した。

 それもこれも「海外あるある」。幾多の修羅場経験から分かり切っていたことだが、欧州再挑戦は苦境続きだった。

■「カズさんと一緒」に…と再帰国

 結局、18年の1月には再び日本に戻ることを決断。J2の横浜FCで再起を懸けることになった。そこには京都の新人時代から師事していたカズ(三浦知良=JFL鈴鹿)がいた。

「カズさんと一緒にサッカーができたら、と思って横浜FCへの移籍を決めた。自分のプロ生活もそんなに長くないので、カズさんとできるチャンスも少ない。もう一度J1昇格を目指して頑張ります」

 紆余曲折の末、偉大な先輩とともに再出発を期した。

(取材・構成=元川悦子/サッカージャーナリスト)

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