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沖縄アクターズスクール創業者マキノ正幸が切り開いた沖縄が“芸能大国”になる日は近い(二田一比古)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月11日 9時26分

沖縄アクターズスクール創業者マキノ正幸が切り開いた沖縄が“芸能大国”になる日は近い(二田一比古)

マキノ正幸氏(C)日刊ゲンダイ

【芸能界クロスロード】

 沖縄アクターズスクール創業者・マキノ正幸氏が6月28日に亡くなった(享年83)。最後に会ったのは2年ほど前だった。

 終の棲家だった沖縄・北谷近郊の一軒家。ガレージには愛車のベンツがあった。こんな話を思い出す。

「当時(1980年代前半)の沖縄でベンツに乗っていたのは私とヤクザぐらい(笑)。治安の悪い時代は金持ちと思われたのか、車の後をつけられたこともあった」

 今は病院と役所の往復だけ運転しているというマキノ氏。相変わらず若々しく、元気そうだった。驚いたのは記憶力。昔の話を昨日のことのように話す。固有名詞も途切れることなく出てきていた。当時は自宅の居間で数人の生徒を教えていた。

「沖縄はまだまだ素晴らしい才能を持った子がたくさんいる。その子たちを発掘して育てられる指導者がいなければ埋もれてしまう。そのためにも頑張りますよ」と将来を語るときの目の輝きは昔と変わらなかった。

 一時、体調を崩し入退院を繰り返していたと聞いていたが、息子や娘のサポートで2022年に「沖縄アクターズスクール大復活祭」を開催。出身アーティストも出演して完全復活の機運も高まっていただけに、無念だったと思う。

 1983年に那覇に設立されたアクターズ。実力重視の教育で地元から厳選した子をレッスンした。「沖縄はクオーターの子が多くなっていた時代。生まれ持ったリズム感と町中にあふれるビート音楽の環境で自然に体は動いていた」とマキノ氏は手応えを感じていた。なかでも際立った才能を持っていたのが安室奈美恵だった。

 友達の付き添いで見学に来て一緒に踊っていた姿を見て授業料なしでレッスンを受けさせた。

 マキノ氏は海外音楽に親しみ、ジャズに精通していた。ダンスは未経験でも、動きを見ただけで才能を見抜く眼力があった。

 アクターズで育てた安室やSPEED、DA PUMPを東京に送り込んだ。マキノ氏が供給した子を芸能プロが売り込むシステムを確立。沖縄ダンスミュージックは瞬く間に歌謡界を席巻した。音楽市場はにわかに活気づいた。新興勢力を歓迎する一方で、旧ジャニーズにとっては脅威だった?

「DA PUMPはジャニーズと競合することから、テレビ局のジャニーズへの忖度で歌番組出演がかなわない不遇の時代もあった」(テレビ関係者)

 瞬く間に芸能界の一大勢力になった沖縄出身者。既成の芸能プロは沖縄にスカウトマンを送り込み発掘に力を入れだした。

「アイドルは基本的に可愛い子のイメージですが、沖縄の子は目力があり、カッコいい子が多い。アムラーと呼ばれる女性ファンがいたように、沖縄の子は同性にも好感を持たれた」(芸能関係者)

 近年は沖縄出身の女優の活躍も目覚ましい。仲間由紀恵・新垣結衣・二階堂ふみ・満島ひかり、アクターズ出身の黒木メイサも復帰した。沖縄出身者の活躍の背景を地元の芸能関係者はこう話す。

「内地の子に“追いつけ追い越せ”で頑張るハングリーさを持ち、“私も”と先輩の背中を追う。好循環が続いている」

 本土復帰間もない頃に兄妹グループ“フィンガー5”が芸能界の地を耕したところに、マキノ氏がレールを敷き自由に行き来できるようになった。

 福岡に次ぎ沖縄が「芸能大国」になる日も近い。

(二田一比古/ジャーナリスト)

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